第91話 譲れないものと僅かな矜持
大地へと着地した猫又が、悠然とした足取りでこちらへと向かってくる。
猫特有の軽やかな足取りと、液体のような体の柔らかさで、ボロボロになった街並みの建物を、時に踏みつぶし、時にするりと隙間を抜けて。一直線にこちらへと向かってくるのだ。
――完全に、俺を狙ってきてるよな、あれ。しかも居場所が絶対バレてるじゃん。
どうして俺の居場所がバレているのかはよくわからない。まあ可能性なら、いくらでも考えられる。
ダンジョンと俺の部屋を繋げる三つの覗き穴たるゲートから、何らかの方法により、逆算された可能性。
初めて見かけた時の霊羅さんのように俺のスキルの視線を辿られている可能性。
はたまた、それら以外の可能性。
その理由によっては、もしかしたら逃げることも可能かもしれない。
皆と繋がっているこの部屋を放棄して、スキルを使うことなく、頭の上のドッペさんを捨てて、運に任せて。
名も無き自宅警備員な俺には、それがお似合いなのだろう。
しかし、俺はそれを選びたくなかった。
いや、選ぶ訳には、いかないのだ。自身の身の安全のためだけに、眷属の皆を捨てるようなことは、絶対にしたくない。
だから俺は荒れ果てた自宅の部屋で、ゆっくりと立ち上る。
ガラスが割れて吹きさらしとなった窓際に立つと、背筋を伸ばし、こちらへと歩いてくる猫又を睨むように見つめる。
その俺の頭からふよんと一跳ねしてドッペさんが飛び降りてくる。
慌てて、俺はそれを両手で受け止める。
俺の不退転の決意を、どうやらドッペさんは察してくれたのだ。
「ありがとう、ドッペさん。苦労をかけるけど……」
ふよんと俺の手の上で一跳ねするドッペさん。
任せろと言ってくれているのだろう。
多分このために、ずっと俺の頭に張り付いて深淵に行かないでいてくれたのだ。
俺はそんなドッペさんへのせめてものお礼と、お互いの生存の可能性を少しでも高めるために、告げる。
「鑑定スキル! ドッペさんの進化先の候補を提示」
迫りくる猫又。もう、すぐそこだ。
その姿を背景に、ドッペさんの進化候補先が表示されていく。
『テイム済みモンスター:ドッペルゲンガー
呼称:ドッペさん
進化候補:シェイプシフター、ミミック、産巣日
進化先を選択してください』
残念なことに、各進化先の詳細をみていく時間はなかった。
もう、猫又は俺のいるアパートのそば、すぐそこ。
その二又の尾が、高く振りかぶられている。
それでもドッペさんは俺を信じ切った様子だ。俺の掌の上で、微動だにしない。
その重くも嬉しい信頼に応えるように、俺は告げる。
上ずりそうになる声を抑え、震える足をしっかりと踏みしめ、猫又の迫る二又の尾をしっかりと見つめながら。
善きことも悪しきことも、ひたすらに見つめ続ける。これが、これこそが、結局見ていることしか出来ない俺の、せめてもの矜持。
「ドッペさんを、進化。進化先を選択。産巣日っ!」
こうして、世界に新たな神が生まれた。




