51 池田勢転戦
「皆の者、幕府……いや、藤堂高虎だな………藤堂から督戦の指示が来た。池田他、中国勢は大坂城北側の砦を順次落とした後、大坂城西側、船場付近に駐屯待機して、後の本隊の動きに呼応せよ………だ。」
池田勢を締める姫路藩主、池田利隆が書状を公開する。
「今、幕府の帷幄を支配しているのは本多正純ではなかったのですか?」
播磨赤穂を領する、副将格の池田忠継が問いかけた。
「表向きだけはな。だが今現実に差配しておるのは藤堂よ。」
「藤堂は策謀を好む者なれど、12万もの軍勢を振り回せる器量とは思えませんが。」
「大御所様が一段引いて居られる今、12万を自在に進退させられる者などどこにも居らぬ。将軍家(秀忠)は知っての通り、戦は苦手。戦上手の秀康殿がご存命であれば適任だったのだが。」
「ご存命であっても無理でしょう。大御所様は秀康殿を疎んじられて居られた。」
「………まあ、繰り言を並べても仕方がない。元々の予定の行動とほぼ同じだ。だが、船場に駐屯………のぅ…。」
大坂城北辺で駐屯であれば、淀川を挟むため滅多なことでは戦闘は起きない。だが西側であれば、大坂勢も出撃してくる可能性がある。
「大坂城西の南側、木津川口砦に近い場所には誰が入るのですか。」
池田政綱も幼いなりに考えているのだろう、南隣となる軍勢を尋ねて来た。
「そちらには浅野殿など、紀伊や四国の軍勢が入るらしい。」
「それなら、そうそう大坂方も突出はしないのでは。」
浅野勢なら大失敗する姿は想像しにくい。それなりに無難に戦ってくれそうだ。
「そうだな。それに言われる迄もなく、元々似たような行動予定でもある。藤堂に捨て石にされては堪らないと、気を回しすぎたか。」
「ひゃ、ひゃ、ひゃっ。池田殿は藤堂がお嫌いのようじゃ。」
山名豊国がかき混ぜるがその豊国の表情にも藤堂への嫌悪感が滲んでいる。
「あれを好ましいと思う奴が居るか?ご老人とて、嫌っておろうが。」
「そりゃそうじゃ。ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ。」
「好き嫌いは別として、わざわざ督戦しますか、放っておいても同様の行動になりましょうに。船場への駐屯以外。」
池田忠継が話を戻す。
「ふむ。督戦迄何故に?とな………。」
「ひゃ、ひゃ、難しゅう考えすとも。時間稼ぎの間に合わせじゃろうて。」
山名豊国が常識的な判断を言う。先の正面攻撃で幕府主力の前衛は弾薬を消耗してしまったので、その補充の時間稼ぎで別方面の部隊を動かし大坂方を休ませないという読みだ。
「それはそうだろうが………。」
「我ら池田は出世頭ですからな。満足な加増が得られなかった藤堂なら、嫌がらせついでに此処で池田を少し摺り潰してやろう………程度は含んでいるでしょうな。」
池田忠継が池田利隆の懸念を代弁する。関ケ原以後に12万石加増されたが、池田輝政は36万石の加増、池田長吉が3万石の加増、池田忠継が小早川秀秋の改易後に岡山28万石、池田忠雄6万石………と、池田一族には大盤振る舞いされている。
「うむ。我ら池田は妬まれて居る。藤堂のように露骨な動きはせずとも、幕府与力大名は皆が大同小異と考えた方が良かろう。各々、くれぐれも行動は慎重に願いたい。」
さもありなんと、皆が頷く。続けて各砦を落とす順序と部隊割が発表され、座が漸く落ち着いた。
「しかし、藤堂もよい齢をして見苦しく足掻くのう。そろそろ儂のように運命を受け入れても良かろうに。」
山名豊国が茶飲み話に話題を振る。
「ご老人、その運命とは?」
「奴には運が足らぬのよ。関ケ原で会心の策謀を決めたにもかかわらず、同じような策謀を黒田に決められ藤堂の策は霞んでしまった。奴の経歴を見て見られい。5回も売り込みやっと取り入った浅井氏は滅亡、その後手管を尽くして羽柴秀長に取り入って仕官できたが、まさかの豊臣秀次改易の余波で一時は高野山で世捨て人にまで落ちぶれた。そこまでするか?と思う程に、さんざん足掻くが我ら池田ほどの信頼を大御所に得ても居ない。奴はなにも失敗しておらぬのにだ。運が伴わぬ者が足掻いた典型的な結果じゃ。」
「それは…したが、皆それぞれの立場で足掻くものでは?」
「いんや、儂は違うぞ。大山名の一族末裔じゃが、もう儂の代では運が尽きて居った。なので儂は運命に抗わず身を任せた故、今でも数千石を食んでおられるのよ。儂の微才で運に抗って居ったなら、今頃その辺で野垂れ死んで折ろうよ。」
この云い様には一同皆興ざめではあったが、同時に誰にも期待されていない山名豊国だからこそ、だれにも標的にされなかった事実は確かに有ると妙な納得をするのだった。
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「漸く、大阪城北辺の砦は掃除できたな。」
大坂城北辺の各砦のうちで、唯一激しい抵抗をした鴫野砦が眼前で炎上している。当初、大和川を挟んで対岸にあった今福砦に入っていた細川興秋が嫌がらせのような抵抗を一通りした後、この鴫野砦に撤退。此処では頑強な抵抗を見せたため寄せ手にも無視できない死傷者がでていた。その細川興秋は十分に戦ったと満足したのか、大書した『細川興秋此処に有り』という旗印と共に悠々と大坂城へ撤退している。一分の瑕疵もなく砦を落とすという、池田利隆の方針が細川興秋への急な追い打ちを許さなかったのだ。
「利隆様。あれで良かったのですか。」
「在れ(細川興秋)への追撃など無意味だ。我らの目的は砦。死に狂いの者など相手にするだけ馬鹿馬鹿しいわ。」
「藤堂にこれ幸いと利用されませぬか?」
「目的は粛々と達成しておる。それを四の五の言い募れば、それこそ藤堂が鼎の軽重を問われようぞ。それにな、」
「それに?」
「あの細川忠興が黙っていると思うか?必ずや先鋒を買って出て、一族から大坂方で奮戦する者が出てしまった汚名を晴らそうとするだろう。」
「成程。それはそうでしょうな。」
「ならば、我らが追撃しなかった事など誰も気にも留めぬだろうよ。」
「流石、われらが旗頭。お見事でございます。」
守成の名君とはこの池田利隆のような者であるやもしれぬ………利隆への尊敬を新たにする池田忠継だった。しかし、
………世は安定を求める時代か。されば山名翁が申したように武功を求めて動くこと自体が時代にそぐわぬ行いであるのやもしれん。ならば藤堂も柳生もなにも成すことなく終わるのであろう。距離を置くのが賢明か………いや、そうであるなら大御所こそどうだ?此処で無理に大坂へ攻め込まずとも、熟柿が落ちるのを待つように将軍家(秀忠)に申し伝えればよかったのではないのか?本来であれば一捻りで勝利しそうに見える大坂の陣が悉く思うに任せぬ真因が時代に逆らう動きであるとすれば………
その見たくない結末を予想してしまい、身震いする忠継だった。




