明治13年(1880年)3月 神奈川県横浜 横浜正金銀行 伊達正
この年の2月28日に、横浜に日本で初めてとなる外国為替取引の銀行である横浜正金銀行が開設されることとなった。設立には慶応義塾の福沢諭吉殿や、大蔵卿の大隈重信殿らが後押ししてのもので。我がダスティ商会も、これでニューヨークと横浜の資金移行が円滑に進むというものだ。
前年にはStandardOil社の1回目の配当、約20万ドルが振り込まれた。並んで、パークデイビス社も好調なようで、半分とは行かないまでも7万ドルを越える配当が入ったとニューヨークから報せを受けていた。それに加えて、アイザック・オットー・パトリックが投資で挙げた成果も加えて50万ドルを越える為替取引に横浜正金銀行へと向った。
窓口の者に為替引換を頼むと、金額を確認し終えると脱兎の如く奥の頭取室へと消えた。数分後に戻った窓口係の者が、奥の応接室へと案内してくれた。
「私、横浜正金銀行の頭取の中村道太と申します。以後、お見知りおきください」
「これはご丁寧に、私はダスティ商会の代表をしております伊達正と申します。以後、よしなに願います。此度は額が大きくなってしまいましたが、ニューヨークから横浜への資金移行の一分です。驚かせてしまって、申し訳ありません」
その『一分』という言葉に、中村殿が敏感に反応しているのが見て取れた。確かに、このような金額をおいそれとは取引出来はしないだろう。
「今後もこのように、多額資金を動かすことはお有りでしょうか?それでしたら、直接こちらでお取引させて頂いた方が、混乱も生じませぬが…」
「そうですな、今後資金が大きくなる際には、窓口の者に頼み奥を利用させて貰うことに致しましょう。そうせねば、皆に要らぬ迷惑を掛けてしまいかねませぬ故な」
そう言って笑うと、中村殿も顔を引き攣らせながらもこちらに合わせて笑っていた。電信も発達した今、資金だけでなく情報の伝達でもニューヨークは近い存在へと変わってゆく。アメリカが変わりつつあることが、ひしひしと伝わってくる。大西洋海底電線と日本の電信網が繋がった今、以前なら数か月を要した情報が数日のうちに届く。資金だけではなく、世界そのものが縮まり始めている──そんな時代になったのだ。今一度、ニューヨークへと行かねばなるまい。その前に、日本でもやらねばならぬ事が山積している。その思いだけが空回りしているようだった、まるで今の政局を現すかのように…。




