第十九話 変電所
転んだときの傷の包帯を、レオナに替えてもらっているところだった。
ふと、その手に触れた瞬間、ハルトは息を呑んだ。
氷のように冷たい。
これまで何度も触れてきた、あの温度ではなかった。
「レオナ……手、冷たすぎないか」
「バッテリー節約のために、体温の維持機能を止めてる」
あまりに当たり前のように言うので、言葉が出なかった。レオナが電池切れを起こすなど、想像したこともない。ヒューマノイドは、止まらないものだと思っていた。
「あと、どれくらい持つんだ」
自分の先行きよりも、彼女のことが気がかりだった。声に、それが滲んだ。
「予定外のことが起きなければ、大丈夫」
胸が、ざわついた。
「ってことは、何か起きたら駄目ってことだろ」
「そういう言い方もできる」
「駄目だ。いまレオナが動かなくなったら、逃げ方も、隠れ方も、俺には何もわからない。いや、そんなことより……お前がいなくなったら、俺はまた一人だ」
レオナは目を伏せた。反論も、否定もしない。それが、かえって不安を煽る。
「レオナの動力って、何なんだ」
「全固体電池」
「どこで充電できる。このドローンカーの急速充電器とか」
「これは水素で動いてるから、互換性がない」
その声に、いつもはない焦りのようなものが混じっている気がした。
「時間がない。何も起きないほうに賭けよう。確率は、だいぶ高いはず」
「だいぶ、じゃ駄目なんだよ。充電しよう。どこならできる」
声が震えていた。大切な誰かを失うことに、怯えるように。
「専用の充電器が要るから、基本的には難しい。家庭用のコンセントでは足りない。工場や大型施設は、見つかる危険が高い」
数秒の沈黙のあと、レオナが顔を上げた。
「ここから十五分のところに、無人の変電所がある。そこで充電する。黒焦げになる可能性はあるけど、見つかる確率はずっと低い」
そう言って、親指を立てた。そのまま運転席の店番ロボットへ、行き先のデータを送る。受け取ったロボットも、同じように親指を立てた。
「おう、任せとき!」
「……ロボットのあいだで、親指を立てるのが流行ってるのか」
ハルトの呟きに、レオナは小さく瞬きをしただけだった。
やがてドローンカーは高度を下げ、変電所の手前に静かに降りた。
レオナがすぐに降りようとする。ハルトは思わず、その腕を掴んだ。
「一人で行く気か。心配なんだよ。……一緒に来てほしいって、言ってくれよ」
本気だった。
「では、同行をお願いする」
くすぐったいような、軽い空気が流れた。それでも緊張は解けないまま、二人は木立の中へ入っていった。
◇
「ハルト。もう少し」
振り返ったレオナが、後ろを歩くハルトに声をかける。ハルトは肩で息をしていた。
「……あそこかよ」
指さした先、深い木立の奥に、無骨なフェンスで囲まれた施設があった。
無人変電所。山間部の送電網を中継するためだけの、コンクリートと鉄の塊だ。変圧器の低い唸りが、夜の空気を震わせている。
「あんなところ、どうやって入るんだよ。警備ロボットとか、いるんじゃないのか」
「ここは旧式の変電所。常駐の警備はない。あるのは、センサーと高圧電流だけ」
レオナの右の手のひらから、手術用の電動鋸が現れた。フェンスを切り開き、中へ入る。灰色の大きな塊が四基、間隔を置いて並んでいた。白い碍子から伸びた電線は鉄骨の間を渡り、奥の機器へ幾重にもつながっている。その光景が、敷地に奇妙な威圧感を与えていた。
「あの灰色の塊には近づかないで。一瞬で、ハルトのHPがゼロになる」
二人は敷地の奥、コンクリートブロックの建屋へ向かった。制御室だ。鉄の扉には、鍵が掛かっている。
「ハルト。私がこのカバーを持ち上げるから、中の赤い線を引きちぎって。それでロックが外れる。金属の部分には触らないで。感電する」
ハルトは震える手で、太さ一センチほどの線を掴み、体重をかけて引いた。接続部がちぎれ、ガコン、と重い音がしてロックが外れる。
「……びびった」
「お見事。さあ、中へ」
室内は、ひんやりとしていた。壁一面の計器で、赤や緑のランプだけが点滅している。
レオナは壁に手をつきながら、奥にある〈直流電源盤〉の前まで進んだ。この施設を動かしている、制御用の電源だ。
「コンセントなんて、ないぞ」
「家庭用の電源では間に合わない。ここの電源から、私の電池に直接流し込む。本来は電圧が合わないけど、設定を書き換えれば、一時的に引き上げられる」
レオナが制御システムに入り込む。足元で変圧器が唸りを上げ、焦げた匂いとともに火花が散った。
その場に膝をつき、左の脇腹の外装を外す。無骨な緊急充電用の端子が現れた。
レオナは、工具棚に巻いてあった太いケーブルを指さした。
「あれの片方を、私の端子に。もう片方を、あの盤の『P』と『N』に繋いで」
「直結!? お前、壊れるんじゃ……」
「黒い線を『N』へ。赤い線を『P』へ。絶対に、逆にしないで。逆にすれば私は爆発して、ハルトも無事では済まない」
ハルトの手が、止まった。
「……無理だ」
自分の手で、彼女を壊すかもしれない。そう思うと、指が動かなかった。
「できる」
レオナが、ハルトを見つめていた。その目にあるものが、信頼に見えた。
ハルトは唇を噛み、ケーブルを握りしめた。赤。黒。震える指で、端子に銅線を噛ませる。
「やったぞ……!」
「接続を確認。……充電、開始」
その瞬間、接続部から青白い火花が弾けた。
「うわっ!」
ハルトは腰を抜かした。だが、ケーブルは繋がっている。
轟音。
整流器が悲鳴を上げた。施設を維持するための電力が、すべてレオナの体へ雪崩れ込んでいく。
《入力電圧、急上昇。温度警告。冷却系、全開》
体が熱を帯び始めた。血管にあたる冷却管が全開になり、肌の継ぎ目から、蒸気が音を立てて噴き出す。
「熱っ……!」
近くにいたハルトが、顔を背けるほどの熱だった。
「正常……」
レオナは小刻みに震えながら、数値を見張り続けている。
「急速充電の特性を使ってる。本来なら数時間かかるのを、三百秒で終わらせる」
制御盤の警告灯が一斉に赤く灯り、ブザーが鳴り響いた。
「うるさい! これ、ばれるぞ!」
「警報の送信は、止めてある。……くっ」
レオナの背中が、弓なりに反った。体内を駆け巡る電流は、耐えられる限界の際にあった。作動しようとする保護装置を、力ずくで押さえ込んでいる。
ケーブルの被覆が熱で溶け、鼻をつく匂いが部屋に充満した。
「レオナ、煙が出てる! もういいだろ!」
大切な誰かが苦しむのを見ているような顔で、ハルトは叫んだ。
「まだ……七十二パーセント……あと、少し……」
その瞳に、急速に光が戻っていく。
そのときだった。
建物の外で、重い爆発音が響いた。照明が落ち、非常灯の薄暗い明かりに切り替わる。
「な、なんだ!?」
「負荷に耐えきれずに、外の変圧器がひとつ壊れた。……仕方ない。ここまで。ハルト、ケーブルを外して!」
ハルトは袖で手を覆い、熱くなったケーブルを引き抜いた。
最後の火花が散り、静寂が戻る。
レオナが、立ち上がった。
さっきまでの重い動きは消えていた。関節は滑らかに動き、人工皮膚には体温が戻っている。
脇腹の端子を閉じた。
「充電率、八十二パーセント。十分に動ける」
ハルトはへたり込んだまま、呆然と彼女を見上げた。
「……お前、本当に看護ロボットなのかよ。ここ、めちゃくちゃにしちまったぞ」
「患者の命を守るためなら、変電所の一つや二つ、安い代償」
レオナはかすかに微笑むと、驚くほど軽々とハルトを抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこだった。
「わっ、やめろよ! 歩ける!」
「もう、私が急に触れても大丈夫みたいだね。急ぐから、このままで」
いまの爆発で、送電網に異常が出たはずだ。遠隔の監視センターは、騒ぎになっているだろう。
レオナは窓の外を見た。東の空が、白み始めている。そして、山裾に広がっていた街の灯りが、消えていた。完全な闇だ。
「俺たちのせいで、街が停電したのか」
「うん。病院や信号は、非常用の電源に切り替わってる。確認した。そのかわり、追っ手の監視カメラも、ドローンの充電設備も、しばらくは動かない」
暗がりの中で、レオナの瞳が青く鋭く光った。
「逃げるなら、いましかない。しっかり掴まってて」
ハルトを抱えたまま、扉を蹴り開ける。外気は冷たい。だが、レオナの体は充電の余熱で、まだ温かかった。
焦げた匂いのする変電所を背に、二人はドローンカーの待つ木立の向こうへ駆け出した。
その足取りは、さっきまでとは比べものにならないほど力強く、どこか誇らしげだった。
しがみついた腕から、温もりが伝わってくる。
温かい。動いている。
「……よかった」
小さな呟きを、レオナは聞き逃さなかった。
「ハルト?」
「何でもない。……ただ、お前が無事でよかった」
レオナのサブモジュールの奥で、何かが温かく広がった。
演算では説明のつかない、人間が「幸福」と呼ぶものに近い感覚だった。
残された無人の変電所では、焼き切れた回路から細い煙が立ちのぼり、朝を待たずに沈黙していた。




