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ルクスを抜けて


九日目の昼、街道の先に、見覚えのある木の柵と門が見えてきた。


交易町ルクス。


王都の白い城壁にくらべると、おもちゃみたいに小さな門だった。それでも門の前には、荷馬車や行商人が列を作っていた。春の荷を運びこむ人たちで、町の入口はにぎわっていた。


門番に銅貨を三枚払う。前に来たときと、同じ額だった。


「着いたぞ、坊主」


町の中の荷置き場で、ハーゲンさんが御者台から降りてきた。腰の財布から、報酬の銀貨を数えて俺の手に載せる。依頼書に書いてあった額より、二枚多かった。


「多いです」


「狼のぶんと、縄のぶんだ。黙って取っとけ」


ハーゲンさんは、ネルのほうを見て、にやりと笑った。


「嬢ちゃんに値切られた塩代も、入ってるかもしれんがな」


「入ってないわよ。あれは正当な値段」


ネルが、つんと顎を上げた。


ハーゲンさんは、腹を揺すって笑った。それから、俺の肩を、また一度ばしんと叩いた。


「帰りも、ルクスから出るなら声かけろ。坊主と嬢ちゃんなら、安く……いや、高く雇ってやる」


「どっちですか」


「高くだ。値切られる前にな」


荷馬車が三台、荷置き場の奥へゆっくり入っていく。俺とネルは、その背中に頭を下げた。



◇


ルクスの大通りには、屋台が並んでいた。


焼いた肉の匂いと、甘い揚げ菓子の匂いと、薬草の青い匂いが、春の風に混じって流れてくる。ネルの鼻が、ひくひくと動いた。


「……いい匂い」


「こっち」


俺は、通りの角の屋台へネルを連れていった。炭火の上で、太い串に刺した肉がじゅうじゅうと音を立てている。屋台の奥では、頭に手ぬぐいを巻いたおっちゃんが、団扇で炭をあおいでいた。


前にこの町に来たとき、俺はここで大銅貨一枚を払って、王都への行き方を教えてもらった。串焼きは、買えなかった。あのときの俺には、大銅貨一枚が精一杯だったから。


「串焼き、二本ください」


「あいよ」


おっちゃんは、焼き上がった串を二本、油紙にくるんで差し出した。それから、俺の顔を見て、団扇の手を止めた。


「……ん? 坊主、どっかで見た顔だな」


「前に、王都への行き方を教えてもらいました」


「おお!」


おっちゃんは、団扇で自分の膝を叩いた。


「思いだした。熊の騒ぎの日に来た坊主だ。大銅貨一枚握りしめて、真剣な顔でよ。結局、熊にやられた商隊の雑用に潜りこんだんだったな」


「はい」


「で、今は串焼きを二本、か。出世したじゃねえか」


おっちゃんは、からからと笑った。それから、身を乗りだして、声をひそめた。


「その熊の話だがな。知ってるか、坊主。あれから、ちょっとした語り草になってんだ」


俺は、串焼きにかぶりつこうとしていた口を、そのまま止めた。


「街道に出たファングベアを、通りすがりの凄腕が一発で仕留めたって話よ。外には傷ひとつなし。腹ん中だけ、内側から焼けてたってんだからな」


おっちゃんは、団扇を剣のように振った。


「今じゃ、名乗りもせずに去った炎の剣士だの、旅の大魔導士だの、いろんなことを言われてる。俺が気に入ってんのはな、死体の片づけ方だ」


「片づけ方」


ネルが、ゆっくりと繰り返した。


「おうよ。そいつ、仕留めた熊をわざわざ茂みまで引きずってって、枝葉をきっちりかぶせて隠してったんだと。強えだけじゃねえ。後始末まで几帳面な男なんだ。いい男に違いねえってんで、町の娘っ子たちがきゃあきゃあ言ってる」


ネルが、横から俺の顔をじっと見た。


じとっとした目だった。


「……几帳面」


ネルが、小さな声でつぶやいた。


俺は、串焼きに思いきりかぶりついて、顔を隠した。


肉は、熱くて、脂が甘くて、炭の香りがした。噛むたびに、肉汁がじゅわりとあふれてくる。王都で食べたどの串焼きよりも、なぜか懐かしい味がした。


「……うまい」


「だろ」


おっちゃんは、胸を張った。


「この肉はな、そこらの肉とは違うんだ。コルー村の、オーウェルの旦那が獲ってくるやつだからな」


俺の口が、止まった。



◇


「オーウェルの旦那ってのは、南の外れの村の狩人でな」


おっちゃんは、炭をあおぎながら話しつづけた。


「月に何度か、獲物を担いで町に下りてくる。猪だの鹿だの、いつもいい肉を持ってくるんだ。血抜きも捌き方も、文句のつけようがねえ。うちの串焼きがうまいのは、半分は旦那のおかげよ」


俺は、手の中の串焼きを見つめた。


この肉を、父さんが獲った。


家の裏の作業小屋で、父さんが獲物を捌いていた背中を思いだした。俺が小さいころ、その横にしゃがんで、父さんの手元をずっと見ていた。父さんは「見てても面白くねえぞ」と笑いながら、それでも俺を追い払わなかった。


「それによ、この冬は、すげえ話があってな」


おっちゃんの声が、少し大きくなった。


「黒樹の森の奥の魔物が、村の近くまで出てきたんだと。それを、旦那が一人で追い返したって話よ。で、雪解けの前に、そいつの角を担いで町に下りてきた。こーんな、馬鹿でかい角だ」


おっちゃんは、団扇を放りだして、両腕をいっぱいに広げた。


「ギルド支部の連中が、目ぇ丸くしてたぜ。『これ、どこで獲った』って聞かれて、旦那は笑って『落ちてた』とさ」


「……落ちてた」


ネルが、また繰り返した。今度は、じと目ではなかった。耳が、まっすぐおっちゃんのほうを向いていた。


「そう言われちゃ、それ以上は聞けねえやな。旦那は豪快に笑って、角を売った金で酒を一樽買って、村へ帰ってったよ」


ハーゲンさんの話は、噂でも眉唾でもなかった。


村の狩人。オーウェル。この町では、父さんの名前は、腕のいい狩人の名前として当たり前に呼ばれていた。肉を売りに来て、角を売りに来て、笑って酒を買って帰る男として。


俺の知っている父さんと、同じ父さんだった。


でも、俺の知らない父さんでもあった。


「坊主、旦那のこと知ってんのか?」


おっちゃんが、首をかしげた。


俺は、少し迷ってから、首を横に振った。


「……肉、すごくうまいです」


「だろ!」


おっちゃんは、うれしそうに笑った。俺は、残りの串焼きを、ゆっくり、全部食べた。



◇


ルクスの南の門を出ると、街道は細くなって、森の中へ続いていた。


コルー村まで、歩いて二時間。


この道を、俺は一人で北へ歩いた。十五歳になった朝、父さんと母さんに笑って背中を押されて。


木々の葉は、まだ芽吹いたばかりだった。若い緑の隙間から、春の日差しがまだらに落ちてくる。鳥の声が、あちこちで聞こえた。


道の途中で、俺は足を止めた。


街道の脇の、低い茂み。今は新しい葉が茂って、地面はすっかり見えなくなっていた。


ネルが、俺の視線の先を見た。


「……ここ?」


「……ここ」


ネルは、茂みと俺の顔を、しばらく見比べていた。それから、ふっと息を吐いた。


「几帳面な男、ね」


「やめろって」


「町の娘っ子たちが、きゃあきゃあ言ってるんでしょ。名乗り出ればいいじゃない」


「出ないよ」


「知ってる」


ネルは、くすっと笑って、先に歩きだした。尻尾が、楽しそうに揺れていた。


俺は、もう一度だけ茂みを振り返った。あのとき、汗だくになって熊を引きずった。重くて、腕が抜けそうだった。一人で、誰にも見られないように。


今は、前を歩くネルの背中がある。


俺は、ネルを追いかけて歩きだした。



◇


日が傾きはじめたころ、森が急にひらけた。


山の斜面に囲まれた、小さな盆地。畑と、柵と、木の屋根の家が、ぽつりぽつりと並んでいる。いくつかの煙突から、夕飯の支度の煙が細く立ちのぼっていた。


コルー村だった。


「……あれが」


ネルの足が、止まった。


それから、急にあわてて、自分の髪を手ぐしで撫でつけはじめた。肩で切りそろえた赤茶の髪の、跳ねた毛先を押さえる。外套の裾を引っぱって、しわを伸ばす。最後に、自分の尻尾を両手で抱えて、毛並みを一生懸命に整えた。


「ねえ、変じゃない?」


「変じゃないよ」


「ちゃんと見てから言って」


俺は、ちゃんと見た。


「変じゃない」


「……ほんとに?」


「ほんとに」


ネルは、もう一度尻尾を撫でつけた。耳が、ぴんと立ったまま、小刻みに震えていた。


村の中の道を抜けて、一番外れへ向かう。畑の向こうに、森を背にした一軒の家が見えてきた。木の壁と、石を積んだ煙突。軒先には、干した薬草の束がいくつも吊るしてある。


出ていったときと、何も変わっていなかった。


家の前の庭で、誰かが薪を割っていた。


大きな背中だった。短く刈った茶色の髪。分厚い肩。斧が振り上げられ、振り下ろされるたびに、乾いた音が夕暮れの空に響く。割れた薪が、左右にきれいに飛んでいった。


俺の足が、勝手に止まった。


ネルが、俺の袖をぎゅっとつかんだ。


斧が、振り上げられた。


そして、振り下ろされる前に、ぴたりと止まった。


大きな背中は、振り返らなかった。斧を肩に担いだまま、夕焼けに染まった森のほうを向いたまま、低い声だけが聞こえてきた。


「……遅かったな」




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