50 院内銀山
「わっはっはっ、右京大夫(佐竹義宣)様、上手く行きましたな!」
佐竹勢約3千が遠く久保田(後に秋田に改名)に向け帰路についている。その道中、笑いを堪えきれぬ義宣の家臣、側近筆頭格の渋江政光が義宣に話しかける。元々関東で角突き合わせて来た徳川家に佐竹の者達で良い感情を持っている者など居ない。幕府の手伝い戦など御免被るが本音だ。
「うむ。望外の結果よな。まさか、大坂に来た早々に久保田へ帰れようとは。しかし、恐るべきは伊達の読みの深さと胆力よ。徳川の青臭い官僚など歯牙にもかけて居らぬ。」
「大御所も睨みを利かせている軍議であの大立ち回り。小田原遅参の折り、太閤の前で傾いて見せて切り抜けた逸話も聞き及びまするが、さも有りなんで御座いますな。」
「その伊達だが………我が佐竹に津軽の港湾整備を共同で助力せぬか?と求めて来た。」
「はぁ?何故に縁も所縁もない津軽の港湾を我々に?まあ、北隣ではありますが、それだけですぞ。」
「それが、伊達が云うには数年内に大きな利が見込めるとな。十三湊はかつては日ノ本最大とすら言える大貿易港だったが、十三湖の堆積物も多く今では近隣の荷運びに利用されているだけの小港湾に落ちぶれている。それを復活させようと云うのだ。此処だけの話だが、伊達の裏には大坂の秀頼公が居るようだ。」
「! なんですと !」
「どうも、大坂から下関を回り込み、能登、直江津、我が土崎湊、さらに津軽を回り込み伊達領まで届く海上交易路を設ける話が実現寸前らしいのだ。」
「途方もない計画で御座いますぞ………。」
「ああ。だが、無理………かと云われてみれば、出来ない事では無かろう。」
「それは、まあ、港を繋いでいけば、行けぬ場所は有りませぬが。」
「その港、我が久保田には土崎湊や能代湊が有るがその先が無い。伊達は自前で領内に新規に港湾を全力で造ると云う。」
「ふうむ…。で目先伊達にも余裕がないので、我が佐竹に声を掛けてきた………と………。」
「厚かましいと言えば厚かましい話ではあるが、北隣の津軽に恩を売っておく意味では悪くない。また、この交易路が実働すれば出資した十三湊の取り分も莫大なものになろう。」
「投資としても十分に採算が合う………確かに………。」
「それに伊達は気が付いて居るようでもあった。」
「………まさか………」
「ああ、院内銀山の存在が政宗にはバレているな、確実に。」
院内銀山は、佐竹家が常陸から秋田へ国替された後の1606年に、佐竹家によって発見・開発された新しい銀山で急速に開発された結果、佐竹家の懐具合は意外にも暖かくなっていた。この銀山の産出量は莫大で、後年の最盛期には日本全体の産出量の大半をこの銀山だけで産出したと云う。
「それに津軽に出資する利点はまだ有る。」
「それは?」
「南の最上よ。」
「ああ………」
当時、最上家は出羽山形藩57万石。結構な大大名となっていた。つい先年、最上義光急死という事件は有ったが、2代目最上家親も幕府の信任厚く、江戸城の留守居役という大任を受けている。
「最上は言う迄も無く、徳川べったりじゃ。逆に伊達とは犬猿の仲。そして………。」
「そして?」
「最上領には酒田の港が有る。」
「!」
「伊達の腹は幕府と最上を出し抜いて、大坂に縁のある者で交易の利を分け取りにしようと云う事のようだ。」
「しかし、津軽はどうなので御座いますか?関ケ原では実際に部隊を東海まで進出させて徳川方に付いて居りますぞ。」
「あれは立地が東だからだろう。それが証拠に石田三成の縁者を匿っているとも聞く。なので、特別に幕府贔屓という事ではない。まして津軽の周囲を考えても見よ。」
「東は犬猿の仲の南部氏、南東に伊達。南は我が佐竹。とてもではないが伊達と我らの申し入れを拒める訳もない。」
「確かに。南部のみですら、国を傾けて全力で攻め込まれれば危ういですな。」
「院内銀山の上がりは急増しておるが、表立って領内に投下すると幕府に銀山を狙われかねぬ。だが、津軽へ投下するのであれば、そうそう幕府も目くじらを立てにくい。」
「成程…。」
「儂はこの話に乗ろうと思うがどうじゃ。」
「解り申した。この政光も賛同致しましょうぞ。されば国元の梅津政景に早馬を立て、段取りを整えさせまする。」
「うむ。政景なればくどくどと説明せずとも行動に移すであろう。急ぎ、津軽と調整するように申し伝えよ。」
「はっ………くっくっ………」
「どうした、なにか変か?」
「いや、津軽と調整する政景の苦労を思うと……くっくっくっ。」
「ああ、あの言葉はのう。儂もまるで聴き取れぬ。」
「されど、津軽の人々は我らの言葉は解するとの事。どうにも、我らの肩身が狭もう御座る。」
「我らもなんとか聞き取れるように努力はしておるのだが………。」
「まあ、津軽家にとっては良い事ずくめの話。苦労は有っても嫌がられる事は御座いますまいて。」
「そう有ってほしいものだ。」
かくて、津軽家支配下の十三湊は再び国際貿易港への道を歩みだすのだった。




