↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/18

第六話 誤らない伝言

 スクリーンには、世界地図が映っていた。

 主要都市の上に、放送局の名前と時刻が並んでいる。各国の公共放送、配信プラットフォーム、街頭の大型ビジョン。機構の広報担当が、その一つひとつを示していく。

「以上、百四十二の国と地域で、同時配信の枠を確保しました。突入班のカメラは十二台。現場の映像は、編集なしで世界に流れます」

「実施は」

「三日後を予定しています」

 神代透は腕を組んだまま、地図を眺めていた。

 倫理違反者の摘発を、機構は必ず公開する。人間の尊厳を脅かす技術が葬られる瞬間を、世界に見せる。それが機構の流儀であり、存在理由の証明でもあった。

 まして今回の相手は、藤堂啓人だ。

「規定の件ですが」

 幹部のひとりが口を挟んだ。

「藤堂の違反は、まだ参考認定です。本人の透視なしで、ここまで大々的に動いてよいものかと」

「条約に基づく強制査察だ。購買履歴と参考認定があれば足りる」

 神代は即答した。

「透視は、身柄を押さえてからやる。黒瀬を現場に連れて行け。その場で視せて、その場で確定させる。世界が見ている前でな」

 会議室の端末が、短く鳴った。

 情報部の職員が耳に手を当て、顔色を変える。

「司令官。監視班からです。藤堂玲子が実家を出ました。ドローンタクシーに乗っています。進路からみて、藤堂の研究所へ向かっている可能性が高い、と」

 室内がざわめいた。

 神代だけが、表情を変えなかった。

「止めろ。管制に介入して、途中で降ろせ。身柄はそのまま確保だ。目立つな」

「了解。ただ……すでに藤堂へ連絡を入れている恐れは」

「ない」

 一蹴だった。

「あの男は電話に一切出ない。この三日、奥さんは四十回以上かけて、一度も繋がっていない。メールはこちらでブロックしている。だから自分で向かったんだ。繋がるなら、家を出る必要がない」

 言われてみれば、そのとおりだった。職員は頷き、指示を伝えにいく。

 神代は地図に目を戻した。

「続けてくれ」


   ◇


 眼下を、街が流れていく。

 玲子は膝の上で、端末を握り締めていた。

 あの日から三日、ほとんど眠れていない。

 神代という男は、最後まで穏やかだった。約束どおり家まで送り届けられ、犬も無事に返された。自分は何も話さなかった。守り切ったはずだった。

 それなのに、あの男の問いが耳から離れない。

 高密度演算ユニット。生体情報解析装置。

 あの人たちは、知っている。夫が何を買い、何を作ろうとしているのか。自分に訊くまでもなく。

 何度電話をかけても、夫は出なかった。昔からそうだ。研究室に入ったら、世界が終わっても気づかない人だった。

 だから、行くしかない。

 行き先を告げたとき、ドローンタクシーの合成音声は言った。

『目的地は、特別在宅医療の登録住所です。到着予定を、看護ユニットに通知しました』

 玲子は気にも留めなかった。看護ユニットのいる家を訪ねる車は、どれもそうする。患者の容態を整え、本人に代わって客を迎える支度をさせるための仕組みだ。

 その声が、ふたたび機内に流れた。

『管制指示を受信しました。最寄りの着陸ポイントへ、ルートを自動変更します』

 体が傾く。窓の外で、景色が向きを変えた。

 玲子は後ろを振り返った。少し離れた空に、黒い機体が二つ、ぴたりとついてきている。

 見張られていた。

 最初から、帰してなどもらえていなかったのだ。

 高度が下がっていく。地上まで、一分もない。

 もう一度、夫の番号を呼び出す。呼び出し音が鳴り続けるだけだった。

 出ない。あの人は、出ない。

 合成音声が、事務的に続けた。

『目的地への到着が取り消されました。訪問先の看護ユニットに、取消を通知します。理由を音声で添えることができます。添えますか』

 玲子は、息を止めた。

 理由。

 ただの定型の問いだ。渋滞。体調不良。日を改めます。そんな一言を吹き込むだけの仕組み。

 けれど看護ヒューマノイドは、訪問に関わる通知を、必ず患者本人に伝える。夫がどれほど研究に没頭していても、あれは伝える。

 あの人が作った『誤らないパートナー』は、誤らない。

「……添えます」

 玲子は、機内のマイクに顔を寄せた。

「啓人さん。機構が来ます。私は何も話していない。でも、あの人たちは全部知っている」

 着陸脚が地面を噛む振動。窓の外に、灰色のスーツが見えた。

「逃げて。お願い」

『通知を送信しました』

 その声と、ドアが開くのは、ほとんど同時だった。

「藤堂玲子さん。ご同行願います」

 今度の声は、少しも柔らかくなかった。


   ◇


「確保しました。抵抗はありません」

 報告を受けて、会議室の空気が緩んだ。

 だが、続く言葉がそれを凍らせた。

「ただ……タクシーの通信記録に、直前の送信があります。宛先は、藤堂の看護ユニット。訪問取消の通知です。理由欄に、音声が添えられています」

 神代の眉が、わずかに動いた。

 電話には出ない。メールは塞いだ。それは正しかった。

 だが、車を降ろしたことで、扉がひとつ開いた。そしてあの男のそばには、決して伝え損なわない機械が立っている。

「……俺が開けたのか」

 低く呟いて、神代は立ち上がった。苦笑に近い表情が、一瞬だけ浮かんで消えた。

「三日後は取り消しだ。今日やる」

「今日、ですか。配信の枠は――」

「取り直せ。時間をやれば、あの男は証拠を消す。最短で、いつ回線が揃う」

 広報担当は端末を叩き、唾を飲んだ。

「……二時間後。午後一時からなら」

「それでいい」

 神代は上着を掴んだ。

「制圧部隊を出せ。黒瀬にも支度をさせろ。午後一時、世界中の目の前で、藤堂啓人を挙げる」

 スクリーンの世界地図で、放送枠の時刻が、次々と書き換わっていった。


   ◇


 郊外の住宅街は、正午を過ぎた頃から様子が変わった。

 通りという通りに規制線が張られ、交差点には機構の車両が横付けされる。上空の航路は閉鎖され、民間のドローンカーは一機残らず地上に降ろされた。

『こちらは、ヒューマン・インテグリティ機構です。条約に基づく強制査察を実施します。指定区域にお住まいの方は、係員の誘導に従い、速やかに退避してください』

 拡声器の声が、静かな家並みに繰り返し響く。

 住民たちは、わけもわからないまま家を出た。子どもの手を引く母親。杖をついた老人。誰もが、同じ方角を振り返る。

 通りの突き当たりに、高い塀と監視カメラに守られた、白亜の洋館が建っている。

 もう長いこと、人の出入りを見た者はいない。あそこに誰が住んでいるのか、近所の者は皆、知っていた。知っていて、口にしなかった。

 規制線の内側から人影が消えると、空が鳴った。

 低い唸りが、腹に響く。黒い大型のドローンカーが、編隊を組んで降下してくる。十台、十五台。ローターの風が街路樹を薙ぎ、庭先の洗濯物を吹き飛ばした。

 着地と同時に、後部のハッチが開く。

 完全武装の隊員たちが、次々と飛び降りた。黒い装甲服に、銃を構えている。号令はない。一言も発さないまま、それぞれが決められた位置へ散り、建物の四方を固めていく。

 規制線の際には、カメラがずらりと並んでいた。赤いランプが、一つ、また一つと灯る。

 包囲が、完成した。

 最後に、先頭の一機のドアが開いた。

 降りてきたのは、装甲服の男ではなかった。

 灰色のスーツ。襟には、錠前の紋章。

 神代透は急ぐでもなく地面に降り立つと、上着の裾を軽く払い、通りの突き当たりを見上げた。

 午後一時まで、あと十分。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。