54 八丈島
伊豆諸島最南端、八丈島。この時代はまだ小笠原諸島は認識されておらず、この八丈島が極南界だ。
その八丈島に接岸する関船が一艘。
百地保武、自ら率いる百地党の忍びが数名、
音も無く闇に消えてゆく。目指すは宇喜多秀家が庵を構える大賀郷。
-在れのようだな………-
飢饉のときには食料にもなりうる、ソテツが植えられた小さな庭の横に、質素な庵がある。
-これが、あの備前中納言の成れの果てとは………-
社会の最下層に位置する忍びの目から見ても驚く落差だ。
-だが我らに感情は不要。任を果たすのみぞ………『隠岐殿(宇喜多秀家)、浮田の隠岐殿』-
「ん?この儂に客とは珍しい。狭いあばら家だが、遠慮はいらぬ。此れへ。」
「我ら、秀頼公配下の百地党なれば、御前は憚られまする。」
「なに?秀頼公の配下??………百地………ほう、百地のう。なに、今となっては儂も百地党もさほど差など有るまい。何もないが湯など立てようぞ。息子たちはすでに寝入って居る。此処にはほかに誰の眼も無い。遠慮は要らぬ。」
言われた百地の忍び数名が小さくなって宇喜多秀家の眼前に姿を現す。
秀家はゆったりと茶?を立てて押し出す。
「茶葉など無いのでな。ソテツの実を磨り潰して煎った粉を溶かしてある。それなりの甘味も有って只の湯よりはマシだろう。」
作法を知らぬ忍び達がおずおずと差し出された茶?を飲むのを待って、秀家が尋ねる。
「で、そなた達が来たという事は儂を大坂に連れて行くと云うのだな。」
「はっ。すでに大坂と江戸は完全に手切れとなり、戦となって居ります。その経緯は………」
忍びは関ケ原の戦い以後の状況を時間をかけてじっくりと説明した。
「成程のう。秀頼公がさほどの器であったと知って居れば、関ケ原で戦わずに数年決戦を引き延ばしたであろうに………しかし、いまさら儂など連れ出したとて何程の役にも立たぬし、お主達や明石も居るなら儂など邪魔にしか成らぬぞ。」
「やはり………。」
「?」
「秀頼公は中納言様が動かれぬ事を予想されて居られました。そしてその時は………
『秀頼は泣かず飛ばずを辞めた。日ノ本100年の計を立てたが宇喜多殿の旧領がその嚆矢となる。宇喜多殿でのうては叶わぬ役回りを是非にもお願いしたく、大阪へご足労願いたい。』
………このようにお伝えせよとの仰せでした。」
秀家が額に手を当て暫し考えこむ。
「?儂にしか叶わぬ役目とな?………備前などの旧領に関係する事しか思い浮かばぬが、元々備前とて家老任せで儂が直轄していた訳でもなし………。備前の民にしても、『いまさら何用?』であろうが………となると、備前自体ではなく、元の備前領主という、名目が何かに利用出来る?そういう事であろうか?」
「流石、中納言様。正しく秀頼様もそのように。」
「! なに? お主ら、秀頼公と直に?」
「は。恐れ多くも直接、事細かにご説明戴き多額の支度金も賜りまして御座ります。」
それを聞いて再び考え込む秀家。
「………お主達にそこ迄話されたか。儂という駒は儂が思っている以上に使えるのかも知れぬ。雲を掴むような話であるが、この儂でも何かに利用できると秀頼公が望まれるのであれば、捨て石にも何也と使って頂くのが筋であろうな。相分かった。大坂まで苦労を掛けるが頼む。」
「ははっ。」
「だが、この八丈島の幕府代官である谷庄兵衛には随分と世話になった。無断で島抜けしては庄兵衛に類が及ぶやもしれぬので、一言断りをいれてから立ちたい。」
「藪蛇になりませぬか?」
「はっはっはっ、ならぬならぬ。この八丈島に幕府の人間は谷庄兵衛、ただ一人のみよ。だから口裏合わせもなんとでもなる。心配無用じゃ。皆付いてまいれ。」
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「………という訳で大坂に行くことになった。庄兵衛には甚く世話になったので挨拶したく思うて参ったのだ。」
「左様ですか。いつまでもご苦労が絶えませぬな。秀家様。」
「こんな世捨て人でも使いたいと、秀頼公がわざわざ船まで遣わされたのだ。立たねば義に悖るのでの。」
「あまりお勧め出来ませぬが…。行かれるのであれば、八丈島の事は、この庄兵衛が迂闊だったと呆けておきまする。」
「いや、それは成らぬ。『関船でやってきた敵に、数人掛かりで攫われた。』と事実を申せ。儂も大坂に着けばそのように言いふらすのでな。さすれば、庄兵衛に類が及ぶ事はあるまい。」
「それは………宜しいのですか、それでは次は問答無用で斬首になりますぞ。」
「なに、その時はすでに戦場で露と消えて居るだろうから心配無用じゃ。」
「………どうしても本当に行かれると。貧しいながらもこの八丈島なら戦も無く、徳川だの豊臣だのと角突き合わす意味も無い場所。穏やかに生きて穏やかに死んで行けますのに。」
「その通りよ。真の極楽浄土とはこの八丈島のような場所なのであろうなあ………。だが儂は太閤から貰った恩を返せておらぬ。後ろ髪を引かれる思いだが、どうか笑って送り出してくれぬか。」
庄兵衛が大きくため息をつく。
「百地殿。秀家様は貴種であらせられるのに、この庄兵衛が如き小役人にも分け隔てなく接してくだされた御方。どうか無事に大坂まで送り届けてくだされ。とくに、この時期の黒瀬川(黒潮)は荒れまする。大坂から八丈島へは黒瀬川の流れに沿ってなんとか来れましょうが、八丈島から大坂へ行くのは数倍危険で御座る。下手をすると、安房にも辿り着けず、寧海(太平洋)の只中に追いやられ海の藻屑となり果てましょう。」
「…覚悟の上にて。」
「…同じ航路を戻るは危うく御座る。この八丈島の真北に御蔵島が有り、御蔵島と伊豆の下田の中間には神津島が御座います。これらの島伝いに伊豆沖まで行きなされ。なに、どの島にも幕府の者など僅かな上、幕府だろうが大坂だろうが、皆なんとも思って居りませぬ。島でしっかり補給して東海道で陸に上がり陸路で京を目指しなさるがよい。噂では多くの荷が京・大坂へ向けて送られているとの事。それらに紛れるのが宜しかろう。黒瀬川に逆らって船を操れば必ず遭難しましょうぞ。」
「…忝し。」
翌日、秀家と共に八丈島に渡り、処々に分宿していた家臣達十二名と医師の村田助六、二人の秀家の息子は庄兵衛に見送られ、大坂目指して堂々と出立したのだった。




