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明治18年(1885年)2月 東京府下谷区 岩崎本邸 杉沢又四郎

2月9日、あの日から丁度1年経った今日。岩崎弥太郎様が、本邸で亡くなられた。まさしく、御自分の身体は御自身が一番御存知だったのだろう。あの日言われた通りになった。これよりは、一層三菱に尽力していかねばなるまい。それが故人との約束だ、一方でダスティ商会からは益々離れて行くことになるだろう。


まず、亡き弥太郎様の一番の懸念事項であった、共同運輸との不毛な競争を終わらせるべく動いた。共同の後ろには政府筋がいる。その中でも主導的な役割を持つ井上馨を三菱の番頭たる、川田小一郎殿に引き合わせることから始めた。さらに共同を資本で支える三井の益田孝殿にも面会し、共倒れの愚を強調して翻意を促した。そして最も頼れるのは、やはり正様だった。御本人という訳では無い、一応はダスティ商会に身を置く人間が仲介に動いている。これこそが、益田殿が柔軟性へと舵を切る最後の一助となった…と自分は見ている。


合併への流れを醸成する中、政府でも海運いや海軍を握る薩摩閥の政治家達との繋がりを得た。今後の三菱の発展のためにも、政府官僚との結び付きは是が非でも得たい。これまでは義実家である杉沢家を、断絶へと追い込んだ勝海舟への恨みから、海軍とは距離を取ってきた。だが、勝が政府を去り今や海軍は薩摩閥へと移行している。最早、それを気にして距離を空けるのは愚の骨頂である。今後は積極的に、海軍へと食い込んで行かねばならない。


合併の流れが決定的になったのは、4月の共同運輸社長交代を受けてであろう。先の社長は政府によって更迭され、新たに農商務小輔の森岡昌純殿が社長に就任された。ここまで来れば、合併まではあと一息。東京商工会会頭の渋沢栄一殿にも会い、2社の共倒れを懸念する。という意向を『ダスティ商会の』自分が表明し、合併の流れを形付けて行く。これはもしかすると、正様への間接的な決別宣言と取られても仕方ないのかもしれない。どちらにも加担せず、それを無視してダスティ商会の名前を利用した。そう取られてもおかしくは無い。


正様の子、正宗様がダスティ商会に正式に加入し、ニューオリンズの博覧会へと同行したという。こうしてまた一歩、ダスティ商会からは遠ざかって行くように思える。自分の中に、澱のように何かが溜まり続けているように思えた。

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