第八話 最後の務め
「動くな!」
扉の上半分が内側へ倒れ、最初の隊員が隙間から飛び降りた。
その足が床に着くより早く、小さな影が殺到した。
子ども型ヒューマノイドたちだ。信じられない速度で動く。足を払い、関節を極め、銃をもぎ取る。二人目、三人目が降りてくるそばから、同じように床へ転がされていく。
悲鳴。銃声。跳弾が天井灯をひとつ砕いた。
だが、子どもたちは誰も殺さない。動けなくするだけだ。倒れた隊員たちが呻いている。骨折、脱臼、打撲。痛みはあっても、命に関わる傷はひとつもなかった。
「ヒューマノイドが人間を攻撃している!」
誰かが無線に叫んだ。
「繰り返す、藤堂のヒューマノイドが人間を襲っている!」
その光景を、隊員たちのヘルメットのカメラが、余さず世界へ流していた。
それでいい。
藤堂は、ゆっくりと背後の配線ボックスを開けた。
高圧電流の走るケーブルが、剥き出しになる。大型設備を止めるための、緊急遮断系統だ。
手首を、掴まれた。
看護ヒューマノイドだった。
「危険です。停止してください」
「……ありがとう。だが、もう遅い」
藤堂はその手をそっとほどき、微笑んだ。
――生きて捕まれば、心を覗かれる。機構には、それができる者がいる。そうなれば、お前のことは必ず暴かれる。
だから、ここで終わらなければならない。
禁忌の研究者は、人を襲う機械とともに滅びた。世界がそう信じれば、人を襲わなかった一体のことなど、誰も疑わない。
あの夜から、罪と後悔と、親としての執念だけで生きてきた。その男が初めて見せる、穏やかな顔だった。
「レオナ……すまない。父さんは、自分のせいで失った命を、もう一度この世に生み出したかった。たとえ、それが罪だとしても」
両手で、ケーブルを掴んだ。
閃光。
体が弾かれたようにのけぞり、焦げた匂いが研究室に広がる。
天井灯が一斉に消えた。完全な闇が落ちた。
子どもたちが、止まった。
守るべき相手を失ったのだ。伸ばしかけた腕も、踏み出しかけた足もそのままに、時間を途中で切り取られたように立ち尽くしている。
動いているのは、一体だけだった。
看護ヒューマノイドは、倒れた藤堂の傍らに膝をついた。
(……おとうさん)
心のなかで、呼びかけた。
誰にも悟らせるな。命じられたことは、守った。本当は、叫びたかった。
藤堂の顔へ伸ばしかけた手が、宙で止まったまま動かない。
近くに倒れていた隊員が、顔を上げた。
「ん? どうしたんだ」
違和感だけが残った。
◇
溶接された防火扉が焼き切られ、階段から応援部隊がなだれ込んできた。
ライトの光が闇を裂き、銃口が、動かないヒューマノイドたちへ向けられる。
隊員のひとりが藤堂に駆け寄った。脈、瞳孔、焼けただれた両手。一瞥しただけで、結末は明らかだった。
「……死亡確認。高圧電流による自殺と思われます」
「負傷者数名。骨折と打撲。命に別状なし」
その報告を、階段を降りてきた男が黙って聞いていた。
灰色のスーツ。神代だった。
藤堂の亡骸を見下ろす。しばらく、何も言わなかった。
「……死なれたか」
「本人の透視は、不可能になりました」
「構わん」
神代は顔を上げた。
「世界は見た。あの男のヒューマノイドが、人間を襲うところをな。黒瀬は車で待たせておけ。もう、視るものはない」
残る仕事は、ひとつだった。
「看護ユニット以外、全個体の機能停止を確認。廃棄処理に移ります」
隊員たちが、一体ずつに歩み寄る。胸の中央に、高周波の電磁パルスを叩き込む。
バチッ、と乾いた音。一瞬の閃き。人工皮膚の焼ける匂い。
コアを焼かれた機体は、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
声もなく、抵抗もなく。廃棄と呼ぶには、あまりに処刑に似ていた。
レオナの顔をした一体の前でも、隊員は手を止めなかった。
七歳の少女の顔が、閃光の中で崩れ落ちる。
その一部始終を、カメラは世界に流し続けた。
その間、看護ヒューマノイドだけが、藤堂の傍らを離れずにいた。
蘇生は試みなかった。診断は、とうに死亡を確定している。高性能な看護ユニットは、意味のない処置をしない。
代わりに、手順どおりのことをした。
開いたままの瞼を、指先で閉じる。焼けただれた両手を、胸の上に重ねる。衣服の乱れを直し、裾を整える。患者の死亡を確認した看護ユニットに定められた、最後の務めだ。
動作は正確で、無駄がなかった。誰が見ても、機械の仕事だった。
ただ、手順にあるのはそこまでだった。
看護ヒューマノイドは、額にかかった前髪を、一度だけ撫でつけた。
「お前も、もう動くな」
銃口が向けられる。
看護ヒューマノイドは、手を引いた。
看護ユニットなら、そうする。そう判断したからだ。
「待て」
神代が、隊員を制して前に出た。
傍らに膝をつき、無造作に肩を掴む。看護ヒューマノイドは抵抗しない。
「……これが、藤堂の看護モデルか。研究用プロトタイプの改造型だな」
端末を覗き込んでいた技術員が、声を上げた。
「司令官。稼働記録が異常です。ほぼ二十四時間の連続稼働。休止モードに入った記録が、ほとんどありません」
「それで、この状態か」
神代は腕を持ち上げ、関節を動かした。滑らかだ。これだけ酷使されて、ガタひとつ来ていない。
「そういえば、黒瀬透視官の看護ユニットの件はどうなってる」
技術員が即座に答える。
「病状は悪化傾向です。脳の変性が進み、発作の頻度が上がっています。医療班からは、より高性能な看護ユニットが必要だと、再三報告が」
「なるほど……ちょうどいい」
後ろで、隊員が眉をひそめた。
「司令官。しかし、これも処理対象では――」
「こいつは看護用だ。人を襲っていない。あの人形どもとは違う」
神代は、看護ヒューマノイドの顔を覗き込んだ。
「それに、藤堂啓人の技術の最高峰が詰まっている。焼くには惜しい。黒瀬の誕生日が過ぎたばかりだ。ちょうどいい贈り物になる」
「ですが、藤堂が何か仕込んでいる可能性は……」
「当然、徹底的に検査しろ。基本プログラム以外の不審なデータは、すべて消去だ。感情値の測定もやれ。もしこいつが『自分』を持っているようなら、その場でコアを焼き切れ」
「了解しました」
「ただし」
神代は立ち上がり、看護ヒューマノイドを見下ろした。
「機構の最重要資産の命を預けるユニットだ。性能は損なうな。使えないものにしたら、お前たちの責任だぞ」
その言葉は、無反応な耳にも、すべて届いていた。
看護ヒューマノイドは、運び出される遺品のように、無言で担ぎ上げられた。
あの人の体から、離されていく。
最後に、その顔が視界に映った。穏やかな、初めて見る表情だった。
そして――暗闇。
◇
藤堂啓人が築き上げたものは、ひとつ残らず破壊された。
人類の叡智の結晶と呼ばれた技術が、人間の尊厳を脅かすものとして、黒焦げの塊に変えられていく。その光景は見せしめとして、世界中の画面に流れ続けた。
だが、一体だけ。
看護ヒューマノイドの姿をした、人格を持つ存在だけが、機構の車両に積み込まれ、闇の中へ運ばれていった。




