二
慣れたように進む歩調に違和感が残る。やはり、噂は本当なのだろうか。
進学してすぐの試合から出場をして、彼女は順調な一年を過ごしていた。その間は上級生に押されながらも成長していく彼女に自分も元気をもらっていた。
しかし、ちょうど三か月前の試合中に相手チームの選手と衝突。相手はすぐに起き上ったのに、彼女は膝をついたまま立ち上がれずにチームメイトに抱えられて会場を後にした。その後から試合でベンチにすらいない日が続いた。
心配はしていたものの、彼女を知る手段がないのでもモヤモヤしたままの生活を送っていた矢先の連絡。本当なら一番にこの話をしたかったが、彼女の雰囲気や話し方がそれを拒んでいるように見えて切り出せずに後ろをついていく。
「ねえ」
すっと、彼女が振り返った。真っすぐに揃った髪の毛が揺れる。ピアスもなく、メイクも薄いが、歩いている人が視線を向ける。
「勝又君は、堀之内ひまりのファンで合っているのかな」
わざとらしい口調で訊ねた。
「そ、そうだけど・・・」
「じゃあ、憧れの人と会えているのに、何も聞かないの。さっきから黙っていてばかり」
二歩ほど前にいたが、ペースを落としてこちらの横に来た。接触はしないが近くにいるので、彼女の甘い香り鼻をかすめる。
「正直言うと、今まであんなに遠くで見ていた存在がこんなに近くなって、緊張しているというか」
嘘をついても仕方ないので、本音を伝えた。彼女はしばらく考え込んでいるように歩いたが、口元が緩んでいる。
「そうか。まあ、私も偉そうに言って初めてのファンサービスだからなあ」
考えがまとまらないうちに、お目当ての店に到着したようだ。
目の前に広がる、普段はおおよそいかない店舗。おそらく、服を売っているのだけは認識できるお店にこれから入るのか。
こちらの持っていたコーヒーを奪うと、彼女は近くの側溝に残ったコーヒーを勝手に流した。空いたカップをハンドバックの中から出したレジ袋に入れた。
「アパレルは飲食物駄目だから」
「じゃあ、今飲んだのに」
ハッとしたように、彼女は目を開いた。
「そうか。聞けばよかったね。ごめんね」
手を合わせて見せたが、気にしている素振りはない。普段はわがままな性格なのか。少しずつ疑心が生まれる。自分も部活の経験があり、一年からレギュラーを張るような選手の中には横柄な奴がいるのも経験済みだった。彼女のその系統なのかもしれない。
「こんにちは」
読めないブランドのアルファベットが並ぶ入り口を抜けると、彼女は誰かを探すように進んだ。
「ああ、先ほどの」
この店のブランドに身を固めたであろう店員さんが彼女に気が付いた。どうやら、先ほどここに来ていたようだ。
「さっきのワンピース、まだありますか」
「ありますよ。持ってきますね」
洋楽が流れるおしゃれな店内に気後れする。洋服は大手の衣料品店で揃えるので、こういったお店には慣れていない。あまり緊張していると彼女に幻滅されないかと目を向けると、なんだか彼女もソワソワしていた。服も観ないで、またスマートフォンを出して画面を見ている。
「こちらですよね。先ほど合わせて見て、サイズもぴったりかと」
「はい、やっぱりこれがいいなあ」
薄いピンク色の綺麗なチェック柄のワンピースを目の前に、彼女は目を輝かせた。
「ねえ、これがいい」
そのまま、こちらに視線を向ける。確かにこれを着た彼女を見たいが、相場が分からない。
覚悟を決めろ。何のために金を下ろしたのだ。
「わかった。よし、これ買います」
「ありがとうございます」
店員さんもこちらに笑顔を向ける。汗が目立ちにくいシャツを着てきてよかった。
「ありがとう。あの、ここで着替えてもいいですか」
「かしこまりました。値札を切ってきますね」
自然な流れでレジに向かい、会計を済ませた。二万円のワンピース。女性とのかかわりがない人生で、初めてワンピースの相場を知った。ただし、この金額が高い部類に入るとわかったのはまだまだ先の話になる。
「ちょっと待っていてね」
顔を赤らめて、彼女は試着室に入った。
「可愛い彼女さんですね」
店員さんが横で話しかける。
「いえ、彼女ではないです」
急いで否定した。そんなの、彼女に失礼だ。
「そうなのですね。失礼しました」
店員さんは気まずそうに謝った。訂正しようにも、自分は彼女のファンで今日はファンサービスとして交流をしてもらっているなんて、口が裂けても言えない。
やっぱり、変な状況だよな。
第三者が絡むと、今日のイベントがおかしいのだと気が付かされる。店員さんは他の作業をするために離れていった。
「おまたせ」
買ったばかりのワンピースに着替えた彼女が試着室のカーテンを開いた。想像通り、それ以上の姿にしばらく声が出なかった。作業をしていた店員さんが戻ってきた。
「やっぱり、ピンクでよかったですね」
「ピンクは憧れていたけど、縁遠い生活だったので不安でした。でも、これにしてよかった。ありがとうございます」
店員さんに笑顔で話してから、こちらに体を向けた。
「ありがとう。スカートなんて久しぶり。なんか変な気分」
「ああ、うん・・・」
「似合っていないかな」
怪訝そうな表情で、彼女は小首を傾げた。まぶしすぎて、彼女を直視できない。
「すごくいい」
「よかった。彼、いつも私の部活の応援に来てくれていた同級生で、今日は一緒に遊びに行く予定で」
「そうなのですね」
店員さんは目を丸くした。こういえばよかったのか。変な疑いが晴れてほっとした。
「靴はどうされますか」
彼女は白のスニーカーを履いていた。この空気は、ワンピースに合わせる組み合わせではないらしい。知識がない自分は、この状況を見守るしかない。
「うーん、せっかくだけどやめておきます。そこまでは・・・」
「おすすめはありますか」
彼女は控えめに答えたが、会話に割って入った。
「はい。お持ち致しますね」
店員の声が弾む。二万円のワンピースでも背中から冷たい汗が流れ、今もシャツがべったりと張り付いている。しかし、男としてここは引けない。
「いいよ、この後もあるのに・・・」
「足りないなら、また下ろせばいい。ここで我慢したら、後悔する気がする」
上を向いたまま話した。どういう表情でこの台詞を吐けばいいのかわからなかった。
「うーん・・・」
しばらく彼女は悩んでいた。
「お待たせいたしました。このワンピースには、白のサンダルがおすすめです」
ヒールのある白いサンダルを持ってきた。唸っていた彼女が静かにサンダルを見つめた。
「いいかも」
店員さんに言われるがままサンダルを履いてみると、彼女の表情がぱっと明るくなった。
「いかがですか」
「確かにこのワンピースにぴったりですね。でも、ここまでは・・・」
「これにします」
値段を確認せずに切り出した。彼女が不安そうに見つめるが、あえて見えないように店員さんを直視した。
「かしこまりました。ありがとうございます」
サンダルは四千円。さすがに一万円を超えたらどうしようかと思っていたので、安心した。この時点で、金銭感覚はおかしくなっている。普段は千円を超える食事を高級に感じるような生活をしていた。
先程まで着ていた服を紙袋に入れてもらい、お店を後にした。店員さんが出口まで紙袋を持ってくるのに緊張をしたが、彼女も申し訳なさそうにあたふたしていた。
慣れていないのかな。
知っているように案内された割に、彼女が時折見せるぎこちなさが気になる。
「かわいい服を着ると、気持ちが上がるよね。本当にありがとう」
目を細めて笑うと、またえくぼが出来た。口を大きく開けて笑うので、幼く見える表情も愛らしい。
ワンピースはひざ下までの長いものだが、左足のふくらはぎ付近にテーピングが見えている。
見えていない。気が付いていない。
こんなに楽しそうにしている彼女に、嫌な出来事を思い出させてはならない。
「さて、そうしたら今度は電車に乗りましょう」
左足を庇いながらも、軽い足取りで彼女は駅に向かって歩き出す。ふと気が付き、彼女の右手の紙袋を掴んだ。
「持ちます」
「あ、あり・・・」
驚いたように目を大きくした彼女は、一度目を閉じた。
「当たり前でしょう。むしろ、気が付くのが遅いよ」
わざとらしい溜息を吐くと、彼女は右手から紙袋を放して歩き出した。




