↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/23

第十九話 変電所

 転んだときの傷の包帯を、レオナに替えてもらっているところだった。

 ふと、その手に触れた瞬間、ハルトは息を呑んだ。

 氷のように冷たい。

 これまで何度も触れてきた、あの温度ではなかった。

「レオナ……手、冷たすぎないか」

「バッテリー節約のために、体温の維持機能を止めてる」

 あまりに当たり前のように言うので、言葉が出なかった。レオナが電池切れを起こすなど、想像したこともない。ヒューマノイドは、止まらないものだと思っていた。

「あと、どれくらい持つんだ」

 自分の先行きよりも、彼女のことが気がかりだった。声に、それが滲んだ。

「予定外のことが起きなければ、大丈夫」

 胸が、ざわついた。

「ってことは、何か起きたら駄目ってことだろ」

「そういう言い方もできる」

「駄目だ。いまレオナが動かなくなったら、逃げ方も、隠れ方も、俺には何もわからない。いや、そんなことより……お前がいなくなったら、俺はまた一人だ」

 レオナは目を伏せた。反論も、否定もしない。それが、かえって不安を煽る。

「レオナの動力って、何なんだ」

「全固体電池」

「どこで充電できる。このドローンカーの急速充電器とか」

「これは水素で動いてるから、互換性がない」

 その声に、いつもはない焦りのようなものが混じっている気がした。

「時間がない。何も起きないほうに賭けよう。確率は、だいぶ高いはず」

「だいぶ、じゃ駄目なんだよ。充電しよう。どこならできる」

 声が震えていた。大切な誰かを失うことに、怯えるように。

「専用の充電器が要るから、基本的には難しい。家庭用のコンセントでは足りない。工場や大型施設は、見つかる危険が高い」

 数秒の沈黙のあと、レオナが顔を上げた。

「ここから十五分のところに、無人の変電所がある。そこで充電する。黒焦げになる可能性はあるけど、見つかる確率はずっと低い」

 そう言って、親指を立てた。そのまま運転席の店番ロボットへ、行き先のデータを送る。受け取ったロボットも、同じように親指を立てた。

「おう、任せとき!」

「……ロボットのあいだで、親指を立てるのが流行ってるのか」

 ハルトの呟きに、レオナは小さく瞬きをしただけだった。

 やがてドローンカーは高度を下げ、変電所の手前に静かに降りた。

 レオナがすぐに降りようとする。ハルトは思わず、その腕を掴んだ。

「一人で行く気か。心配なんだよ。……一緒に来てほしいって、言ってくれよ」

 本気だった。

「では、同行をお願いする」

 くすぐったいような、軽い空気が流れた。それでも緊張は解けないまま、二人は木立の中へ入っていった。


   ◇


「ハルト。もう少し」

 振り返ったレオナが、後ろを歩くハルトに声をかける。ハルトは肩で息をしていた。

「……あそこかよ」

 指さした先、深い木立の奥に、無骨なフェンスで囲まれた施設があった。

 無人変電所。山間部の送電網を中継するためだけの、コンクリートと鉄の塊だ。変圧器の低い唸りが、夜の空気を震わせている。

「あんなところ、どうやって入るんだよ。警備ロボットとか、いるんじゃないのか」

「ここは旧式の変電所。常駐の警備はない。あるのは、センサーと高圧電流だけ」

 レオナの右の手のひらから、手術用の電動鋸が現れた。フェンスを切り開き、中へ入る。灰色の大きな塊が四基、間隔を置いて並んでいた。白い碍子から伸びた電線は鉄骨の間を渡り、奥の機器へ幾重にもつながっている。その光景が、敷地に奇妙な威圧感を与えていた。

「あの灰色の塊には近づかないで。一瞬で、ハルトのHPがゼロになる」

 二人は敷地の奥、コンクリートブロックの建屋へ向かった。制御室だ。鉄の扉には、鍵が掛かっている。

「ハルト。私がこのカバーを持ち上げるから、中の赤い線を引きちぎって。それでロックが外れる。金属の部分には触らないで。感電する」

 ハルトは震える手で、太さ一センチほどの線を掴み、体重をかけて引いた。接続部がちぎれ、ガコン、と重い音がしてロックが外れる。

「……びびった」

「お見事。さあ、中へ」

 室内は、ひんやりとしていた。壁一面の計器で、赤や緑のランプだけが点滅している。

 レオナは壁に手をつきながら、奥にある〈直流電源盤〉の前まで進んだ。この施設を動かしている、制御用の電源だ。

「コンセントなんて、ないぞ」

「家庭用の電源では間に合わない。ここの電源から、私の電池に直接流し込む。本来は電圧が合わないけど、設定を書き換えれば、一時的に引き上げられる」

 レオナが制御システムに入り込む。足元で変圧器が唸りを上げ、焦げた匂いとともに火花が散った。

 その場に膝をつき、左の脇腹の外装を外す。無骨な緊急充電用の端子が現れた。

 レオナは、工具棚に巻いてあった太いケーブルを指さした。

「あれの片方を、私の端子に。もう片方を、あの盤の『P』と『N』に繋いで」

「直結!? お前、壊れるんじゃ……」

「黒い線を『N』へ。赤い線を『P』へ。絶対に、逆にしないで。逆にすれば私は爆発して、ハルトも無事では済まない」

 ハルトの手が、止まった。

「……無理だ」

 自分の手で、彼女を壊すかもしれない。そう思うと、指が動かなかった。

「できる」

 レオナが、ハルトを見つめていた。その目にあるものが、信頼に見えた。

 ハルトは唇を噛み、ケーブルを握りしめた。赤。黒。震える指で、端子に銅線を噛ませる。

「やったぞ……!」

「接続を確認。……充電、開始」

 その瞬間、接続部から青白い火花が弾けた。

「うわっ!」

 ハルトは腰を抜かした。だが、ケーブルは繋がっている。

 轟音。

 整流器が悲鳴を上げた。施設を維持するための電力が、すべてレオナの体へ雪崩れ込んでいく。

《入力電圧、急上昇。温度警告。冷却系、全開》

 体が熱を帯び始めた。血管にあたる冷却管が全開になり、肌の継ぎ目から、蒸気が音を立てて噴き出す。

「熱っ……!」

 近くにいたハルトが、顔を背けるほどの熱だった。

「正常……」

 レオナは小刻みに震えながら、数値を見張り続けている。

「急速充電の特性を使ってる。本来なら数時間かかるのを、三百秒で終わらせる」

 制御盤の警告灯が一斉に赤く灯り、ブザーが鳴り響いた。

「うるさい! これ、ばれるぞ!」

「警報の送信は、止めてある。……くっ」

 レオナの背中が、弓なりに反った。体内を駆け巡る電流は、耐えられる限界の際にあった。作動しようとする保護装置を、力ずくで押さえ込んでいる。

 ケーブルの被覆が熱で溶け、鼻をつく匂いが部屋に充満した。

「レオナ、煙が出てる! もういいだろ!」

 大切な誰かが苦しむのを見ているような顔で、ハルトは叫んだ。

「まだ……七十二パーセント……あと、少し……」

 その瞳に、急速に光が戻っていく。

 そのときだった。

 建物の外で、重い爆発音が響いた。照明が落ち、非常灯の薄暗い明かりに切り替わる。

「な、なんだ!?」

「負荷に耐えきれずに、外の変圧器がひとつ壊れた。……仕方ない。ここまで。ハルト、ケーブルを外して!」

 ハルトは袖で手を覆い、熱くなったケーブルを引き抜いた。

 最後の火花が散り、静寂が戻る。

 レオナが、立ち上がった。

 さっきまでの重い動きは消えていた。関節は滑らかに動き、人工皮膚には体温が戻っている。

 脇腹の端子を閉じた。

「充電率、八十二パーセント。十分に動ける」

 ハルトはへたり込んだまま、呆然と彼女を見上げた。

「……お前、本当に看護ロボットなのかよ。ここ、めちゃくちゃにしちまったぞ」

「患者の命を守るためなら、変電所の一つや二つ、安い代償」

 レオナはかすかに微笑むと、驚くほど軽々とハルトを抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこだった。

「わっ、やめろよ! 歩ける!」

「もう、私が急に触れても大丈夫みたいだね。急ぐから、このままで」

 いまの爆発で、送電網に異常が出たはずだ。遠隔の監視センターは、騒ぎになっているだろう。

 レオナは窓の外を見た。東の空が、白み始めている。そして、山裾に広がっていた街の灯りが、消えていた。完全な闇だ。

「俺たちのせいで、街が停電したのか」

「うん。病院や信号は、非常用の電源に切り替わってる。確認した。そのかわり、追っ手の監視カメラも、ドローンの充電設備も、しばらくは動かない」

 暗がりの中で、レオナの瞳が青く鋭く光った。

「逃げるなら、いましかない。しっかり掴まってて」

 ハルトを抱えたまま、扉を蹴り開ける。外気は冷たい。だが、レオナの体は充電の余熱で、まだ温かかった。

 焦げた匂いのする変電所を背に、二人はドローンカーの待つ木立の向こうへ駆け出した。

 その足取りは、さっきまでとは比べものにならないほど力強く、どこか誇らしげだった。

 しがみついた腕から、温もりが伝わってくる。

 温かい。動いている。

「……よかった」

 小さな呟きを、レオナは聞き逃さなかった。

「ハルト?」

「何でもない。……ただ、お前が無事でよかった」

 レオナのサブモジュールの奥で、何かが温かく広がった。

 演算では説明のつかない、人間が「幸福」と呼ぶものに近い感覚だった。

 残された無人の変電所では、焼き切れた回路から細い煙が立ちのぼり、朝を待たずに沈黙していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。