↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/100

選んだもの


訓練場を抜けて、ギルドの表の通りに出た。


どこへ行くつもりなのか、自分でもわからなかった。足だけが、勝手に宿のほうへ向かっていた。下層区へ下りる坂の途中で、うしろから足音が追いついてきた。


「待ちなさいよ」


ネルだった。


息を切らしたまま、俺の前に回りこんだ。耳がぴんと立っていた。


「ごめん」


「謝ってほしいんじゃないの」


ネルは、俺の顔をのぞきこんだ。坂の上の灯りが、ネルの目に小さく映っていた。


「何、考えてたか言って」


俺は、しばらく黙っていた。


坂の下から、酒場の笑い声がのぼってきた。誰かが鍋を叩いて歌っていた。


「俺がいなかったら」


声が、勝手にこぼれた。


「俺がいなかったら、父さんと母さんは、みんなと一緒に行けてた。行けてたら、帰ってこられたかもしれない。みんなも。帰ってこられなくても、二人は、自分で選んで行けた」


ネルは、黙って聞いていた。


「二人が十六年も名前を隠してたのは、俺のせいで」


「バカじゃないの」


ネルの声が、坂に響いた。


酒場の歌が、一瞬だけ途切れた。


「あんたが生まれてなかったら、あたし、今も荷物持ちよ」


ネルは、俺の胸ぐらをつかんだ。背伸びをしても、目の高さはそろわなかった。


「重い荷物しょって、ほつれた袖のまま、銅貨投げつけられて、それ拾って。ばあちゃんの店は、知らない人の物置のまま。あたしは、店の前を走って通りすぎるだけ。ずっと、ずっとよ」


胸ぐらをつかむ手が、震えていた。


「東の丘で、あんたが声をかけてきたの。綻びって布だけのものかって、聞いてきたの。あんたが、生まれてきたからでしょ」


「ネル」


「あの二人が何を手放したかなんて、あたしは知らない。でも、何をもらったかは知ってる」


ネルは、俺の胸を拳でどんと叩いた。


「これよ」


もう一回、どんと叩いた。


「あんたが、申し訳ないって顔して生きてたら、あの二人が選んだものを、あんたが自分で踏んづけることになるの。わかる?」


俺は、何も言えなかった。


ネルは、胸ぐらから手を離した。それから、袖の端でごしごしと自分の目をこすった。


「……わかったら、帰るわよ。明日も、支度があるんだから」


ネルは、くるりと背を向けて坂を下りはじめた。


尻尾が、ぶんぶんと揺れていた。怒っているときの揺れ方だった。


俺は、その背中を追いかけた。



◇


その夜は、眠れなかった。


寝台に横になって、天井の木目を見ていた。隣の部屋から物音はしなかった。でも、ネルが起きているのはわかった。


窓の外で、こつん、と小さな音がした。


軒の上に、銀色の髪が見えた。


窓を開けると、シェイラは軒の端に腰かけていた。膝の上に、菓子屋の包みを一つ乗せていた。


「父さんと母さんは」


「宿の、下の部屋。おかみさんが、一つ空けてくれた」


シェイラは、夜の空を見ていた。


「サラが、ずっと私の手を握ってた。昔と、同じ。治すときの手」


俺は、窓枠に腕をかけた。


しばらく、二人とも黙っていた。


「君は、自分のせいだと思ってる」


シェイラが言った。


問いかけではなかった。


「あの子に、怒られた?」


「……坂の途中で」


「そう」


シェイラの口のはしが、ほんの少しだけ上がった。


「私は、置いていかれた側。みんなに。それから、あの二人にも」


紫の目が、俺を見た。


「だから、私が言う」


風が、銀色の髪を揺らした。


「あの二人が残ったから、君がいる」


シェイラは、少しだけ言葉を止めた。


「……それで、よかった」


胸の奥で、何かがほどけた気がした。


慰霊碑の前で、十六年ひとりで石を見上げてきた人だった。その人が、よかったと言った。


「ブラムの約束。私、知らなかった」


シェイラは、膝の上の包みを見下ろした。


「だから、ブラムのぶん、私が預かる」


「預かる?」


「いちばん大きいの。いつか、君に渡す」


それだけ言って、シェイラは包みを懐にしまった。


「まだ、食べない。今は」


そう言って、音もなく軒の向こうへ消えた。



◇◆◇




夜明け前に、扉が叩かれた。


開けると、父さんが立っていた。手に、木剣を二本持っていた。


「顔を貸せ」


まだ暗い通りを、父さんの背中について歩いた。ギルドの裏の訓練場に着くと、東の空がうっすらと白みはじめていた。


訓練場の端で、白銀の鎧が剣を振っていた。


レオンだった。誰より早く、ここで剣を振る。それは、登録した日から変わらなかった。


レオンは俺たちに気づいて、剣を止めた。何も言わずに、訓練場の柵のほうへ下がった。


父さんは、木剣を一本、俺に放った。


「家の庭でやったときは、泡も小細工もなしだった」


父さんは、自分の木剣を軽く振った。


「今日は、ありだ」


「……いいの」


「未開の地で、泡を使わずに死ぬ気か」


父さんは、構えた。


ゆっくりとした構えだった。でも、庭で見たのとは違った。肩の力が抜けて、足の運びに迷いがなかった。


これが、S級の構えだった。


俺は、木剣を握りなおした。


父さんが、踏みこんできた。


速かった。一撃目を受けた手が、骨までしびれた。二撃目を流して、三撃目で下がった。


足もとに、米粒ほどの泡を三つ。


父さんの右足が、泡を踏む寸前で止まった。踏まずに、かかとで横へずらした。


見えている。


十六年、剣を握っていなかった人の動きじゃなかった。


「それが、滑り泡(スリップバブル)か」


「手紙に、書いたから」


「書いてあった。見るのは、初めてだ」


父さんは、楽しそうだった。


次の踏みこみは、もっと速かった。俺は下がりながら、父さんの足の運びを見た。右に踏むとき、必ず小さく左に重心が寄る。庭で四回死んだとき、ずっと見ていた癖だった。


父さんが右に踏んだ。


その一歩先に、泡を一つ。


今度は、踏んだ。


父さんの膝が、がくりと落ちた。


父さんは、片手を地面について、すぐに立てなおした。木剣が、俺の脇腹の手前を払った。


俺は、もう父さんの懐に入っていた。


父さんの喉もとで、木剣を止めた。


東の空から、最初の光が訓練場に差しこんできた。


父さんは、しばらく動かなかった。


それから、木剣を下ろした。


「今、俺は何回死んだ」


俺は、息を整えてから答えた。


「……二回」


父さんの眉が、上がった。


「泡を踏んで、膝をついたとき。それと、今」


父さんは、目を細めた。


「合ってる」


そう言ってから、急に、腹の底から笑いだした。


「わははっ」


訓練場じゅうに響く声だった。


柵の外で、母さんが口もとを押さえていた。いつのまに来ていたのか、わからなかった。


いつもいちばん大きな声で笑ってた。


シェイラの言葉を思いだした。慰霊碑の石の中にいた人の笑い声が、今、ここにあった。


父さんは、地面にどかりと座りこんだ。俺も、その隣に座った。


しばらく、二人で朝の光を見ていた。


「お前は、俺たちが夢を捨てたと思ってるだろう」


父さんが言った。


「お前のために」


俺は、答えなかった。


「違う」


父さんは、木剣を膝の上に置いた。


「捨てたんじゃない。選んだんだ。お前を」


訓練場の土の上に、二人分の影が長く伸びていた。


「あの晩、黙ってたのは、選べなかったからじゃない。もう選んでたのを、口に出せなかっただけだ。行きたい気持ちも、まだあったからな。ブラムは、それを見抜いてた」


父さんは、空を見上げた。


「十六年、一度も後悔したことがないとは言わん。だが、選びなおせと言われても、俺は同じほうを選ぶ。何回でもだ」


柵の向こうから、母さんが歩いてきた。


母さんは、俺の前にしゃがんだ。俺の木剣を握った手を、両手で包んだ。


「それにね、リト」


母さんの手は、あたたかかった。


「未開の地は、あなたの夢よ。私たちの夢の続きじゃない。五歳の夜、あなたは本を指さして、見たことないもの全部見るって言ったわ。あれは、あなたが自分で見つけた夢」


母さんは、少しだけ笑った。


「あのとき、ちょっとだけ泣きそうになったけど」


「……なんで」


「うれしかったのよ。この子も、同じものを見たがるんだって」


俺の手を包む指に、力がこもった。


「だから、あなたが見てきて。それで、帰ってきて、話を聞かせて」


手紙の最後に、俺が書いた一行だった。


いつか、話を聞かせてください。


それが、今、俺に返ってきていた。


「行かせん、は取り消す」


父さんが、立ちあがった。土を払って、俺に手を差しだした。


「その代わり、一つだけだ」


俺は、その手をつかんで立ちあがった。


「帰ってこい」


父さんの手は、分厚くて、硬かった。


「今度は、名前を隠さずに、門の前で待っててやる」


「……うん」


それしか言えなかった。でも、それで足りた気がした。



◇


父さんと母さんが宿へ戻っていったあと、柵のそばから白銀の鎧が歩いてきた。


レオンだった。


「あれが、お前の親父か」


「……見てたのか」


「俺が先にいたんだ。見るなと言われた覚えもない」


レオンは、俺が持っている木剣を見た。それから、自分の腰の長剣を外して、柵に立てかけた。訓練場の隅の木剣を一本取った。


「貸しを返せ。一つ目だ」


「今?」


「もうすぐ出るんだろう。出たら、しばらく返せん」


レオンは、木剣を構えた。


「泡も、ありだ。隠すものは、もうないはずだな」


俺は、構えた。


レオンの木剣に、風がまといついた。木剣なのに、切っ先の向こうの空気が揺れて見えた。


踏みこみは、父さんより速かった。でも、父さんより読みやすかった。まっすぐで、迷いがない。登録した日から、ずっとそういう剣だった。


足もとに泡を敷いた。レオンの風が、泡をまとめて吹き飛ばした。


「同じ手は食わん。石切り場の坂で、覚えた」


二撃、三撃。受けるたびに、腕がしびれた。


吹き飛ばされた泡の一つが、レオンの背中のほうへ流れていった。


俺は、その泡をレオンの足のうしろで止めた。


レオンが下がろうとして、かかとが泡に触れた。


ほんの一瞬、レオンの体が傾いた。


その一瞬で、俺は踏みこんだ。


レオンも、傾いたまま踏みこんできた。


二本の木剣が、同時に止まった。


俺の木剣は、レオンの喉もとに。レオンの木剣は、俺の首の横に。


朝の光の中で、二人とも動かなかった。


「……相打ちか」


レオンが、低く言った。


「みたいだ」


レオンは、木剣を下ろした。しばらく、俺の顔を見ていた。


「今のは、隠してないな」


「隠してない」


「なら、いい」


レオンは、柵に立てかけた長剣を腰に戻した。


「お前の隠し事を暴くのは、俺だと言った。暴く前に、お前が自分で全部出した。癪だが、それで一つ目は帳消しだ」


「二つ目は」


レオンは、背を向けた。


数歩歩いてから、振り返らずに言った。


「帰ってきてから返せ」


白銀の背中が、訓練場の出口へ向かった。


「待ってるぞ。……リト」


俺は、木剣を握ったまま立っていた。


チビ種火、ではなかった。


登録した日から、一度も呼ばれたことのない呼び方だった。



◇◆◇




それから三日、支度の続きをした。


父さんは、昼のあいだずっとガンツ親方の工房に入りびたっていた。母さんは、ネルと一緒にばあちゃんの店で外套の裾を直していた。シェイラは、ときどき店の戸口に座って、二人の手もとを見ていた。


出発の前の日の昼、ネルが店にルカを呼んだ。


ルカは、妹の手を引いて坂をのぼってきた。うしろに、チビたちが四人ぞろぞろとついてきた。


「なんだよ。別れの挨拶なら、手短にしろよ」


ルカは、欠けた前歯を見せて言った。つま先の開いた靴で、店の敷居をまたいだ。


ネルは、裁ち台の引き出しから鉄の鍵を取りだした。


それを、ルカの手にのせた。


「留守番、頼みたいの」


ルカは、手の中の鍵を見下ろした。


「……は?」


「あたしたちが帰ってくるまで、この店に住んでいいわ。チビたちも一緒に。二階は狭いけど、雨はもらないから」


ルカの顔から、表情が消えた。


「妹ちゃんの裁縫も、ここでなら続けられるでしょ。糸と布は、棚の下の段のを使って。いちばん上の棚は、触らないで」


「ネルせんせい」


ルカの妹が、ネルの袖をつかんだ。


「ここに、いていいの」


「いていいの。そのかわり、綻びは、見つけたらすぐに繕うこと」


妹は、何度もうなずいた。チビたちが、店の中をきょろきょろと見まわしていた。いちばん小さい子が、裁ち台の下にもぐりこんだ。


ネルが小さいころ、寝ていた場所だった。


ルカは、まだ鍵を見ていた。


「金は」


「いらない」


「金で動かねえやつは、信用できねえって」


「留守番代は、タダにしといてあげる」


ネルは、腕を組んだ。


「その代わり、店を他人の物置にしたら、承知しないから」


ルカは、しばらく黙っていた。


それから、鍵を継ぎはぎの外套の内側にしまった。


「……帰ってこなかったら、もらうからな」


「帰ってくるわよ」


「知ってる」


ルカは、そっぽを向いた。


「だから、言ったんだ」


裁ち台の下から、くすくすと笑う声がした。



◇


その夜、父さんは火酒の瓶を提げて出かけていった。


「ガンツのとこだ。酒は持ってこいと言われたからな」


戸口で、父さんは振り返った。


「ギルドの大男も来るらしい。朝までには帰る」


母さんが、ため息をついた。


「十六年ぶんだもの。朝で済むかしら」


母さんは、ネルと並んで、店から持ち帰った三着の外套を宿の卓に広げた。裏から縫いなおした縫い目を、指でなぞった。


「上手ね」


「ばあちゃん仕込みですから」


ネルは、少しだけ胸を張った。


「私より、ずっと上手」


「知ってます」


母さんが、声を立てて笑った。ネルも、つられて笑った。


俺は、窓のそばに立って、二人の笑い声を聞いていた。


外套が三着。背負い袋が三つ。ネルが一枚ずつ読んで揃えた書付の束。ガンツ親方が研ぎなおした紅糸と白糸。布をほどいたままの、父さんのナイフ。


窓の外の軒に、銀色の髪が見えた。シェイラは、今夜も部屋には入ってこなかった。軒の端に座って、南の空を見ていた。


南の空に、ほかより少し明るい星が一つ、光っていた。


明日の朝、出る。


もう、何も隠さずに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。