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明治18年(1885年)10月 神奈川県横浜 ダスティ商会 伊達正

去る9月29日、郵船汽船三菱会社と共同運輸との合併が発表された。三菱側の裏に周り、又四郎が立ち働いていたことは各所から聞いていた。共同側の益田殿や渋沢殿に、ダスティ商会の杉沢又四郎と名乗って面会を求めていたことも、彼らからの問い合わせで聞いていた。弥太郎殿との最後の約を守るためにうった、又四郎なりの交渉術であろう。


それについて、自分は何も言いはしなかった。それが又四郎にとっての正義なのだ、自分がとやかく言うことは無い。だが、それを言葉にして伝えることもしなかった。自分はどちらにも伝手はある。故にどちらにも加担することをしなかった。言わば自分の中の正義だった。『だから気にするな』と一言伝えていれば、その後にもまた違った道が出来ていたのかもしれない。


いずれにせよ、これで三菱は大きな成果を上げた。株式の面では共同が僅かに上回っていた。だが、株主構成を見れば、三菱と無関係とは言い難い者も少なくない。数字だけを見れば共同の勝ちに見えても、実際にどちらの意向が強く反映されるかは別の話だった。さらに大きいのは、長崎造船所を支配下に置けていることだ。ここには三井の意向は一切届かない。株式以上に、三菱が得をしていることは明らかだった。


先を読めば、三菱は今回の合併で新たに井上馨・西郷従道・松方正義らと繋がりが持てたことは大きい。政商として悪い印象を、弥太郎殿があの世へ共に連れて行ってくれたのだ。政府中枢、しかも海運となれば薩摩閥との関係は、切っても切り離せない存在であった。長崎造船所を手元に置いておれば、薩摩閥で固められた海軍への船の供給にも、彼ら多いに役に立つはずだ。弥太郎殿の跡を受けた弥之助殿にも、心強い味方となろう。


自分としては、浮き上がった三菱は良いとして。損な役回りに置かれた三井にこそ、手を差し伸べねばならなかった。そうした大局に目を向ける余り、足元にある些細な感情の行き違いを後回しにしたことが、後に起こり来る大きな決別を産むことになろうとはこの時は知る由も無かった。

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