文久3年(1863年)8月 江戸駿河台 小栗忠順邸 伊達正
さすがは徳川家創世の時代から、共に歩んできた御家。家の格式も去ることながら、そこに暮らし支える人にも矜持がある。妙に納得しながら、離れの一角に案内された。
そこは一歩足を踏み入れれば、古風な小栗邸とは別世界であった。テーブルにチェア、硝子の器、異国の香を漂わせる葡萄酒――西洋の風が、そのまま部屋へ運び込まれたようである。「蘭方医ならば、さして驚くようなほどの物はあるまい」いやいや、蘭方医だからとて誰もがこのような物に囲まれて生活している訳ではない。「さ、席につかれるがよい。そなたには色々と聞きたいことがあるのでな」奥方と思しき婦人が、音も立てず紅茶を配してゆく。「ありがとう道子、話があるのでな下がっていてくれ」そう言われた夫人は、丁寧なお辞儀で挨拶を済ませると部屋を後にした。「ここに参ったのは、新八の養生のため。先にしておかねばならぬことがございます」新八の左腕がもう保たないこと、そのままにしておくと腕が腐り、身体に影響が出ることを伝えた。上野介様が傍らの瀬兵衛様に目線で尋ねられ、瀬兵衛様は黙って頷かれた。「よかろう、命に関わることだ」そう言って、快く許してくだされた。「一人では難しかろう、拙者が手を貸そう」瀬兵衛様の申し出を、有り難く受け入れた。
そうして、新八の処置を終えるまでに一刻半。もう日はとっぷりと暮れ、流石に疲労と空腹を覚えていた。「腹が減ったのう、又さんに言って何か摘めるものでも用意して貰おう」ただ、ここは処置した血の匂いと、消毒に使ったアルコール臭で充満している。「場所を変えた方が、よろしいかもしれません」瀬兵衛様が頷かれると、最初に通された部屋へと促された。
チェアに腰掛けるなり瀬兵衛様が「いやぁ止血の処置でも分かっていたが、お前さん中々の腕を持つ蘭方医だなぁ」と、置いてあった握り飯にかぶりついた。「これも十年という歳月を費やし、教えを授けてくださった師のおかげです」西洋のテーブルの上に握り飯?とは思ったものの遠慮なくいただいた。「そなたの師とは、いずこの方なのだ?名は何と申されるのだ」すでに夕餉を済まされ、カップで茶を飲まれていた上野介様が尋ねられた。「長崎には住んでいましたが、元は宇和島の出で名を二宮逸二と申します」咄嗟の拍子で、考える暇も無く答えてしまった。「聞き覚えがあるの、鳴滝塾で学んだ宇和島の二宮敬作殿の御子息が二宮逸二殿ではなかったかな」なんと、そこまで御存知であるのか…次の瞬間、冷たく鋭い言葉の刃に貫かれた。「そなたの名は二宮敬逸、敬作と逸二の親子…これは偶然かのう」心臓の鼓動が、半鐘のように打ち鳴らされている。とても咄嗟に言い逃れ出来る状況にはない。大人しく観念するより他無かった。




