62 樽廻船誕生
「これが五大力船か………。」
鴻池新右衛門は自分の初の輸送船2艘を前にして得も言われぬ高揚感に浸っていた。江戸へ送る酒は陸送でコツコツさばいていたし、酒を扱う前は炭で財を成したので海とは縁が薄かったのだ。
「はい、この船一艘で50石が積めます。」
「なんと、50石も………。」
五大力船は当時広く用いられていた平底の沿岸交易船でお世辞にも大船ではないのだが、それでも陸送とは一桁積載量が違う。新右衛門が驚くのも無理は無かった。
「…成程な。此れからは海の時代という事か。秀頼様に逸早く学ばされた儂は運が良いわ……。」
「鴻池様、長崎は良いとして、本当に江戸へも出すのですか?」
「うむ。長崎までは皆も動かして居るので普通に行けるのだろう?それでは安全だが旨味も少ない。皆が行かぬ江戸へ行ければ大儲けできる。行ければ儲けもの、無理であれば戻って良い。」
「江戸へは4つの海の難所が御座います。」
「4つ………。」
「紀州沖、志摩の沖、遠州灘、伊豆沖で御座います。」
「潮岬や伊豆は難しいのは判る。志摩のあたりはそんなに難しいのか?」
「はい。あの付近はどういう訳か、大きな三角波が良く立ちます。我らは『波切大王』と呼んで恐れて居ります。」
「ふーむ。成程、それで波待ちのための港の利権で志摩の海賊も生まれた訳か………。では遠州灘がなぜ危険なのだ?広大な海だろう?」
「遠州灘は実は海中に岩礁が多う御座います。その上、陸地にもほとんど港が無く、風を遮る山も無く…強風で座礁する事が多う御座います。」
そうだったのか。家康が長年港の整備に手を出せなかったのにも理由が有ったのだな………。だがそこで止まったのが家康の限界よ。もしも伊達政宗であったなら、何艘船を沈めることになっても、港湾整備に突き進んでいた事だろう…。
「難所があるのは判った。だが、伊勢と言えば、小浜景隆が元々は伊勢海賊だったと聞く。それが駿河に流れ着いて東海の海賊として行動していたのだろう?ならば、通行が全く出来ぬわけではないのう。」
「それは確かに。実際、伊豆の下田の港はそういう船のための風待ちで栄えています。」
「ならば、難所一つ一つを丁寧に乗り越えれば兵庫や尼崎から船出しても江戸へ行けそうだな。」
「まあ…荷が腐らねば良いのですが………。」
「それもあるが…。だが江戸へは行ってもらう。難しい航路であればあるほど利も大きい。酒はある程度は日持ちもする。多少味は落ちるかもだが、それでも飲めぬと迄は行かぬ筈。酒以外のついでの荷物も今なら何をもっていってもすぐに売れる。」
「そうなので?」
「大坂の戦で今も荷が続々と陸送で送られている。結果、関東は酷く物資が欠乏して居るのでな。」
「はぁ…しかし、お代は?」
「金銀ならなんでも良い。甲州金は勿論、慶長小判、慶長一分金………ああ、永楽通宝でも良いぞ。」
「鐚銭は?」
「構わぬが、4枚で永楽通宝1枚分だ。それぐらいであれば鋳つぶしても採算が合う。」
「江戸で売るとなると徳川の切銀も増えそうですが?」
「ああ、切銀は質も悪くないし、どうせ上方では鋳潰すから重さで交換して良いぞ。」
切銀とは大坂での物資現地調達の必要から緊急手段として慌てて幕府が造りだした貨幣だ。銀の板を鏨で切り重さだけ統一した戦時急造品で、一応刻印は刻んでいた。だがこの物語では、上方商人が見せ金だけの預り手形を受け取らず、現物を要求してきたため史実以上の切銀大増産を関東で行っている。
「帰りの船が金銀だけでは、船が半ば空荷になってしまいます。」
「それよ………江戸では特に買う物が無いしのう。石でも積むか?はっはっはっ。」
「いや、笑い話ではなく、実際に江戸から尾州や伊勢への返り船は石も積むようです。」
「はぁ?」
「空荷ですと喫水が上がってしまい、転覆しやすくなるので、わざと重くするのだとか…。」
「本当だったとは…それはいかぬ………。 ! おおそうじゃ、樽だっ!」
「たる?」
「我らが積むのは主に酒樽。勿論江戸で樽ごと売る訳だが、江戸には先に我らが持ち込んでいる空の酒樽が大量に残って居よう。それを回収して帰ってこい。水でも詰めれば重り代わりにもなる。」
「それは名案ですな! 同じ樽ですので船内の木組みもそのままつかえます。」
「ああ、空き樽を持ち込めば安くすると云えば、大量に集まろうぞ。いいぞ、いいぞ、そうだっ!我らは樽廻船を名乗ろうぞ!」
「樽廻船!」
「うむ、樽廻船、樽廻船を人々の心に刻み込むには………うん!船の腹に『一』の文字を黒黒と書くが良い、どんな阿呆でもすぐに覚えられるようにな。」
「帆にも何か書きましょう。通常は帆の絵柄でどこの船か見分けますので。」
「帆か、帆なら………大きな丸の中に『樽』と書け。これで間違える者はおるまい。」
かくて、史実より100年以上先んじて樽廻船が産声を上げるのだった。
成り行きと勢いでこうなってしまった。時代が加速しすぎて危ないかも。




