第二十一話 盲点
遊覧用の大型ドローンカーは、海岸線に沿って南へ飛び続けていた。
風を切る甲高い音が、機体の外側をなぞっていく。計器盤では、赤い警告ランプがいくつも点滅していた。海風と山風がぶつかり合い、機体はときおり大きく揺れる。
ハルトは座席に深く体を沈め、乱れた呼吸を整えようとしていた。
そのとき、小さな通知音が鳴った。
店番ロボットの登録回線への、呼び出しだ。発信元は、警察本部。
レオナは画面を横目で確かめ、短く指示を送った。
『応答は不要。すべて録音して、転送だけして』
応じれば、一瞬で位置を抜かれる。だが、沈黙を通したところで、呼び出されたという事実だけで十分に危険だった。
もう、気づかれた。
レオナの目が、細く鋭くなる。休憩所に立ち寄ったこと。そこにあった遊覧機に乗り換えたこと。警察が照会をかけてきたのなら、すでに神代の耳にも届いている。
「まずいのか……?」
ハルトが、蒼白な顔で訊いた。
レオナは迷わなかった。淡々と、事実を積み上げていく。
「あの停電で、通過する機体を識別するセンサーも止まってる。だから、この機体の正確な現在地は割り出せないはず。でも神代は、私たちがどこへ向かうのが最も合理的かを、もう見抜いてる」
膝の上の端末に、これまでの経路が鮮やかな線で描き出された。
「この線を延ばせば、行き先は港だとすぐにわかる。空は追跡される。陸は囲まれる。残るのは海だけ。そして、海へ出るには港が要る。神代なら、そう読む」
ハルトの喉が鳴った。
「じゃあ……港には」
「うん。こちらが先に着いたとしても、地元の警察がもう展開を始めてる。神代自身も、部隊を連れて港へ向かってるはず」
ハルトは思わず、窓の外を見た。低い雲が風にちぎれて流れていく。追われている気配が、背中に張りついて離れなかった。
機体のどこかで、ガリッ、と嫌な音がした。遊覧機を、この速度で飛ばし続けるのは無理がある。店番ロボットの肩越しに見える推力計の針は、とうに警告域の外まで振り切れていた。
「それに、逃げ切るのは無理。向こうは速度も装備も最新鋭。遊覧機で張り合える相手じゃない。このまま真っ直ぐ飛べば、十五分以内に追いつかれる」
端末の上で、敵機の到達予想円が、刻々とこちらへ迫っていた。
「じゃあ……どうすれば……」
声が震えた。だがレオナは、わずかに首を傾げただけだった。
「神代の考えは論理的で、隙がない。だから、私たちもその論理に従うと確信してる。でも、ひとつだけ盲点がある」
「盲点……?」
「神代は、私を計算どおりに動く機械だと思ってる。だから、計算に合わない手は、想定していない」
ハルトは息を呑んだ。
「つまり……」
「港を捨てる。神代が『ありえない』と切り捨てる手を選ぶ」
「港を使わずに、どうやって海へ出るんだよ」
「それを、いまから探す」
冷たいほどの確信が、その声にあった。
神代との、知恵比べだった。
だがレオナには、神代が勘定に入れていない武器がある。
人格。感情。理に合わない選択をする自由。
ヒューマノイドなら絶対にしない、と神代が考える行動を選ぶこと。それが、勝機だった。
ハルトは、レオナの横顔を見つめていた。
焦りの色は、どこにもない。計算の結果が次々と積み上がっていくときの、あの独特の集中だけが漂っている。
どうして、ここまで冷静でいられるんだ。
彼女が何かを決めたとき、その結論はいつも常識の外側にある。そして、いつも正しかった。
ドローンカーが、速度を保ったまま急に高度を落とした。内臓がふわりと浮き上がる。海岸線が、ぐんと近づいてきた。
ハルトは深く息を吸い、目を閉じた。レオナがいる限り、まだ道は途切れていない。その直感だけを頼りに、体をシートに預ける。
「ここから先は、私に任せて。神代の手は読めてる。次に動くのは、私たち」
その声は、荒れた空の下でも、鋼のように揺るがなかった。
◇
ドローンカーは進路を南東に変え、レーダーにかからないよう、海面すれすれを飛んでいた。
下を覗けば、鉛色の海が、底のない穴のようにうねっている。
静かだった。その静けさが、かえって不気味だった。最新鋭の追跡機は、確実に近づいている。何も聞こえないのは、まだ見えていないというだけのことだ。
レオナは海岸線を睨んだまま、わずかに首を傾げた。
「レオナ……何か、見えたのか」
「見つけた。ハルト、しっかり掴まって」
店番ロボットに信号が飛ぶ。機体が一気に沈み込み、体が座席に押しつけられた。ハルトは息を呑み、手すりを両手で握りしめる。
「な、何してるんだ!」
「下。見える? あれ」
岩場に囲まれた、小さな入り江だった。その奥の浮き桟橋に、何かが繋がれて揺れている。
白いゴムボート。後ろに、銀色の船外機がひとつ。
「あれを借りる」
「はあ!? あんな小さな船で? 遠くまでは行けないぞ!」
叫びに近い声だった。だがレオナは、驚くほど落ち着いていた。
「港は、もう完全に封じられてる。周りの港も同じ。当初の計画どおり、漁船をチャーターするのは無理」
話しながらも、指は端末の上を高速で動いていた。いくつもの経路が同時に描かれ、数秒ごとに捨てられていく。
「空で勝てないなら、水上へ。水上でも勝てないなら……海の中へ逃げる」
ハルトは息を呑んだ。
「海の中……? そんなこと、本当にできるのか」
「できるかどうかじゃない。やるしかない」
氷のように冷たい声だった。
レオナの目が、しばらく虚空に据えられた。二人が降りたあと、この機体をどこへ、どう飛ばすのか。その手順を、店番ロボットに書き込んでいるのだろう。
やがて、その目に光が戻る。機内に、転送完了を告げる合成音声が響いた。
「さあ、ハルト。準備して。ここから先、私たちの旅は海になる」
声が、わずかに弾んでいた。
ハルトは、その横顔を見た。目の光が強い。指の動きが、いつもより速い。
どう見ても、興奮している。
追い詰められたこの状況を、楽しんでいるようにさえ見えた。
やっぱり、こいつには感情があるんじゃないのか。
考えないようにしてきたことが、また頭をもたげる。
レオナは、藤堂博士の家にいた看護ユニットだ。博士は、人格を持つヒューマノイドを作ろうとしていた。玲子の記憶の中で、それは確かに視た。あのとき並んでいた子ども型は、一体残らず焼かれた。残ったのは、看護ロボットのこれだけだ。
もし博士が、何かを遺そうとしたのなら。
その先を考えるのを、ハルトはやめた。
いまは、頼もしい相棒でいい。
神代は、論理で動く。
レオナは、その論理を逆手に取る。
そして彼女は、一手先を読んでいた。




