↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/20

第十七話 北へ向かう光点

 午前三時。

 機構の地下、生体モニター室。定時の確認に立った医療班の当直は、画面を三度見返した。

 脈拍、体温、呼吸。すべて正常。

 異常なのは、位置情報だけだった。

 黒瀬透視官の現在地が、北極圏へ向かって猛烈な速さで移動している。

 誤作動を疑い、ログを何度も確かめた。だが数値は冷酷に更新され続ける。背筋を冷たいものでなぞられたような感覚のまま、彼は七階の詰め所を呼び出した。

 応答はない。

 宿直の警備員を七階へ向かわせる。返ってきた報告は、決定的だった。

「黒瀬透視官、部屋にいません。看護ヒューマノイドも消えています」

 扉を開けた部屋は、人の気配をすべて削ぎ落としたように静まり返っていた。

 館内は騒然となった。当直の全員が捜索に駆り出され、廊下、搬入口、医療室、立ち入り制限区画と、あらゆる場所に散っていく。

 数分後、ロビーから切迫した声が入った。

「警備員が眠らされています! 玄関のロックが、内側から解除されています!」

 そして、駐車場を確認した職員が、最後の一報をもたらした。

「バイクが一台、消えています!」

 黒瀬ハルトは看護ヒューマノイドを伴い、夜の街へ出ていったのだ。


   ◇


 午前三時三十分。

 神代のもとに、緊急連絡が入った。報告する声は震えていた。

 神代は短く応じ、次々と指示を出した。

「館内のカメラとセンサーの記録を、時系列で洗え。黒瀬の生体モニターと照合しろ。消えたバイクの行き先を、交通網のデータで追え。周辺の道路、高速、離着陸場に警戒を敷け。武器は使うな」

 声は冷静で、抑揚がなかった。だが、その目には鋭い光が宿っている。

「発見した場合は、黒瀬透視官の生命を最優先にしろ。いいな」

「了解しました」

 神代はすぐに、ハルト本人へ回線を繋いだ。繋がらない。ネットワークに接続されていません、という無機質な自動応答が返ってくるだけだった。

 看護ヒューマノイドの集音記録も確かめた。聞こえるのは、砂を噛むような雑音だけだ。

 焦りと苛立ちと、それとは別の何かが、胸の底に混ざり合って沈んでいく。


   ◇


 午前三時四十五分。

 神代は本部に着いた。騒然とする廊下を、歩調ひとつ変えずに進む。行き交う職員たちが、無言で左右に道を開けた。

 その足取りとは裏腹に、脳裏には昨日の出来事が蘇っていた。

 自分の、軽率さ。

 手帳見たさに、あいつのすぐそばまで踏み込んだ。相手は、人の負の感情を読む人間だというのに。

 あのとき、胸にあったもの。

 ハルトの脳を生きたまま摘出し、装置に接続して、永続するシステムにする。公表されていない極秘の計画だ。知る者は限られている。

 それを、ハルトが視たのだとしたら。

 すべての辻褄が合う。逃げた理由。行動の急さ。そして、あの笑顔。

 神代は唇を噛んだ。

 ハルトが真実に辿り着いたのなら、原因が自分にあることも、いずれ知れる。

 あの力を永続させるために、機構は研究にも設備にも、莫大な予算を注ぎ込んできた。地位を失うだけでは済まない。監視を任された者として、確実に処分される。

 消されることさえ、あり得る。

 だからこそ、見つけ出さなければならなかった。

 情報指令室に入り、並んだ画面を睨む。指示が飛び、端末の光が走り、靴音が響いている。

 ハルトの認証記録は、空港でチャーター機と買い物に使われたのを最後に途切れていた。位置情報は、北極圏へ向かう機上を示している。

 鎮静ガス。眠らされた二人の警備員。争った形跡はない。見事なまでに静かな逃走だった。

 ハルトに、そんな知識も手際もあるはずがない。

 では、あいつが「レオナ」と呼ぶ看護ヒューマノイドが、機会を窺っていたのか。

 手帳を覗いたあの瞬間に、ハルトが目を覚ましたこと。あれも、仕組まれていたのか。いや、そもそも眠っているハルトの足元に手帳が落ちたこと自体が、計画だったのではないか。

 神代は息を吐いた。

 あの少年は十七歳。病に侵され、命は長くない。だがその力は、使い方ひとつで世界の権力の形を変える。だから機構は、手放さない。決して。

 背後の職員に告げる。

「捜索を、地上だけでなく空域にも広げろ。海上の航路も照会をかけろ。周辺の自治体と管制局に通知。ただし、情報は伏せておけ。外に漏らすな。これは内部で処理する」

 返事が重なり、人が動き出す。

 神代は画面に目を戻した。昨日の、ハルトの顔がよぎる。穏やかな笑み。あれは、仮面だったのだ。

 このまま逃がすわけにはいかない。どんな理由があろうと。


   ◇


 機体は、管制の呼びかけに応じていなかった。

 民間機とはいえ、このまま他国の領空に入れば、迎撃の対象になる。

 ここまでの逃走には、明らかに計画性がある。だがハルトには、航空路の知識も、軍事空域を見分ける判断力もない。では、誰が航路を選んだのか。

 その疑問に行き当たった途端、ぞっとするものが背を走った。

 チャーター機には、緊急遠隔操作の仕組みが載っているはずだ。乗っ取りへの対策として、搭載が義務づけられている。

 神代は即座に命じ、運航会社に機密任務として着陸誘導を要請させた。三十分後に最寄りの空港へ降ろせる、との返答だった。現地の機構員も、すでに配置についている。

 時間だけが、胃を削るように過ぎていった。指先が、無意識に机を叩いていた。


   ◇


 午前四時二十五分。

 現地からの映像が、大型モニターに映し出された。

 着陸してくる機体。現地の監視員が、息を呑む。

 ドアが、開いている。

 神代は画面に顔を寄せた。途中で降りたのか。どこで。

 ハルトの位置情報は、依然として機内を示している。

 着陸後、内部の確認が入った。緊急脱出用のスーツが、二着なくなっていた。

 ハルトにあれが扱えるとは思えない。ヒューマノイドの関与は、もはや疑いようがなかった。

 次の報告が、さらに神代の喉を締め上げた。

 看護ヒューマノイドのメインモジュールが機体の制御装置に接続され、黒瀬ハルトの生体データを送信し続けていたというのだ。

 喉の奥が、焼けるように熱くなった。

 ヒューマノイドが、自分でやったというのか。

 もしそうなら、藤堂啓人は、人格を完成させていたことになる。そして、あの査察でただ一体だけ破壊を免れた機体に、それを仕込んでいた。

 あり得るのか。本当に。

 検査は通したはずだ。感情値の測定も。それを、すり抜けたというのか。

 藤堂の死の意味が、反転する。

 心を覗かれれば逃げ切れない。そう悟って死を選んだのだと、思っていた。違う。あの男が恐れたのは、自分の罪が暴かれることではない。あの看護ユニットの中身を、知られることだったのではないか。

 ぞくりとした。

 そして、焼くには惜しいと言ってあれを残し、ハルトに贈ったのは、ほかでもない自分だ。

 もしこれが真実なら、失態はハルトを逃がしたことだけではない。人格を持つヒューマノイドを、世に放ったことになる。機構の理念そのものを、根底から覆す事態だ。

 破壊しなければ。

 思考の底で、声が囁いた。

 神代は深く息を吐き、切り替えた。

「どこで降りたのか。どちらへ向かったのか。離陸までの足取りを、もう一度洗え」

 部下が即座に報告する。

「空港で、数日分の食料と衣服を購入しています」

「どんな服だ」

「薄手の黒いジャケットです」

「なら、北へ行く気はない。暖かいところへ向かっている」

 神代は立ち上がった。

「黒瀬の体力と発作を考えれば、野山を歩くような移動は無理だ。離陸してまもなく降りたとすれば、いちばん近い街へ出る。少年一人と、ヒューマノイド一体。周辺の監視網に照会をかけろ」

 命令が次々と飛び、部下たちが動き出す。

 神代は、窓の外を見上げた。夜明け前の空が、薄紫の闇から少しずつ色を変えていく。

 輪は、狭まりつつある。

 だが、あのヒューマノイドの意図は、依然として見えなかった。

 手帳を落とし、ハルトを目覚めさせ、こちらの腹の底を読ませた。北へ向かうと見せかけて、別の方角へ消えた。

 あれは、俺を翻弄している。

 だが、それにも限りがある。

 地上で使える移動手段は多くない。必ずどこかで、補給か乗り換えが要る。そこを押さえればいい。

 追跡網の再構築。通行車両の照合。周辺への聞き込み。道路封鎖の準備。命令を重ねながら、ひとつだけは繰り返した。黒瀬には、傷ひとつ付けるな。

 端末が震えた。追跡網が、次の地点を示している。

 神代は動き出した。夜が明ける前に、すべてを終わらせるつもりで。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。