第36話 見てみました
それはまさに、人の形をした恐ろしくも美しい獣だった。
爛々と輝く瞳は明らかに獲物を捉えた肉食獣、そのもの。その全身の筋肉は無駄ひとつなく躍動し、均整のとれた肉体が滑らかにこちらへと迫ってくる。
蛇に魅いられた蛙のごとく、俺は動けない。
そのまま気がつけば玲瓏なのに激しく熱を帯びた瞳が、俺の眼前にあった。
いつの間にか、とても滑らかで柔らかい感触が、俺の両頬を包み込んでいる。
相手の両手のひらで、俺の頬が包むように固定されているのだ。
目を逸らすことを一切許さないという、とても強い意思がその手のひらから伝わってくる。
「──隠さないで。見て」
至近距離で囁くようにそう、告げられる。甘い吐息が俺の鼓膜を揺らす。
美しくも恐ろしい相手から身を隠したいのか。それとも一流の探索者であろう相手に、自らの最近手にした力について相談したいのか。
もともと、揺れ動いていた俺の心。
だからだろうか。
気がつけば、俺はお守りのスプーンを握りしめながら、通りスキル「覗き魔の眼球」を使用していた。
相手の情報が奔流のように俺の左目に流れ込んでくる。それは名前や年齢といった表層的な情報から、心の奥底に隠しているであろう、思ってもみなかった、孤高であるがゆえの哀しみに彩られたその内面の痛みまで。
そこで俺は慌ててスキルの使用を止める。見すぎた、と思ったのだ。
一呼吸おいてから、俺は気を取り直して尋ねる。
「俺は何者でもない──」
その言葉のあとに続けようとしていた、「単なる一般人なんですけど、いま見せたスキルを手にいれてしまって。何かこのスキルについて、知っていますか」というフレーズは、俺の口から出ることなく消える。
というのも、目の前のあれほど激しく、そして力強かった瞳が、いつの間にかとろんと潤んでいたのだ。
その瞳に宿る熱だけは変わらぬままに、急に焦点を失ったようになっている。
俺の頬を包むように触れていた手のひらも離れて、両腕がぶらんと垂れ下がっている。
それは全然、質問できそうな雰囲気ではなかった。
「──視線の方、は、何者でも、ない……」
白銀の髪の探索者の女性がそう、呟いた時だった。
俺たちの近くにあった時空の綻びを示す赤い光が、急に激しく瞬き始める。
次の瞬間だった。
空間が割れるようにして、時空の綻びから何かが現れる。
「モンスター!? え、時空の綻びの正体って……」
現れたのは、ゴリラっぽい大型サイズのモンスターだ。しかし不思議なことに、現れたモンスターは俺たちの方を見ているだけで、動かない。
俺はその隙に、モンスターの方を見ていた視線を、ゆっくり目の前の女性探索者さんに戻す。
モンスターが近くに現れたのに、こちらも依然としてなぜかとろんとした瞳のまま動かない。目の前で俺が手を振っても反応がない。
動かない女性探索者さんと、動かないゴリラ型のモンスター。その間に挟まれるように立つ俺。
不思議な均衡状況が、なぜかそこに生まれていた。
試しに俺はスキルで知り得た情報の確認がてら、女性探索者さんが反応するか、囁くように質問してみる。
「えっと、お名前は──」
「霊羅ありす」
俺の質問にはタイムラグなしで答えてくれる霊羅さん。内容もあってるし、応答は正常っぽい。
「──モンスターですよ。しっかりしてください、霊羅さん」
いくら霊羅さんが、俺のスキルで知り得た情報によれば、プラチナランクの一流の探索者だろうと、こうもぼーとしたままでは危ないだろう。
そして、全く知らない相手では無くなってしまった相手を放って、俺一人で逃げるのはさすがに心苦しかった。
「モンスター……しっかり、する」
そんな霊羅さんが、ビクッと痙攣して、急に、とろんとしていた瞳が焦点を結ぶ。
次の瞬間だった。
杖を取り出して、現れたモンスターへと肉薄する霊羅さん。
速い。
魔法系の職業のはずなのに、その動きは常人とは比べ物にならない。「覗き魔の眼球」スキルで情報として霊羅さんのスペックは知ってしまっていた。しかし、実際の動きを目のあたりにすると、情報から想像していた以上に凄い。
そのまま至近距離で炸裂した霊羅さんの魔法スキルが結局、最後まで動く気配を見せなかったゴリラ型のモンスターをあっという間に消し去っていた。




