第83話 部屋の隅で絶叫してみました
「ただいまっ!」
狭く無人の部屋に、俺の帰宅の挨拶が虚しく響く。
嫌な予感が強まる。
何もなければ、なんとなくアビちゃんが部屋で待ってくれていそうな気がしていたのだ。
俺は手に持って帰ってきた卵をどうするか一瞬迷うが、すぐに敷っぱなしの布団の、神域のところにそっと置く。なんとなくここが正解な気がして。
そして、そのまま冷蔵庫のある壁へ駆け寄り、へばりつく。
深淵を覗き込む。
「――よかった。まだ、始まって……いない……?」
覗き穴ベータの先はとても静かだった。
静か過ぎなほどに。
「――アビちゃん? ベベちゃん? ブラウニーちゃん?」
俺の眷属のうち、誰も神域に見当たらない。
だが、ブラウニーちゃんたちとジュリーベヒーモスが一生懸命作っていた壁は、健在に見える。
それがいっそう、不気味だった。
俺は一度、覗き穴から顔を離すと、頭に張り付いたままのドッペさんを両手で持つ。目の前に持ってきて、語りかける。
「ドッペさん、向こうの様子を見てきて欲しい。でも、無理はしないで。少し見たら、何も見つからなくても戻ってきてくれ」
ふよんとアビちゃんのように一度跳ね、すぐに覗き穴を通り、ドッペさんは深淵へと向かってくれた。
◇◆
ジリジリとした時間は実際の何倍にも感じられた。
そんな俺のもとに、ドッペさんが帰ってくる。
「ドッペさん!何か見つけた?」
ふよんと一跳ねするドッペさん。
俺もそれをみて、心臓の鼓動が跳ねる。
そして、体から何かを取り出すと俺の足元へそれをそっと横たえるドッペさん。
それは、人形みたいに見えた。
俺は急いでそれを手に取り、鑑定スキルを使用する。
『深淵竜の肋骨の兄弟人形:ダンジョンにおける希少な物質の一つ。心臓を守る肋骨より削りだされた双子の兄弟人形。共感呪術の効果により、片方が損壊した際に残り片方も同じ損壊状態となることがある』
これと似たものを、俺は前に使ったことがある。
神域となる場所に覗き穴ベータを空けた際に、アビちゃんと連携を取るために使用した、ブラウニーちゃんたち特製の人形。
あの時は心骨の姉妹人形だったが、今度は肋骨の兄弟人形らしい。
確かに言われてみれば男の子の人形に見える。
そして不思議なことに、あの時は文字化けしていた部分が今は表示されている。
ただ、それは些細なことだ。
「そうかっ。新しい覗き穴を空けるときは、筆頭眷属たるアビちゃんのところに穴が空くから!」
たぶん、アビちゃんの意図は、そういうことだろう。俺の覗き魔の眼球スキルのレベルが三に上がっていたことをどうやって把握していたのかは少し気になるが、それもアビちゃんが無事だったら後で聞けばいい。
それよりも、今大切なことは、この兄弟人形を用意できたことから推測すると、少なくともアビちゃんたちには準備をする時間があり、自らの意思で、何かの目的を持って神域を離れた可能性が高そうだということ。
「――あとは、先にこの子を壊すかどうか、か」
いつ俺が戻ってくるかわからないアビちゃんたちサイドから、この兄弟人形を壊して連絡をすることはまずないはずだ。
俺が手に取る前に壊して消えてしまっては元も子もないから。
あとは俺が覗き穴を開ける前に、人形を壊して合図を送るか否かだが、それもあまり意味はないはずだ。
合図を送ったあと、どれくらい待ってから新しい覗き穴を空けるべきか、俺にわからないので。それに、肋骨製だからか連絡に失敗する可能性があるようだ。心骨製だった姉妹人形より、性能が低そうなのだ。
ゆえに、この兄弟人形は使わずにおくのが正解だろう。
俺はそう判断すると、覗き穴ベータのある場所から半歩横に移動する。
狭いアパートの部屋だ。冷蔵庫のある壁はもういっぱいで、ほぼ部屋の角に体を押しつけるような形になるが、致し方ない。
俺はそこで、部屋の隅に向かって力の限り叫ぶ。
アビちゃんたちが無事であってくれという祈りを込めて。
「『覗き穴追加』っ!」




