49 大橋龍慶の困惑
-おかしい。何故にこれほど士気が高いのだ?ほぼ孤立無援のこの大坂城。総構などを復旧させたとは云え、冬の陣よりも少ない兵力でしか無いと云うに。-
「これは、式部卿(大橋龍慶)様、総構などになにか御用でございますか?」
ふらりと総構に訪れた大橋龍慶を訝しみ守備中の物頭が尋ねてくる。
「なに、今の城の実情はよく見ておかねばとな。諸国に送る季節の挨拶にも、一筋の実態を書き連ねておくと手紙も身近に感じられるものでの。」
「成程、その通リで御座いまする。流石、式部卿様。何も無い無骨な場所で御座いますが、今は寄せ手も遠巻きにするばかりで御座いますので、ゆるりとご検分くだされ。万が一、総構に落ちると大変ですので、そこだけはご注意お願い致しまする。」
「うむ、うむ。そなたもお役目ご苦労。ではまたの。」
散歩するような足取りで歩みつつ、穏やかな目線で総構周辺をゆったりと眺める。
-全くとんでもない規模の空堀じゃ。もうほとんど谷ではないか。幅 10 間(約18m)余り、深さに至っては約3 丈~4丈(約10m前後)程も有る。真田丸も一個だったのが4個に増えて居る。-
龍慶の眼前には初代の真田丸。左側(西側)遠くには新しく設けられた3つの真田丸が有る。
-この初代の真田丸の堀には水が引き込んであるが、新しい真田丸は空堀だな………。いや、空堀と断ずるのは早計か。少なくとも、一番西はすぐ隣が水堀だ。イザとなればすぐに水も引き込めるのだろう。?!、まてよ、この南面の空堀、本当はいつでも水が引き込めるのではないのか?とても越えられそうもない空堀だが、万が一にも越えられそうになれば水を引き込んで一網打尽………ありえるわい。此れも注意喚起しておこう。-
家康への報告書に記しておく内容を反芻しつつ、脳内で纏めていく龍慶。その足は広大な3の丸の鍛冶屋町へ向いていた。
-なんという賑わいよ。これが籠城中の城か?そこら中で鍛冶の活気が溢れて居る。ここらの鍛冶連中は元の国友村の奴らだったか。石田三成の保護を得ていた連中の筈だ。よほど待遇が良かったのか、関ケ原以降も関東には来ず、多くが大坂へ流れたと聞くが………。しかし、いったい何を造っているのか?鉄砲はもう十二分に有るだろうに………。判らん。だが、大阪城内では鍛冶も盛んという報告は必要だな………。-
次に龍慶の足は同じく3の丸にある道修町に向かった。秀吉は数多の商人を集めたが、此処は後年、特に薬材商が集住する事になる場所だ。すでにいくつもの薬材問屋が出来ていた。
-薬問屋もこれだけあるとなれば、相応の在庫を抱えていような。疫病も期待薄という事だ。これも報告しておかねば。-
長期の籠城に疫病は付き物。ある意味ではその対策の有無が籠城の成否を左右する。その面でも秀吉の手配りに隙は無かった。
-ん?なんだあれは?-
遠く去っていく女御衆の一団を見た龍慶が訝しむ。
「ちと尋ねる。先の女御衆は何故ここを訪れて居ったのかの?」
「は?あんた、新参者か?今時珍しいな。」
「うむ。最近入城したのじゃ。」
「ふーん。あれは千姫様お付の女御衆じゃ。この戦の前ごろから千姫様が定期的に巡回されて居るのよ。始めはお侍衆をめぐって居られたが、それも一段落したのか、最近は町衆にもお声を掛けて回られて居る。つねに薬を用意されてのう。古くからの町衆も浪人衆も、天女さまだと崇めて居るのよ。」
「なんと、そのような事が………。」
龍慶が片桐且元と共に大坂城を出奔する前までは千姫は影が薄い存在で、龍慶も気にも留めていなかったのだが、此処に来て積極的に大坂方として活動しているなど、想像の埒外だ。
-これは大変だぞ。大御所様の怒りはどれ程であろうか。-
龍慶は身動きに詰まった場合は千姫を頼るのも一つの手と考えていたのだ。あろうことか、その千姫が身も心も大坂方になっていようとは………
-ああ、それでは7手組の速水守久もダメではないか。千姫が完全に大坂方なら速水守久も完全に大坂方だ。糞、これでは完全に城内で孤立無援だ………-
浮ついた足取りで龍慶は伏見町に入る。此処には唐物問屋や木材問屋が多く集まっていた。ぼんやりとした眼で歩いていた龍慶だが、一軒の木材商の前で足が止まった。
- ! 淀屋 ! だ と ………-
そこには想定外の屋号、『淀屋』の看板を掲げる木材商が有った。
-馬鹿な。淀屋は関ケ原で大御所様に全てを掛けてのし上がった筈、何故に大坂に店が有る!!糞、淀屋ですらこうでは全の商家は二股と考えねば!これは急ぎ知らせねば、すべての目算が狂ってしまう。-
公家連中が二股であるのは幕府も想定済であり、またそういう実感も得ていたので驚きはない。だが、実利に敏い筈の商家が二股という事は、即ち、幕府が圧倒的とは欠片も思われていないと云う事になる。関東と西国の意識には大きな乖離があった。
-大御所様が武器弾薬、兵糧までも悉くご自分で差配されてきたのが裏目に出たか。思えば大御所様は商家をあまり重視されてこなかった。力で屈服させてしまえば自ずと靡いてくるとのお考えだったのだろうが………商家には商家の意地があったのやもしれぬ。-
この時期、まだ江戸幕府は特定の商家を幕府ご用達などにはしていない。スポット取引を命ずる事はあっても継続した取引で信用を培うという発想は無かった。多くの商家にとってはいまだに大商いの相手は豊臣家。しかも豊臣家の領国の摂津、河内、和泉の3国は当時もっとも商業の発達した地域。商家の取引は売り一方や買い一方では成り立たない。売り買い両方が期待できる大坂周辺は商家にとって、外すことなどできない。龍慶の『商家までもが二股…』は商家にとっては酷い言い掛かりで龍慶の一方的な思い込みだ。龍慶自体も江戸幕府の”当然こうあるべき”に、既に毒されていた。
-とにかく、急ぎ知らせねばならぬ。-
龍慶は読む者が読めば内容が伝わる婉曲な比喩表現の手紙を苦吟しつつ書き上げ繋の伊賀者に託すのであった。既に大坂に寝返っている伊賀者に。




