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明治19年(1886年)2月 神奈川県横浜 ダスティ商会 伊達正

昨年は2月に岩崎弥太郎殿、3月には小栗道子様が相次いで亡くなられ、自分も後を任せる者達を意識し始めた年になってしまった。国内の騒動も決着を見た今、もう一度アメリカへと渡る時なのかもしれない。前回は思い立った折に、官有物払い下げからの三菱と共同の問題で断念したが、それが片付いた今が渡米への最適な時期なのかもしれない。


1月26日には北海道庁が設立され、函館・札幌・根室の3県制が廃止された。これによって伊達邦成様からの相談も予想されたが、今を逃せばまた暫くアメリカへと渡ることが遠のくと思い決断した。今回は正宗を置いて行く、母上を亡くされた国子様を託さねばならぬ。忠七のみを連れて、アメリカへと赴くことにした。パリの人脈とニューヨークを繋ぎ、彼らの成長を促したい思いもあった。


3月29日の道子様の三回忌法要迄には戻らねばなるまい、慌ただしい渡米にはなるがアイザックらニューヨークの者達に伝えねばならぬ事もある。準備を急ぐ中、正宗を呼び寄せた。

「今回、お主をアメリカには連れてゆかぬ。…分かっておろう、国子様をお一人にはしておけぬ」

「はい、此度は忠七殿にお任せ致します」

そう言った正宗の姿に、悔しさなどは一切無かった。本人も不安定な国子様を、放おっては行けないとの思いからだろう。


これを最後の渡米に…等とは思わないが、あと幾度アメリカへと赴けるかは誰にも分からない。会わねばならぬ人物も、幾人かはいる。アイザックらに任せたStandardOilNYとVacuumOilの事も気になっていた。そんなアメリカでの予定を考えながら、横浜港からサンフランシスコ港への蒸気船に足を踏み入れた。冬の横浜港の潮風が頬を叩く、蒸気船の石炭の煙の匂いが最初に海を渡った頃を思い出させた。あの時も楓を亡くしての決意だった、正宗は自分を失った時、あの子は何を思い、どこへ向かうのだろうか。ふと、そんな思いが頭をよぎるのを、打ち消すように水平線に目を落とすのだった。

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