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第二十二話 囮

 店番ロボットが、操縦桿を押し込んだ。

 ドローンカーがさらに高度を落とし、白い飛沫が視界を覆う。風と波が窓を叩き、高度警告が甲高く鳴り続けた。

「レ、レオナ……本当にやるのか……?」

「ほかに手はない」

 レオナは淡々と答え、安全制御を次々に解除していく。入り江の水面まで、あと二メートル。

「着陸準備。……というか、飛び降りるんだけど」

「また、飛び降りるのかよ……!」

 ハルトの悲鳴は、風の音にかき消された。レオナが側面のドアを手でこじ開けると、暴風が機内になだれ込む。

「跳ぶよ」

「え、ちょっ――」

 言い終わる前に、レオナがハルトを抱え、外へ跳んだ。

 冷たい衝撃が、下半身を打つ。ゴムの感触。二人は狙いどおり、ボートの上に転がり込んでいた。

「いってぇ……! 大丈夫か!?」

「問題ない」

 レオナは、もう次の動作に入っていた。工具を取り出し、係留の金具に当てる。普通なら数分かかる作業が、二十秒で終わった。

「外れた。エンジン、動かすね」

 船外機のスイッチを入れると、緑のランプが灯った。

「すげえ……」

 ボートが、水面を滑るように走り出す。背後で、大型のドローンカーが飛び去っていった。ハルトは振り返ったが、レオナは一度も後ろを見ない。もう、次の手を考えているのだ。

「行くよ、ハルト。海の底へ」

 船外機が全開になり、ボートはさらに加速した。


   ◇


 ボートは波の上を跳ねながら、東へ疾走していた。

「レオナ。次の段階って……?」

「東へ三十キロ行ったところに、海洋生物の調査プラントがある。そこで、探査用の潜水艇を借りる」

「潜るのかよ」

「うん。船も港も押さえられてる。でも海の中なら、孤島まで一直線のはず」

「……『はず』って言い方、怖いんだけど」

「正確なデータがないから、多少の誤差はある。でも」

 レオナは、かすかに微笑んだ。

「大丈夫。潜水艇の航続距離は足りないけど、電源ならあるから」

「電源……?」

「私」

 即答だった。ハルトの顔が固まる。

「また、変電所みたいなことを……?」

「全固体電池に、まだ電力が残ってる。潜水艇の主電源に繋げば、潜っていられる時間を三倍に延ばせる。医療用の酸素も積んでるから、空気も問題ない」

「おい……今度はその潜水艇ってやつが黒焦げになったりしないよな」

「計算上は、ならない」

 真顔で断言してから、レオナは親指を立てた。

「……たぶん」

「た、たぶんって何だよ!?」

「そのときは、そのときでまた考えよう」

 軽い口ぶりとは裏腹に、目は真剣だった。

「ハルト、集中して。ここからは速度を落とせない。体調はどう?」

「なぜだかわからないけど……むしろ、いいんだ」

 レオナは片手で舵を取りながら、風速、波の高さ、潮の流れ、敵機の到達予測を、次々に読み取っていく。

「プラントまで、およそ四十五分。まだまだ、ここからが勝負」

「まだまだって……本当にすげえよ、お前」

「ありがとう。もっと褒めてくれてもいいよ」

「この状況で!?」

 だが、その言葉の奥にある覚悟を、ハルトは感じ取っていた。これは生き延びるための作戦だ。同時に、彼女が自分の限界へ向かっていく作戦でもあった。


   ◇


 しばらくして、レオナは通信端末を開いた。店番ロボットからの暗号化された通信が、届いている。

「そろそろ、次の手を打つ」

 指が、迷いなく動いた。

「レオナ……今度は、何を」

「囮を動かす」

 画面に、店番ロボットのアイコンが灯る。

「あの子には、森へ向かってもらった。機体を木の下に隠して、じっとしていてもらう。追手の部隊は、十五分ほどで上空を通り過ぎるはず」

「……そんなにうまく、読めるのか」

「読める。追手の最優先は、私たちの確保。神代は、ハルトを生かしたまま捕らえることを優先する。だから、港へ急ぐ。森に隠れた機体には、気づかずに通り過ぎる」

 さらに、端末を操作した。

「そして、念のためにもう十分待って、二十五分後。もう一度飛ばす」

「どっちへ」

「西」

「西になにかあるのか」

「西にずーっと、ずーっと行けば、何がある?」

「……S国?」

「そう。二百キロ先の、S国」

 ハルトは目を見開いた。

「待て待て。そんなところへ飛ばしたら……!」

「追い詰められた二人が、亡命を決意した。そう判断させるための演出」

 レオナは無表情のまま、淡々と告げた。

「政治問題になるのを恐れる神代は、必ず部隊を割く。自分も、そちらへ向かう」

「つまり……向こうの目には、俺たちが亡命しようとしているように見える。そう仕向けるってことか」

「うん。相手の考え方の型を理解して、その型に沿った『正しい選択肢』だけを、目の前に残す。そうすれば、相手は自分で選んだつもりで、こちらの望むほうへ動く」

 背筋が震えた。

「レオナ……お前、怖いくらい頭がいいな」

「ありがとう。褒め言葉として受け取る」

 最後の指令が、送信された。

「……店番ロボット、よろしく頼むな」

 ハルトが、画面のアイコンに向かって呟いた。

「休憩所の店番だったけど、いまは立派な仲間だね」

 そう言って、レオナがハルトのほうを向いた。ほんの一瞬、その顔に人間らしい温度が宿ったように見えた。

 回線の向こうから、あの声が返ってくる。

『おう、任せときんさい。わしも長いこと休憩所におったが、こういう大冒険は初めてでのう。ちいと楽しみじゃわい』

 呑気な声に、ハルトは思わず笑ってしまった。

 画面に、〈準備完了〉の表示が灯る。

「よし。これで、しばらくは追手を引き離せる」

 レオナは端末を閉じ、海を見つめた。

 誰も気づかない森の中で、一体の旧型ロボットが、「亡命」を始めようとしている。

 端末から、もう一度だけ声が聞こえた。

『まあ、あんたらも気いつけてのう。わしは西へ行くが、あんたらは東じゃ。またいつか、どっかで会えるとええのう』

 接客用に仕込まれた、口上なのだろう。そうわかっていても、別れを惜しむ人間の声にしか聞こえなかった。

「……ありがとう、店番ロボット」

 ハルトが小さく呟くと、通信は静かに途切れた。


 風が吹き抜け、海が唸る。

 やがて、東の水平線に、巨大な鉄骨の影が立ち上がった。

「見えた。あそこに入り込む」

「行こう。お前の計算を信じる」

「ありがとう、ハルト」

 その返事には、静かで深い響きがあった。


   ◇


 近づくにつれて、鉄骨の影は見上げるほどの大きさになった。

 高波を割って立つ、巨大な海上プラットフォーム。何本もの支柱が海に深く沈み、波を受けるたびに低く軋んでいる。

「でかい……これが、調査プラントか」

 ハルトは息を呑んだ。波しぶきが容赦なく顔を叩き、ゴムボートは激しく揺れる。だが、レオナは落ち着き払っていた。

「下層のドックに入る。……あそこ。波の谷に入った瞬間を狙う」

「無理だろ、それ……!」

「大丈夫。波の周期は、計算してある」

 レオナはボートの向きを整え、次の波を待った。

 強い風が吹き抜ける。ボートは海面を滑りながら、プラットフォームの下の暗がりへ吸い込まれていった。波の谷が口を開け、ボートがその底へ落ち込む。

「いま!」

 舵が切られた。ボートは水しぶきを散らしながら、プラットフォームの腹に開いたドックへ滑り込む。金属の床にぶつかって、止まった。

「っ……まだ、生きてる……」

 ハルトがへたり込むあいだに、レオナはもう動いていた。

「資材搬入口を開ける」

 ボートから跳び降り、濡れた床を軽々と進む。壁の端末を一瞥し、配線のカバーを外した。

「セキュリティが落ちるまで、三秒」

「三秒でできるのかよ!」

「五秒じゃ、遅すぎるから」

 短い電子音。扉が、横に滑って開いた。

「行こう」


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