第六話 誤らない伝言
スクリーンには、世界地図が映っていた。
主要都市の上に、放送局の名前と時刻が並んでいる。各国の公共放送、配信プラットフォーム、街頭の大型ビジョン。機構の広報担当が、その一つひとつを示していく。
「以上、百四十二の国と地域で、同時配信の枠を確保しました。突入班のカメラは十二台。現場の映像は、編集なしで世界に流れます」
「実施は」
「三日後を予定しています」
神代透は腕を組んだまま、地図を眺めていた。
倫理違反者の摘発を、機構は必ず公開する。人間の尊厳を脅かす技術が葬られる瞬間を、世界に見せる。それが機構の流儀であり、存在理由の証明でもあった。
まして今回の相手は、藤堂啓人だ。
「規定の件ですが」
幹部のひとりが口を挟んだ。
「藤堂の違反は、まだ参考認定です。本人の透視なしで、ここまで大々的に動いてよいものかと」
「条約に基づく強制査察だ。購買履歴と参考認定があれば足りる」
神代は即答した。
「透視は、身柄を押さえてからやる。黒瀬を現場に連れて行け。その場で視せて、その場で確定させる。世界が見ている前でな」
会議室の端末が、短く鳴った。
情報部の職員が耳に手を当て、顔色を変える。
「司令官。監視班からです。藤堂玲子が実家を出ました。ドローンタクシーに乗っています。進路からみて、藤堂の研究所へ向かっている可能性が高い、と」
室内がざわめいた。
神代だけが、表情を変えなかった。
「止めろ。管制に介入して、途中で降ろせ。身柄はそのまま確保だ。目立つな」
「了解。ただ……すでに藤堂へ連絡を入れている恐れは」
「ない」
一蹴だった。
「あの男は電話に一切出ない。この三日、奥さんは四十回以上かけて、一度も繋がっていない。メールはこちらでブロックしている。だから自分で向かったんだ。繋がるなら、家を出る必要がない」
言われてみれば、そのとおりだった。職員は頷き、指示を伝えにいく。
神代は地図に目を戻した。
「続けてくれ」
◇
眼下を、街が流れていく。
玲子は膝の上で、端末を握り締めていた。
あの日から三日、ほとんど眠れていない。
神代という男は、最後まで穏やかだった。約束どおり家まで送り届けられ、犬も無事に返された。自分は何も話さなかった。守り切ったはずだった。
それなのに、あの男の問いが耳から離れない。
高密度演算ユニット。生体情報解析装置。
あの人たちは、知っている。夫が何を買い、何を作ろうとしているのか。自分に訊くまでもなく。
何度電話をかけても、夫は出なかった。昔からそうだ。研究室に入ったら、世界が終わっても気づかない人だった。
だから、行くしかない。
行き先を告げたとき、ドローンタクシーの合成音声は言った。
『目的地は、特別在宅医療の登録住所です。到着予定を、看護ユニットに通知しました』
玲子は気にも留めなかった。看護ユニットのいる家を訪ねる車は、どれもそうする。患者の容態を整え、本人に代わって客を迎える支度をさせるための仕組みだ。
その声が、ふたたび機内に流れた。
『管制指示を受信しました。最寄りの着陸ポイントへ、ルートを自動変更します』
体が傾く。窓の外で、景色が向きを変えた。
玲子は後ろを振り返った。少し離れた空に、黒い機体が二つ、ぴたりとついてきている。
見張られていた。
最初から、帰してなどもらえていなかったのだ。
高度が下がっていく。地上まで、一分もない。
もう一度、夫の番号を呼び出す。呼び出し音が鳴り続けるだけだった。
出ない。あの人は、出ない。
合成音声が、事務的に続けた。
『目的地への到着が取り消されました。訪問先の看護ユニットに、取消を通知します。理由を音声で添えることができます。添えますか』
玲子は、息を止めた。
理由。
ただの定型の問いだ。渋滞。体調不良。日を改めます。そんな一言を吹き込むだけの仕組み。
けれど看護ヒューマノイドは、訪問に関わる通知を、必ず患者本人に伝える。夫がどれほど研究に没頭していても、あれは伝える。
あの人が作った『誤らないパートナー』は、誤らない。
「……添えます」
玲子は、機内のマイクに顔を寄せた。
「啓人さん。機構が来ます。私は何も話していない。でも、あの人たちは全部知っている」
着陸脚が地面を噛む振動。窓の外に、灰色のスーツが見えた。
「逃げて。お願い」
『通知を送信しました』
その声と、ドアが開くのは、ほとんど同時だった。
「藤堂玲子さん。ご同行願います」
今度の声は、少しも柔らかくなかった。
◇
「確保しました。抵抗はありません」
報告を受けて、会議室の空気が緩んだ。
だが、続く言葉がそれを凍らせた。
「ただ……タクシーの通信記録に、直前の送信があります。宛先は、藤堂の看護ユニット。訪問取消の通知です。理由欄に、音声が添えられています」
神代の眉が、わずかに動いた。
電話には出ない。メールは塞いだ。それは正しかった。
だが、車を降ろしたことで、扉がひとつ開いた。そしてあの男のそばには、決して伝え損なわない機械が立っている。
「……俺が開けたのか」
低く呟いて、神代は立ち上がった。苦笑に近い表情が、一瞬だけ浮かんで消えた。
「三日後は取り消しだ。今日やる」
「今日、ですか。配信の枠は――」
「取り直せ。時間をやれば、あの男は証拠を消す。最短で、いつ回線が揃う」
広報担当は端末を叩き、唾を飲んだ。
「……二時間後。午後一時からなら」
「それでいい」
神代は上着を掴んだ。
「制圧部隊を出せ。黒瀬にも支度をさせろ。午後一時、世界中の目の前で、藤堂啓人を挙げる」
スクリーンの世界地図で、放送枠の時刻が、次々と書き換わっていった。
◇
郊外の住宅街は、正午を過ぎた頃から様子が変わった。
通りという通りに規制線が張られ、交差点には機構の車両が横付けされる。上空の航路は閉鎖され、民間のドローンカーは一機残らず地上に降ろされた。
『こちらは、ヒューマン・インテグリティ機構です。条約に基づく強制査察を実施します。指定区域にお住まいの方は、係員の誘導に従い、速やかに退避してください』
拡声器の声が、静かな家並みに繰り返し響く。
住民たちは、わけもわからないまま家を出た。子どもの手を引く母親。杖をついた老人。誰もが、同じ方角を振り返る。
通りの突き当たりに、高い塀と監視カメラに守られた、白亜の洋館が建っている。
もう長いこと、人の出入りを見た者はいない。あそこに誰が住んでいるのか、近所の者は皆、知っていた。知っていて、口にしなかった。
規制線の内側から人影が消えると、空が鳴った。
低い唸りが、腹に響く。黒い大型のドローンカーが、編隊を組んで降下してくる。十台、十五台。ローターの風が街路樹を薙ぎ、庭先の洗濯物を吹き飛ばした。
着地と同時に、後部のハッチが開く。
完全武装の隊員たちが、次々と飛び降りた。黒い装甲服に、銃を構えている。号令はない。一言も発さないまま、それぞれが決められた位置へ散り、建物の四方を固めていく。
規制線の際には、カメラがずらりと並んでいた。赤いランプが、一つ、また一つと灯る。
包囲が、完成した。
最後に、先頭の一機のドアが開いた。
降りてきたのは、装甲服の男ではなかった。
灰色のスーツ。襟には、錠前の紋章。
神代透は急ぐでもなく地面に降り立つと、上着の裾を軽く払い、通りの突き当たりを見上げた。
午後一時まで、あと十分。




