呼び出し
冬至の夜が明けた朝、ギルドの扉を開けるとミリアさんと目が合った。
いつもの笑顔だった。けれど、ほんの少しだけ口の端が固い。昨日の夜、灯籠を見上げていた穏やかな横顔とは違う、受付のカウンターの顔だった。
「おはようございます。リトさん、ネルさん」
「おはよう、ミリアさん。昨日は楽しかったわね」
「はい、とても。……それで、あの」
ミリアさんは帳面を胸の前で閉じて、声を落とした。
「ギルドマスターが、お二人をお呼びです。二階の執務室まで来てほしい、と」
ネルの尻尾が、ぴたりと止まった。
近くの掲示板の前にいた冒険者たちが、こちらを振り返る。暖炉の前の長椅子からも、ひそひそと囁く声が聞こえた。ギルドマスターが直々に、それもEランクを呼ぶなんて、めったにあることじゃない。
「おい、ハズレコンビが呼び出しだってよ」
「何やらかしたんだ、あいつら」
「ミルヴェールで、温泉の湯でも盗んできたんじゃねえか」
笑い声が上がった。ネルが小声で「盗んでないわよ、沸かしたのよ」と呟いたので、俺はその袖をそっと引いた。
◇
執務室の扉は、分厚い樫の板でできていた。
叩くと、中から低い声で「入れ」と返ってくる。扉を押すと、部屋の中は思っていたよりも狭く、そして散らかっていた。壁際の棚には書類の束が詰めこまれ、机の上にも帳面が山になっている。窓からは、雪の残る王都の屋根が見えた。
机の向こうに、ギルドマスターが座っていた。
岩を削り出したような大きな体に、顔を斜めに走る古い傷。登録の日に一度、それから何度かホールの奥で見かけただけの人だった。近くで見ると、椅子が小さく見えるほど大きい。
「座れ」
机の前に置かれた椅子に、ネルと並んで腰を下ろした。ネルの尻尾は、椅子の脚にぴったりと巻きついていた。
ギルドマスターは、机の上の封筒を一通、こちらへ滑らせた。
「ミルヴェール支部から届いた。受付のポーラという娘からだ」
「ポーラさんから?」
ネルが身を乗り出した。封筒の中の手紙は、丸い、少し傾いた字で書かれていた。のんびりした口調が、そのまま字になったような手紙だった。
湯道の点検を手伝ってくれたこと。網の繕いで、漁師たちがとても助かったこと。帰りの商隊の護衛を、最後まできちんと務めたこと。あの二人がいてくれてよかった、と。最後に小さく、ミリアによろしく、と書き添えてあった。
ネルが、手紙を胸に抱えるようにして読み返していた。耳の先が、少しだけ赤い。
「それと、これだ」
ギルドマスターは、引き出しから小さな革袋を取り出して、机の上に置いた。ことり、と重い音がした。
「支部と本部から、報奨だ。銀貨五枚ずつ」
ネルの口が、ぽかんと開いた。
「ご、五枚ずつ? あたしたち、網を繕っただけよ?」
「湯道の点検もしただろう。ミルヴェールでは湯が命だ。それを手伝った冒険者には、相応のものを払う」
ギルドマスターは淡々と言った。ネルは革袋とギルドマスターの顔を何度も見比べて、それから俺の顔を見た。
もらっていいのか、と目が聞いていた。
「ありがとうございます。いただきます」
俺が頭を下げると、ネルも慌てて頭を下げた。革袋を両手で受け取ったネルの尻尾が、椅子の脚からほどけて、ゆっくりと揺れはじめた。
これで終わりなら、ただ褒められに来ただけだった。
ギルドマスターは、椅子の背にもたれた。太い指を机の上で組んで、俺の顔をじっと見た。
「さて。ここからは、ついでの話だ」
◇
「東の森の巣が討たれた日のことだ」
ギルドマスターの声は低く、静かだった。
「あの日、お前たちは依頼を一つも受けていない。ミリアの帳面にそう残っている。シェイラの報告書には、協力者の欄があった。空白のままだったがな」
ネルの尻尾が、また止まった。
「次に、ミルヴェールだ。湖の神様が魔物を鎮めた夜、支部は街にいる冒険者の居場所を全員分確かめた。舟の乗り入れを禁じていたからな。誰かが湖に出ていないか、確かめる必要があった」
ギルドマスターは、ポーラの手紙の封筒を指で軽く叩いた。
「その夜、お前たちは『薬草採りで北の葦原にいた』。ポーラの報告には、そうある」
部屋の中が、しんと静まった。窓の外で、屋根から雪の塊が落ちる音がした。
「それから、もう一つ」
ギルドマスターは、組んでいた指をほどいた。
「登録の日。お前の種火を、俺は見ている」
俺は、表情を動かさなかった。
「ホールの連中は、小さいと笑った。確かに小さかった。だが、薄くはなかった。あの大きさに、あれだけの熱が詰まっているのは、初めて見た」
ギルドマスターの目が、まっすぐに俺を見ていた。責めるような目ではなかった。ただ、確かめるような目だった。
「偶然にしては、多い」
ネルの肩が、ほんのわずかに強張った。尻尾の先が、椅子の脚に絡みつこうとしている。
俺は、椅子の上で少しだけ体を前に出した。ネルとギルドマスターのあいだに、俺の肩が入るくらいに。
「運がいいんです、俺たち」
「運か」
「はい。巣の日は、宿で寝てました。湖の夜は、葦原で薬草を採ってました。種火は、昔から熱だけは強いって母に言われてて。でも、小さいから使い道がないんです」
嘘は、なるべく少なく。本当のことを、少しずつずらして。
ギルドマスターは、しばらく黙って俺を見ていた。
長い沈黙だった。ネルの呼吸の音が、隣から小さく聞こえた。
やがて、ギルドマスターは鼻から長く息を吐いた。
「そうか」
それだけだった。
「ギルドは、冒険者の過去を詮索せん。どこで生まれて、何ができて、何を隠しているか。言いたくないことは言わんでいい。それが決まりだ」
ネルが、ほっと息をついたのがわかった。
「ただし」
ギルドマスターの声が、少しだけ重くなった。
「昇格試験は別だ。試験官は、冒険者の力を見極めるのが仕事だ。隠しているものがあれば、見る」
ギルドマスターは窓の外に目をやった。
「この冬の試験官に、一人、厄介なのがいる。腕は確かだ。人の嘘を見抜くのが、仕事みたいな男だ」
背中が、ひやりとした。
ホールの隅から刺さった視線。氷上市の橋の手すりに並んだ、焼き栗の殻。ルカの言葉が、耳の奥でよみがえった。灰色の外套のおっさん。足音が、しねえんだ。
「……覚えておきます」
「そうしろ」
ギルドマスターは、手の甲で追い払うような仕草をした。
「話は終わりだ。行っていい」
◇
ネルと二人、椅子から立ち上がった。
扉の取っ手に手をかけたとき、背中に視線を感じて振り返った。ギルドマスターが、机の向こうから俺を見ていた。
いや、俺じゃない。
視線は、俺の腰に向いていた。布を巻いて柄を隠した、父さんのナイフに。
ほんの一瞬だった。ギルドマスターはすぐに目を伏せて、机の上の帳面に手を伸ばした。何も言わなかった。
俺も、何も言わずに扉を閉めた。
(……今の、何だ)
シェイラさんも、最初に会ったとき、このナイフに目を止めた。ガンツさんも、紅糸を打つ前に、このナイフをじっと見ていた。
父さんの、現役の頃のナイフ。
階段を下りながら、腰の布の上からそっと柄に触れた。古い革の手触りが、いつもと同じように手のひらに馴染んだ。
「リト」
隣で、ネルが小さく呼んだ。
「あの人、敵なの?」
「……敵じゃないと思う」
「でも、全部知ってたわよ。巣の日のことも、湖の夜のことも」
「知ってたけど、何も聞かなかった。聞こうと思えば、聞けたのに」
ネルは、銀貨の入った革袋をぎゅっと握った。
「じゃあ、なんで呼んだのよ。わざわざ、こんなお金まで用意して」
「わからない」
本当に、わからなかった。
ただ、あの目は、責める目じゃなかった。登録の日に種火を見たときから、ずっと、何かを待っているような目だった。
◇
ホールに下りると、空気が変わっていた。
さっきまでのひそひそ声が、もう少しはっきりした声になっている。暖炉の前の長椅子で、誰かが言っていた。
「聞いたか。ハズレコンビ、ギルドマスターから報奨をもらったらしいぜ」
「Eランクがか? なんでだよ」
「ミルヴェールで働いたからだと。ふざけんな、俺だって去年、南の街道で三か月も護衛やったのに、何ももらってねえぞ」
「贔屓だろ、贔屓」
ネルが、革袋を外套の内側にさっと隠した。
暖炉のいちばん近く、いちばん暖かい長椅子に、四人組の男たちが座っていた。
真ん中の男は、肩幅の広い大男だった。背中に、柄の長い鉄槌を立てかけている。その両脇に、日に焼けた顔の男が三人。どこかで見た顔だった。
いや、どこかで、じゃない。
王都へ来る途中の商隊。俺が雑用係として荷車を押していたとき、護衛として先頭を歩いていたDランクのパーティ。街道でロックリザードが転んだとき、それを自分たちの手柄だと言って、酒場で大声で自慢していた四人。
『赤き鉄槌』だった。
大男の目が、俺を捉えた。最初は、ただのEランクを見る目だった。それから、少しずつ、何かを思い出すように細くなっていった。
「……おい」
大男が、ゆっくりと立ち上がった。
「お前、あのときの雑用のガキか」
ホールのざわめきが、すっと小さくなった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ギルドマスターの視線、そして懐かしい(?)四人組との再会です!!!




