第二十話 空の店番席
情報指令室に、警告音が走った。
複数の監視映像が高速で解析され、旧式のガソリン車が浮かび上がる。いまの時代には滅多に見かけない車種だ。それがかえって、識別を容易にした。
同じ型、同じ塗装の車が、複数の地点で確認された。追跡ドローンがその跡を辿り、山沿いの休憩所に停まっているのを捉える。地元の警察が、すでに現場へ向かっているという。
神代は報告を黙って聞き、短く息を吐いた。表情は変わらない。だが、命令は早かった。
専用機の出動が下令され、隊員たちに作戦が伝達される。搭乗口へ向かう神代の歩みは一定で、急ぐ様子はない。ただ、靴音にだけ、いつもよりわずかに力がこもっていた。
指令室の者たちは、その変化に気づきながら、何も言わなかった。神代とは、そういう男だった。
神代を乗せた機体は、もう一機を伴って上昇した。瞬く間に高度五百メートルに達し、時速四百キロで巡航に入る。
凄まじい加速の中でも、機内の十五名は微動だにしなかった。整然と並び、無駄な視線の動きひとつない。訓練を重ねた者だけが持つ、静かな威圧が満ちていた。
神代は流れる景色を背に、隊員たちの前に立った。声は抑えたままだ。
「任務は二つ。一つ目は、黒瀬透視官の身柄の確保。これを最優先とする」
淡々とした口調だった。それでも、隊員たちの背筋がさらに伸びる。
「二つ目は、黒瀬透視官に付いている看護ヒューマノイドの破壊だ。逃走後の行動から見て、命令に従わず、我々に対して排除しにくる危険がある。倫理違反個体と認定するので完全破壊を許可する」
全員の呼吸が、ひとつに揃っていた。
「皆もすでに聞いていると思うが、通常なら、パルス弾で胸部のメインモジュールを狙う。だが、あの個体は自らそれを取り外したと見られる。機体の何処かに装備されたサブモジュールで動いている可能性が高い。通常弾で、全身を確実に破壊しろ」
十五名が短く応じた。声に昂ぶりはない。無謀さもない。ただ任務を遂行する覚悟だけが、そこにあった。
その張り詰めた空気を割って、通信が入った。先に着いた地元警察からだ。
「こちら現地。車内に人影はありません。周辺を捜索中ですが、すでに逃走したものと思われます」
声には、こうした事件に慣れていない者の戸惑いが滲んでいた。
神代は調子を変えずに答えた。
「了解した。引き続き、捜索を頼む」
予想はしていた。それでも、まぶたが一瞬だけ、長く閉じた。後手に回り続けている者の、小さな揺らぎだった。
◇
山沿いの休憩所は、観光地らしい長閑さに包まれていた。
駐車場に、旧式のガソリン車が一台、静かに停まっている。鳥がさえずり、風が木々を揺らしていた。事件の現場とは思えない、平和な光景だ。
隊員たちは散開し、無駄のない動きで周囲を調べていく。地元の警察も手伝いに動くが、歩調も呼吸も、まるで違った。
「こんな山奥まで、よく逃げてきたものです」
年配の警察官が、手帳を手に話しかけてきた。
「この辺りは観光客も減って、普段は静かなところでして。こういう事件は、初めてです」
神代は、土産物屋に入った。
棚には、まばらな商品しかない。木彫りの置物。古びた絵葉書。賞味期限の近そうな菓子。窓からは山の緑が見え、小川のせせらぎが聞こえる。本来なら、心の休まる場所なのだろう。
ふと、カウンターの奥の椅子に目が留まった。
無骨な銀色の座面のスツールだ。クッションはなく、平らで硬い窪みがある。人間の尻には、合わない形だった。
近くの警察官に尋ねると、気楽な答えが返ってきた。
「ああ、それは店番ロボットの席です。人手が足りないので、旧型を一台置いているんです。……そういえば、今朝は見ていません。よく故障するので、修理に出ているのかもしれませんが」
神代は軽く頷き、もうひとつ確かめた。
「この山には、名所の滝があったはずだ。観光客を運ぶ大型のドローンカーが運行していた記録もある」
「ええ、滝の遊覧用に一機。……そういえば、今朝は駐機場にありませんでした」
警察官は言葉を切り、顔色を変えた。
「まさか、それに乗り換えたと……。いえ、確証はありません。しばらく確認していなかったもので」
神代は機体の特徴を聞き取り、即座に照合を命じた。
緊急手配が発令される。ほどなく、防犯ドローンが南の地点でその機体を捉えていた、との情報が入った。
運転者のIDは、人間のものではなかった。この休憩所の備品として登録された、旧型ロボットのものだ。
店番を、運転手に仕立てたのか。
神代の口の端が、わずかに動いた。
続いて、別の報告が重なる。
「その先は、先ほどの変電所事故の影響で、捜索不能区域です」
神代は散開した隊員たちに集結を命じ、次の地点へ向かう支度をさせた。
「後手に回ってしまい、申し訳ありません」
警察官が、硬い表情で頭を下げた。
「遊覧機の件、すぐに気づくべきでした」
「協力に感謝する。何かわかれば、連絡を頼む」
休憩所を去る前に、神代は一度だけ振り返った。
豊かな緑。青い空。鳥のさえずり。
その平和な風景の中に、周到に計算された逃走の跡が、隠されていた。
隊員たちが機体に乗り込む。地元の警察官たちが、遠巻きにそれを眺めていた。
「……あれが、機構の部隊か」
「うちとは、桁が違うな」
機体が、静かに浮き上がる。
神代は座席に腰を下ろし、目の前の地図を見つめた。
ドローンカーが捉えられた地点は、それまでの進路から、わずかに逸れている。停電の原因になった、変電所の方角へ。
「そうか……あのヒューマノイドの、充電か」
街をまるごと停電させるとは、ずいぶん無茶をしやがる。
ならば、あれは変電所へ寄り道する途中だったのだ。元の進路に戻るとすれば、行き着く先はひとつしかない。変電所から、さらに南へ三百キロ。陸地の最南端にある港。
そこから、船で逃げる気だ。
神代は命じた。
「目標を、港に変更する。全速で向かえ」
「了解しました」
機体が速度を上げ、南へ向かう。山あいの観光地は、あっという間に後ろへ消えた。
神代の目に、冷たい光が宿っていた。
もう、逃がさない。




