第19話 魔力の流れ
「俺の左目ァ、魔力の流れが見えるんだが、坊ちゃんの魔力は滅茶苦茶だなァ」
ビーストは前足で右目を隠してオレを見ながら言った。
シリウスが『調査に行きたければ私を倒せ!』と宣言した翌日、オレは広大な訓練施設で運動服のビーストと向かい合っている。彼が六足歩行だったことが一番の驚きだ。それも、常にいずれか二本の足は宙に浮かせる不思議な佇まいだ。
「滅茶苦茶って?」
「底なしの魔力だが、まともに循環しちゃァいねェ。メカの魔法具が補助しちゃァいるが、自力で魔力の流れを整える方法を学ばねェと戦闘どころか、命も危ないぜェ」
そう言えば、光魔法は魔力の循環を促進し、闇魔法は魔力の循環を滞らせるとか。
「光魔法か闇魔法でないと魔力の循環に干渉できないのでは?」
「急激に循環の在り方を変えるってンならなァ。流れてもいねェのをまともに流れるようにするってェのァ、ただの健康法の範疇だぜェ。魔法なんて呼べるシロモンじゃァねェさ」
ビーストはオレの背中に触れた。ほんのりと温かい。
「目ェ閉じなァ」
オレは瞼を閉じた。
「まずァ魔法を使ってみンのが手っ取り早ェ。やってみなァ」
異種族友好も献身も今は発動条件を満たせそうにない。魔力銃か。オレは魔力銃を指にはめ、遠くの的に向けて銃を撃った。
「すげェな。陸に打ち上げられた魚みてェに、魔力がのたうち回ったぜェ。これで魔力銃はいっぱしに撃ててンだから、こりゃァ、魔法使いに対する冒涜だなァ」
ビーストの喉がごろごろと鳴っている。相当馬鹿にされていることだけは伝わった。
「大真面目なんだけどな」
オレの呟きを無視して、ビーストは大きく息を吸い込んだ。
「ソードォォォォ!!!」
ビーストの咆哮に応じるように、訓練場に灰色の影が舞い降りた。
「騒々しいな、獣王殿。もっと静かに呼びたまえ」
「悪ィな。頼んだぜェ」
「ふむ。人間よ、しばし眠りたまえ」
ソードがオレにグッと顔を寄せてきた。黒い粘液を垂らしながら大穴が迫ってくる。怖いって。オレは思わず目を瞑った。何も起こらない。
「ソード?」
「魔力が多すぎて魔法蟲10匹分の闇魔法では効かぬようだな。吾輩は悪くないぞ?」
オレは苦笑いした。言い訳がましく聞こえるのは気のせいだろうか?
「メカの魔法服のせいじゃァねェか?脱いでみなァ」
オレはローブを脱いだ。疲労感が襲ってきた。
「これならいけそうだ。頑張って起きたまえよ」
強烈な眠気が襲ってきた。身体が倒れ込むのを感じる。温かいふさふさした毛の腕に抱き留められたかと思うと、オレの意識は沈んでいった。
自分の輪郭が曖昧になり、自分のものではないかのように身体が思い通りにならない。五感の全てが失われ、緩慢とした意識の底で漠然とした不安が鎌首をもたげている。
起きなければならない。
そのためには、身体が必要だ。手足の動かし方を思い出さないと、動けもしない。呼吸や鼓動の仕方を忘れては、死んでしまうだろう。それなのに、オレを形作る何かが彼方に散らばってしまって、オレの輪郭をなぞれなくなってしまったような感覚に陥っている。
「あ……あぁ……」
何となく声を発したような感覚はあるが、知覚できない。思考すら重くゆったりとしていき、オレから取りこぼされていくようだ。もう何もなくなってしまう。
「チッ、目ェ覚ませ!」
頭にガツンと衝撃を受けた。
「痛ッ……」
ビーストの肉球パンチを側頭部に喰らったみたいだ。手足が自由に動く。
「軽く眠らせたつもりが、永眠になりかけるとは滑稽だと思わんかね?」
ソードが縁起でもないことを言う。ブラックジョークは見た目だけにしてくれ。
「泳ぎを習得させるために、膝までの浅いプールに放り込んだら、器用に溺れやがった。しゃあねェな、浮き輪をやるぜェ」
実に分かりやすいたとえと共に、ケサランパサランのようなものが現れた。
「これは?」
「綿精霊さァ。魔力の流れを整える助けにならァ。まァ、手数料は取られるが、坊ちゃんにゃァ安いもンだろォが」
ビーストはオレの手足と頭に綿精霊をくくりつけた。くすぐったい。
「悪夢を見る準備はできたかね、人間?」
できていないと答えるより早く眠気が襲ってきた。質問の意味がないだろ!
意識が朦朧とする。自分の輪郭が再びぼやけていく。起きないといけない。分かっているのに、どうしても自分の存在が掴みきれない。意識が、沈む。
自分がバラバラになる前に、微かな脈動を感じた。オレの頭がそこにある。手足が、ある。オレを形作る何かがゆっくりと流れ始めている。思ったよりちっぽけだな、オレは。オレの欠片を流れに合わせて集約させ、輪郭を描かなければならない。広大な散らばり方をしているオレが、人間の姿にまとまっていく。頭から手足にソレが流れて行けば、立ち上がれる!
「起きたか、人間」
「ようやくかい。坊ちゃんはホントに異世界から来たようだなァ。その有様じゃァ、その歳までこの世界で生き延びらんねェだろォさ。ドクターとメカはよく坊ちゃんの救命措置が取れたものだなァ」
そんな証明、したくなかった。ビーストがオレの頭をポンポンと撫でる。
「まァ、筋ァ悪かねェ。しばらく補助アリで続けて、慣れてきたら自力で魔力を流してみるかァ」
「吾輩の方が先に力尽きそうな計画ではないかね、獣王殿」
ビーストがニヤリと笑うと、牙がギラリと光った。
「羨ましいなァ、ソード。坊ちゃんの修行をしつつ、テメェの魔法の鍛錬もできるなンてよォ」
「獣王殿、貴殿という男は……!」
ソードは頭の穴に脚を入れた。脚と同じ薄灰色の鞭が取り出された。どうなってんだ、あの中。いや、やっぱり知りたくないな。
ビーストは一目散にソードから逃げ出した。しかし、その足はソードの鞭に絡めとられ、引き寄せられてしまった。
「しゃァねェな。トイレ掃除、代わってやるよォ」
「一か月だ」
「うぅ、坊ちゃん、何としても魔力の操作を身につけなァ!俺ァ容赦しねェぜェ!」
トイレ掃除、するんだ。王とか呼ばれているのに。
【作者のメモ】
・ビーストが常に二本の足を上げているのは、地面が灼熱か極寒のどちらかになってしまうこの地で、接地時間を短くするため
・ソードは全身を魔法服で覆っている




