夜の西の門
「名前が出てたって、どういうことですか」
俺が聞くと、レオンは通りの人の流れから目を離さずに答えた。
「言ったとおりだ。お前たちの名前と、パーティの名前。それと、城の地下倉に何日も出入りしていた、ということ」
城に入る者は、すべて帳面に名前を書かれる。俺たちが鼠退治で地下倉に入った日も、きっと全部書かれている。
その帳面を、誰が読めるのか。
「お父さんは、なんて」
「父上は、使いにこう言っただけだ。ギルドの冒険者のことは、ギルドに聞け」
レオンは、少しだけ口のはしを曲げた。
「味方をしたわけじゃない。父上は、城の中では誰の味方もしない。そうやって、家を守ってきた人だ」
ネルが、レオンの横顔をじっと見ていた。
「……じゃあ、あんたはなんで、それをあたしたちに言いに来たのよ」
レオンは、ネルを見下ろした。それから、俺のほうに目を移した。
「俺は、お前が何を隠してるかは知らん」
青い目が、まっすぐだった。
「だが、お前が城で盗みや悪さをするような奴じゃないのは、知ってる。登録の日から、ずっと見てきたからな」
レオンは、ふんと鼻を鳴らして、背を向けた。
「勘違いするなよ。お前の隠し事を暴くのは、俺だ。典礼の役人ごときに先を越されるのは、気に食わん」
白銀の鎧の背中が、人混みの中へ遠ざかっていった。剣聖様だ、とまた誰かがささやいた。
ネルの尻尾が、ゆっくり一回揺れた。
「……あいつ、ちょっとだけ、いい奴ね」
「ちょっとだけな」
◇
夕方、宿に戻ると、おかみさんが帳場の下から紙を一枚出してきた。
「さっき、知らない子が持ってきたよ。あんたたちに渡してくれって。銅貨をもらったらしくて、渡したらすぐ走っていっちまった」
二つ折りの、白い紙だった。
開くと、細い字で一行だけ書いてあった。
『今夜、鐘のあと、西の門の外で。ハンナ』
ネルが、俺の手もとを覗きこんだ。
しばらく、紙を見ていた。それから、首を横に振った。
「違う」
「ハンナさんの字じゃないってことか」
「字は、似てる。細くて、ていねいで。でも」
ネルは、紙の最後の一語を指でさした。
「ハンナさんなら、名前なんか書かない」
俺は、封筒の底に入っていた小さな紙を思いだした。城の中は、川の上より危のうございます。あの一行にも、名前はなかった。ギルドに手紙を届けたときも、ハンナさんは何も言わずに、左手で置いていっただけだった。
あの人は、自分の名前を残さない。
「それに、ハンナさんは朝の人よ。毎朝、門の外を見に来るって、門番の人が言ってたじゃない。夜に呼びだすなんて、変」
ネルは、紙をたたんで、俺の手に押しつけた。
「罠よ」
「たぶんな」
俺は、たたんだ紙を見下ろした。
罠だとわかっていて、行く理由はない。でも、行かない理由も、完全にはなかった。
もし、本当にリーゼに何かあって。ハンナさんが、いつもの決まりを破るほど慌てていたのだとしたら。
ネルも、同じことを考えているのがわかった。耳が、伏せたり立ったりを繰り返していた。
「門には、行かない」
俺は言った。
「門の向かいの、荷車置き場の路地から見るだけだ。ハンナさんが本当にいたら、出ていく。いなかったら、すぐ帰る」
「……それなら、いいわ」
ネルは、腰の紅糸の柄に手を当てた。
◇
夜の西の門は、昼に見たときよりもずっと小さく見えた。
裏通りの奥で、門は固く閉ざされていた。門の上の鉄の籠で、小さな火が一つだけ燃えている。荷車の列も、粉袋も、門番の姿もなかった。
俺たちは、門の向かいの路地の入口に身を寄せた。昼間、荷車が並んでいた場所の裏だ。石畳が、夜露で黒く濡れていた。
鐘が鳴った。
門の前には、誰も来なかった。
ハンナさんの、紺色の服も、灰色の外套も、どこにも見えなかった。
「……帰ろう」
俺がそう言ったときだった。
ネルの耳が、ぴんと立った。それから、くるりと後ろへ回った。
「リト。前も、後ろも」
路地の両側の暗がりから、足音が近づいてきていた。
一つや二つではなかった。
月明かりの中に、男たちが姿を現した。顔の下半分を布で覆って、手には棍棒や、短い刃物を持っている。前に四人。後ろに三人。路地の入口と奥を、きっちりふさいでいた。
「狐の娘と、種火の小僧だな」
前の真ん中の男が、くぐもった声で言った。
「怪我させろって頼まれてる。それと、何の魔法を使うのか、見てこいってな」
男は、棍棒で自分の手のひらを軽く叩いた。
「見せてもらおうか」
俺は、ナイフを抜いた。ネルが、俺の背中に背中をつけた。紅糸の刃の縁が、暗がりの中で青白く光った。
泡は、見せられない。
ここは、城の門の前だ。大きな音を立てれば、門の中から衛兵が出てくる。何より、こいつらは、それを見に来たのだ。
俺は、ナイフを構えたまま、左手の指を腰の後ろで小さく弾いた。
米粒ほどの泡が、濡れた石畳の上を転がっていった。誰にも見えないくらい小さな、滑り泡だった。
前の男たちが、いっせいに踏みこんできた。
◇
一人目の足が、つるりと流れた。
男は、棍棒を振りあげたまま横倒しになって、後ろの男の膝にぶつかった。二人がもつれて転がる。その隙に、三人目の刃物をナイフの峰で受けて、手首を蹴りあげた。刃物が、からんと石畳に落ちた。
背中で、ネルの声がした。
「そこ、ほつれてる」
紅糸が、風を切る音。
振り返らなくても、何が起きたかわかった。後ろの男の一人が、悲鳴を上げて、自分の腰を両手で押さえていた。腰帯が、ぱっくりと二つに断たれていた。ずり落ちかけた下穿きを押さえて、男は前にも後ろにも動けなくなった。
「布のほつれは、仕立て屋の孫の専門なのよ」
ネルが、紅糸を構えなおした。
布や縄のほつれなら、人前で言える。ネルは、いちばん言えるやり方で戦っていた。
でも、数が多かった。
転んだ男たちは、すぐに起きあがってきた。滑り泡は、一度踏めば割れてしまう。次の泡を転がすたびに、指の動きが大きくなっていく。これ以上大きくすれば、見られる。
右から、棍棒が来た。
ナイフで受けきれなかった。肩に、鈍い衝撃が走った。息が詰まって、片膝が石畳についた。
「リト!」
ネルの声。
棍棒の男が、もう一度腕を振りあげた。
そのとき、路地の入口から、風が吹きこんできた。
春の夜風ではなかった。もっと鋭い、刃物みたいな風だった。棍棒の男の腕が、見えない何かに弾かれたように横へ流れた。男は、自分の手から棍棒が消えたことに、少し遅れて気づいた。
「どけ、チビ種火」
白銀の鎧が、月明かりを跳ね返していた。
レオンだった。
家紋の入った長剣が、うっすらと風をまとっていた。レオンは、俺の前に一歩出ると、剣を軽く振った。それだけで、前の男たちの刃物が、二本まとめて石畳に叩き落とされた。
「剣聖……!」
誰かが、うわずった声を上げた。
レオンは、何も答えなかった。もう一歩、踏みこむ。
そこで、踏みこんだ先の男が、また足を滑らせた。
俺が、さっき最後に転がしておいた泡だった。男は、レオンの剣が届く前に、尻から石畳に落ちた。
レオンの剣が、ぴたりと止まった。
ほんの一瞬、レオンの目が、男の足もとの濡れた石畳を見た。それから、俺のほうを横目で見た。
「……また滑ったな」
俺は、肩を押さえたまま黙っていた。
「石切り場の坂。覚えてるぞ」
「春の夜は、石畳が濡れてるので」
レオンは、何も言わなかった。
ただ、口のはしが、ほんの少しだけ上がった気がした。
◇
前の真ん中の男が、短く指笛を吹いた。
男たちは、それを合図に、いっせいに背を向けた。腰帯を断たれた男も、下穿きを押さえたまま必死に走っていった。路地の奥へ、裏通りへ。あっという間に、足音が散らばって消えた。
逃げ方が、きれいすぎた。
最初から、逃げる時刻が決まっていたみたいだった。
「肩は」
レオンが、剣を収めながら聞いた。
「大丈夫です。たぶん、あざになるくらいで」
ネルが、俺の肩をつかんで、上着の上からそっと押した。俺が顔をしかめると、ネルの耳が後ろにぺたりと伏せた。
「どこが、大丈夫なのよ」
そのとき、裏通りの向こうから、松明の明かりが近づいてきた。
金属の触れあう音。重い靴音。
城の衛兵だった。先頭の男は、ほかより立派な兜をかぶっていた。
衛兵たちは、路地の入口を半円に囲んだ。松明の火が、俺とネルの顔を照らした。
「夜の城の門のそばで、刃物を抜いた者がいると知らせがあった」
先頭の衛兵が、俺の手のナイフと、ネルの紅糸を見た。
「その二人を、連れていけ」
「待ってよ。あたしたちは、囲まれたのよ。逃げてった連中が――」
「話は、詰所で聞く」
衛兵の声は、少しも揺れなかった。
知らせがあった。
ならず者たちが逃げてから、まだ、ほんのわずかしか経っていない。誰が、いつ、知らせたのか。
最初から、決まっていたのだ。囲ませて、刃物を抜かせて、衛兵に見つけさせる。夜の城のそばで刃物を抜いた、怪しい冒険者として。
衛兵が二人、俺たちのほうへ歩みでた。
その前に、白銀の鎧が立ちはだかった。
「ヴァイスベルク伯爵家の、レオンハルトだ」
レオンは、腰の長剣の家紋を、松明の明かりのほうへ向けた。
先頭の衛兵の足が、止まった。
「この二人は、俺が呼んだ。刃物を抜いたのは、ならず者に囲まれたからだ。俺が、この目で見ている」
「伯爵家の、ご子息が……なぜ、このような場所に」
「夜の散歩だ」
レオンは、平然と言った。
「剣聖様は、夜も剣を振るらしいからな。街じゅうがそう言ってる」
衛兵たちが、顔を見合わせた。
「この二人の身は、伯爵家の名で保証する。文句があるなら、伯爵家に言いに来い」
長い沈黙があった。
先頭の衛兵は、やがて兜のつばに手をやった。
「……このことは、上に報告いたします」
「好きにしろ」
衛兵たちは、松明を掲げたまま、来た道を引き返していった。最後の一人が角を曲がるまで、レオンは剣の柄から手を離さなかった。
◇
足音が消えてから、レオンは大きく息を吐いた。
「……さて。父上に、なんと言い訳するかな」
「すみません」
俺が頭を下げると、レオンは顔をしかめた。
「謝るな。俺が勝手にやった」
「どうして、ここに」
「宿の前で、子どもが紙を渡すのを見た。典礼の使いが父上の屋敷に来た次の日だ。お前たちのまわりを見ておくのが、筋だろう」
レオンは、俺の肩をちらりと見た。
「お前が殴られるのを見るのは、気に食わん。殴るのは、俺の役目だ。訓練場でな」
ネルが、ぷっと吹きだしかけて、あわてて口を押さえた。
レオンは、背を向けた。数歩歩いてから、振り返らずに言った。
「これは、貸しだ。チビ種火」
白銀の背中が、裏通りの暗がりに溶けていった。
ネルが、俺の上着の袖を、そっとつまんだ。
「……帰ろ。肩、冷やさないと」
閉ざされた西の門の上で、小さな火が一つ、揺れていた。
◇◆◇
翌朝、ギルドの受付で、ミリアさんが俺たちを見つけるなり、声を落とした。
「ギルドマスターが、お呼びです。上へ、すぐに」
ミリアさんの目が、俺の肩のあたりで一度止まった。何も聞かなかった。
二階の執務室で、ギルドマスターは窓のそばに立っていた。机の上に、封蠟の割れた書状が二通、並んでいた。
「昨夜のことは、もう聞いた」
ギルドマスターは、振り返らずに言った。
「城の衛兵から、ギルドに苦情が一通。それと、典礼の役所から一通」
太い指が、二通目の書状を叩いた。
「仄かな灯を、大祭の群衆整理の名簿から外せ、だそうだ」
ネルの尻尾が、ぴたりと止まった。
「断った」
ギルドマスターは、ようやくこちらを向いた。
「群衆整理の名簿は、ギルドが決める。ずっと昔からの決まりだ。典礼の役所が口を出していいものじゃない」
「……ありがとうございます」
「礼を言うのは早い」
ギルドマスターは、書状を指でつまみあげた。
「向こうも、引かなかった。代わりに、条件をつけてきた。大祭の日、身元の怪しい冒険者が妙な真似をしないよう、お前たちの持ち場のそばに、近衛を一人つける」
俺は、息を止めた。
「舞台の上で、王女殿下の警護につく近衛だ。舞台の左の端に立つ。お前たちのいる縄の前を、ちょうど見下ろせる場所にな」
ギルドマスターは、書状の最後の一行を読みあげた。
「近衛騎士、カール」
日に焼けた、明るい顔。銀の胸当てに、青いマント。城の回廊で、ハンナさんを見つけて、ぱっと顔をほころばせた人。
良い方です。昔から。
ハンナさんはそう言った。それでも、すれ違ってからずっと、右手を空けたままだった。
「近衛は、典礼の役所の言うことを聞かなくていい。だが、この役目は、カールのほうから名乗りでたそうだ」
ギルドマスターは、書状を机に戻した。
ネルが、俺の顔を見た。俺も、ネルを見た。
大祭の日、舞台の左の端。俺たちの、すぐ上。
あの人は、俺たちを見張るためにそこに立つのか。
それとも。




