64 船場の戦い1
大坂城西側、上町大地から外れた、やや悪い足場になる船場と呼ばれている低湿地に紀州藩藩主浅野長晟(かぞえ30歳)5千が陣を構えている。その左翼(北側)には蜂須賀至鎮約3千、浅野勢の右翼(南側)から木津川口砦にかけて山内忠義約2千が轡を並べていた。
「宗箇(上田宗箇)、どう見る?」
長晟が軍師格である上田宗箇に図る。
「南面の端は報告通り、総構を少しづつ西に延長する工事をゆったりとですが、しておる様子。問題は正面ですな。人一人がすれ違える程度の幅、かつ、すっぽり入る程度の深さの溝を幾筋もに渡ってうねうねと蛇行させながら、こちらへ掘り進んでおります。」
「狙いは?」
「あんなものは初見なれば、定かでは御座いませぬが…自分であれば、あの溝に射手を大量に忍ばせて射程内に我らが入るまで蛇行しながら距離を詰めましょうな。」
「距離を詰めた処で我らが突出して一息に手詰めの戦に持ち込むぞ?」
「その時は最も接近している者は即座に撤退。後ろの者が順次射撃後に撤退。溝が邪魔して一息には追いつけず、只の撃たれ損ですな。」
「むぅ、面倒な事を………」
「よくもまあ、考え付くもので御座る。しかも、異様に掘るのが早い。なにか我らに見えぬ工夫がある様子。」
「あれも真田の知恵なのか?」
「そこはなんとも………されど指揮官は毛利勝永と結城朝勝とか。」
「毛利勝永は聞いている。手堅い用兵をする良将だな。だが結城朝勝など聞いたことがないが?」
「ご存じないかもしれませぬが、朝勝は宇都宮広綱の次男で御座る。秀康殿が結城家に入る前、朝勝殿が実は先に養子として結城家の家督を継いでおったのです。なのに秀康殿が天下った為、朝勝殿は結城家の家督を奪われ、宇都宮家へ出戻る羽目に………。」
「! それでは徳川幕府に恨み骨髄ではないか………」
「如何にも。当然、あらん限りの力を発揮しましょうな。」
「………なんとも面倒な………」
無用の恨みまで引き受ける羽目になりそうな状況に長晟の顔が歪む。
「………だが、そうなると黙って見過ごす訳にも行かぬ。手立ては思いつかぬか?」
「そうですな………取り敢えずは………いや、それではだめか………」
「なんだ、常になく煮え切らぬではないか。」
「は。普通ではない初見の戦術なれば、すぐに思いつく対応も予想されやすい。まして相手が毛利勝永で有れば猶更に読まれて居りましょう。」
「単に対応するだけでは嵌められる………か。」
「少なくとも、対応策が破られる前提で、その時の行動も決めておかねば危うそうで御座る。」
「つまり、敗走の仕方という訳か。」
「情けない話では有りますが。」
「いや、よくも言うた。それでこそ我が張子房よ。戦など最後に生き残って居れば良いのだからな。で、なんとする?」
「まずは、我らも出来る事をしましょうぞ。」
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その日から浅野勢も大坂方を真似して、地面を掘り始めた。スコップ等は無いが、有り合わせの道具でも水を含んで緩んだ湿地帯の地面は掘りやすい。だが、大坂方から寄せてきているので、蛇行はさせず真横に近い掘り方でともかく一層。続いてその後ろにもう一層を掘り始めている。蛇行させず直線状なので、掘る速度は遅くても蛇行しつつ迫って来る大坂方と接触する頃には出来上がっている予定だった。
また、浅野勢を見た両翼の蜂須賀、山内の両勢もあわてて一層だけだが掘っている。
「取り敢えずは目には目を………だな。」
浅野長晟が自陣を眺めつつ評するが、納得はしていない。
「殿も既に御気付きのように、これは余り良い状況ではありませぬ。本来城に迫る側の我らが追い込まれているのが実態であれば………。」
「全くだ。」
「その上、双方の溝が睨み合いになれば、だらだらと撃ち合いになり、補給に苦しむ我らが先に音を上げる事になりましょう。」
「右翼の山内などは、鉄砲装備そのものも劣りそうであるしな………。」
「山内と言えば、細川殿が撒いた、山内の撒き餌にも大坂方は食いつきませぬ。」
「奴らにすれば、ジワジワ総構を西に延ばせば、木津川口砦など普通に追い落とせるのだ。わざわざ突撃せねばならぬ義理が無い………そういう事か。」
「緒戦の大勝で大坂方に心の余裕が出来てしまいました。この城は落ちそうも御座いませぬ。」
「儂もそう思う。となると、やるべき事は決まったようなものよな。」
「押されはしたが、さほどの損害もなく撤退。此れしか御座らぬ。」
「うむ。見苦しくならぬ程度で撤退したいものよ。どうせ大坂城の南面以外は主攻には成り得ない。こんな場所死守しても詮無い事よ………。」
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浅野勢首脳が内心で撤退を決めていたその頃、左翼の蜂須賀勢も困惑の渦中にあった。
「どうにも不愉快な状況ですな、阿波守(蜂須賀至鎮)様。」
軍師格の中村右近(中村重勝)が至鎮に図る。
「全くだ。こんな場所などに居座った処で城に攻め込める芽も無し。藤堂の描いた絵など所詮はこんなものよ。」
「その藤堂に、失敗の理由を我らの低い戦意である………と擦り付けられては溜まりませぬ。」
「ああ、全く不愉快極まるわい。」
「で、如何いたしまする?」
「向こうから仕掛けてくるのは確実。何が来るのかも判らぬ。早めに撤退するしか無かろうが………真っ先にともいかぬ。実に不愉快だ。」
「では、山内が崩れる迄は踏みとどまり、その後に撤退。それでよろしいでしょうや?」
「それしか無かろう。実に不愉快だ………。」
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浅野、蜂須賀の両勢からほとんど期待されていない山内勢2千.こちらは先の両勢とは真逆の悲壮な決意を固めつつあった。
「土佐守(山内忠義)様、山内全軍、木津川口砦を放棄、浅野勢右翼に展開完了しました。また、浅野勢を習い溝も堀り終えました。」
山内家の宿老、深尾重良が報告する。
「よし、この戦、他の東軍諸勢はいざ知らず、我らにとっては最大最後の切所ぞ。ここで無様を晒せば山内家は恐らく改易の憂き目にあう。よって、この戦、単なる手伝い戦に有らず、お家存亡の危機と心得よ。」
「ははっつ、で、いかに戦いましょうや?」
「兵も銃弾火薬も乏しい我ら。無駄に消耗することなく十二分に敵を引き付け、ここぞの一時に全てを叩き込め! この戦のあとはもう戦いはない。どうせ土佐に帰るしかないのだからな。予備弾薬も予備兵も不要。すべてを叩き込み、生き残り全軍で土佐へ帰る。それだけだ!」
かくて、幕府軍3軍の中で、山内勢のみが異様に高い戦意で大坂方を待ち受けるのだった。




