明治19年(1886年)3月 東京府牛込区通寺町 保善寺 小栗国子
母が亡くなって1年、小栗家の寺である牛込の保善寺で一周忌法要が行われた。参列してくれる方は少ないけれど皆さん、以前からよく知っている人達ばかり集まってくれていた。伊達の小父様だけは、アメリカへの用があって先に深川の我が家へ見えられ、お参りをされていた。代わりに今日は、正宗が法要に参列してくれていた。
小父様が横浜港を発った日に、正宗が私の元を訪れた。正宗をアメリカに連れて行かなかったのは、私を気遣ってのことなのだろう。母が亡くなってから、何かと理由を付けて私を外へと誘ってくれる。だが、彼を小栗の家に迎える訳には行かない。彼は小父様のたった一人の息子なのだ。しかも彼には、母の家である小川の家を守って行かねばならないのだから。
それでも幼き頃から共に過ごしてきた情は、何ものにも代え難い。いつしか彼は、私を一人の女として見ていたことも分かっていた。だが、最後の一線を越えることはあの日までは無かった。それはお互いに、越えられない理があったから。でも、それもあの日までのことだった。彼に後ろから抱きしめられた時、全ての理性が失われたように思った。
お互いに初めてで、何があってどうなったのかも覚えていない程に高揚していた。そしてわれに帰り、越えていけない一線を越えたことに震えていた。彼は優しく抱きしめてくれた、私の震えが収まるまでずっと。
あの日以来、初めて彼と顔を合わせた。何処か気恥ずかしいものがあった。…でもそれを周りに悟られてはいけない。母を悼む場合であったにも関わらず、私はずっと俯いて顔を赤らめていた。彼も何処か何時もと違い、よそよそしい様でいることが幾分か私を平静へと戻させた。彼も私も片親を知らない。それがお互いを引き寄せ合ったのかもしれない。それでも、それを言い訳に出来るほど単純な話では無かった。ただ、複雑な背景やしがらみを思いながらも、あの時に絡めた指先だけははっきりと感触を覚えていた。




