冬至の灯籠
「一年でいちばん長い夜に、灯籠を飛ばすお祭りがあるんです」
ミリアさんがそう言ったのは、冬至の三日前のことだった。
依頼の報告を終えて、カウンターを離れようとしたときだ。ミリアさんは帳面を閉じると、少しだけ声を弾ませた。
「王都じゅうの人が紙の灯籠を作って、願いごとを書いて、夜空に飛ばすんです。冬至祭っていうんですけど。……その夜、私、非番なんですよ。よかったら、ご一緒にどうですか」
ネルの尻尾が、ぴんと立った。
「お祭り? 討伐祭みたいな?」
「討伐祭よりは静かですけど。でも、きれいですよ。王都の冬で、いちばん」
ネルが、俺のほうを見た。
尻尾が、もう左右に揺れはじめている。返事を聞く前から、答えは決まっているらしかった。
「行きます」
「行くわ!」
二人の声が重なった。ミリアさんが、くすくすと笑った。
◇◆◇
冬至の前の日は、朝から王都じゅうが紙の匂いでいっぱいだった。
中層区の大広場に、灯籠作りの屋台がずらりと並んでいる。薄い白い紙。細く割った竹ひご。紙を貼るための糊。小さな皿に入った獣脂のろうそく。
広場のあちこちで、家族連れや冒険者たちが地べたに座りこんで、灯籠を組み立てていた。
「紙一枚、大銅貨一枚。竹ひご一束、銅貨五枚。ろうそく一つ、銅貨三枚」
ネルは屋台の値札を指でなぞりながら、ぶつぶつと呟いていた。
「二人ぶんだと……」
「三人ぶんだろ。ミリアさんのも」
「ミリアさんは自分で作るって言ってたわよ。……でも、そうね。作ってあげたら、喜ぶかも」
ネルは屋台のおじさんの前にしゃがみこんだ。
今回の値切りは短かった。「三人ぶん、まとめて」と「この紙、端が少し破れてる」の二言で、おじさんは両手を上げた。
広場の隅の石段に座って、ネルは灯籠を組みはじめた。
竹ひごを曲げて、細い糸で輪に縛る。その輪を上下に二つ作って、四本の竹ひごで繋ぐ。骨組みに紙を貼って、継ぎ目に糊を薄く塗る。
ネルの指は、迷わなかった。継ぎ目がまっすぐで、紙にしわ一つない。ばあちゃんの仕立て屋で、針と布を扱ってきた手だった。
俺の灯籠は、紙の継ぎ目が少し曲がった。
「……あんた、不器用ね」
「ネルが器用すぎるんだよ」
「貸して」
ネルは俺の灯籠の紙を一度剥がして、貼り直してくれた。
周りで灯籠を作っていた子どもたちが、いつの間にかネルの手元を覗きこんでいた。
広場の真ん中のほうで、悲鳴が上がった。
「ああっ、燃えた!」
見ると、若い冒険者の男が、黒焦げになった灯籠を地面に叩きつけていた。
ろうそくに火を点けようとして、火魔法の火が大きすぎたらしい。周りの仲間が、腹を抱えて笑っている。
その向こうでも、また一つ。若い母親が、子どもの灯籠に火を点けようとして、紙の端を焦がしていた。子どもが泣きべそをかいている。
「火打ち石だと、時間がかかるのよね。風もあるし」
ネルが、ちらりと俺を見た。
言いたいことは、わかった。
俺は石段から立ち上がって、泣いている子どもの前にしゃがんだ。
「貸してみな」
灯籠の口を、少しだけこちらへ傾けてもらう。
人差し指を、ろうそくの芯に近づけた。
ぽっ、と。
指先に、豆粒ほどの小さな火が灯った。【プチフレイム】。ギルドのホールで何度も笑われた、チビ種火だ。
小さな火は、紙のどこにも触れずに、ろうそくの芯にだけ移った。灯籠の中が、ふわりと橙色に明るくなる。
子どもが、泣きやんだ。
「……ついた」
「つかないと困るだろ」
母親が何度も頭を下げた。子どもは灯籠を両手で抱えて、目を輝かせていた。
それを見ていたらしい別の子どもが、灯籠を抱えて近づいてきた。その後ろに、もう一人。さらにその後ろに、また一人。
気がつくと、俺の前に小さな列ができていた。
「お兄ちゃん、つけて!」
「ぼくのも!」
「わたし、二つあるの!」
ネルが、石段の上で笑いを噛み殺していた。
「繁盛してるじゃない。一つ銅貨一枚にしたら?」
「しない」
一つ、また一つ。紙を焦がさないように、指先の小さな火だけをろうそくに移していく。
大きな火なら一瞬で紙ごと燃えてしまう。この火の小ささが、今日だけはちょうどよかった。
列の後ろのほうから、誰かが言うのが聞こえた。
「なあ、あれ、ギルドのチビ種火だろ」
「チビ種火って、こういうときは便利なんだな」
それは、たぶん悪口じゃなかった。
列の最後は、六つか七つくらいの小さな女の子だった。
継ぎはぎの外套を着ていた。袖口の継ぎ当てが、小さな手でもわかるくらい丁寧に縫ってある。紙の灯籠は少し不格好で、骨組みの竹ひごが一本だけ曲がっていた。
火を灯してやると、女の子は灯籠を胸に抱えて、ぺこりと頭を下げた。
それから何も言わずに、人混みの中へ駆けていった。
ネルが、その背中をじっと見ていた。
「……あの継ぎ当て」
「どうした」
「ううん。なんでもない」
ネルは首を振って、俺のぶんの灯籠を差し出した。継ぎ目は、まっすぐに直っていた。
◇◆◇
冬至の夜は、早く暮れた。
日が沈むと、王都の空はあっという間に紺色になった。吐く息が白い。でも、街じゅうに灯った明かりのせいか、寒さはあまり感じなかった。
灯籠を飛ばす場所は、凍った大運河の上だった。氷上市の天幕はもう片づけられて、広い氷の帯の上に、灯籠を抱えた人たちが集まりはじめている。
「お待たせしました」
運河の石段の上で、ミリアさんが手を振っていた。
いつもの受付の制服じゃなかった。厚手の若草色の外套に、白い毛糸の帽子をかぶっている。帽子の下から、栗色の髪が肩にこぼれていた。
ネルが、ぽかんと口を開けた。
「ミリアさん、なんか、違う人みたい」
「えっ、変ですか?」
「変じゃない。かわいい」
ミリアさんは、帽子のつばを引っぱって顔を隠した。耳まで赤くなっていた。
ネルが作った三つめの灯籠を差し出すと、ミリアさんは目を丸くした。
「私のぶんまで?」
「ついでよ。紙、まとめて買ったほうが安かったから」
「……ありがとうございます。大事に飛ばしますね」
三人で、氷の上に下りた。俺はもう、尻もちはつかなかった。
運河の両岸から、灯籠の明かりが少しずつ集まってくる。まだ誰も、灯籠を飛ばしていない。鐘が鳴るのを待っているのだと、ミリアさんが教えてくれた。
「願いごと、もう書きました?」
「まだ。ミリアさんは?」
「私は、毎年同じなんです」
ミリアさんは、灯籠の紙にさらさらと筆を走らせた。
覗きこむのは悪い気がして、目を逸らした。でも、ミリアさんのほうから、灯籠の紙をこちらへ向けてくれた。
『担当の冒険者さんが、みんな無事に帰ってきますように』
「受付になって、六年目になります」
ミリアさんは、灯籠の紙をそっと撫でた。
「私のスキル、【記帳】でしょう。一度書いた記録は、全部覚えてるんです。依頼を受けた日も、報告に来た日も。……報告に来なかった人の名前も」
その声は、いつもと同じように穏やかだった。
でも、灯籠を持つ指先に、少しだけ力が入っているのが見えた。
「だから、毎年これなんです。欲張りでしょう?」
ネルは、何も言わなかった。
ただ、ミリアさんの外套の袖を、指先でちょんとつまんだ。
「……泣かせないって、言ったでしょ」
「ふふ。覚えてますよ。それも、ちゃんと記録してあります」
ミリアさんが笑った。いつもの、カウンターの笑顔だった。
でも、ほんの少しだけ、目元が濡れて光っていた。
「あたし、葡萄汁買ってくる。ミリアさん、一緒に行こ」
ネルがミリアさんの手を引いて、岸辺の屋台のほうへ歩いていった。
振り返りざまに、ネルが俺に目で言った。待ってて、と。
◇
一人になって、灯籠の紙を見下ろした。
何を書こうか、まだ決まっていなかった。
氷の上を、少し歩いた。人の少ない、運河の端のほうへ。
橋の下の暗がりに、灯籠を一つ抱えて立っている人影があった。
白銀の軽鎧の上に、毛皮の縁取りの外套。
レオンだった。
レオンも、こちらに気づいた。
一瞬、嫌そうな顔をして、すぐにいつもの顔に戻った。
「……チビ種火か」
「どうも。一人ですか」
「悪いか」
レオンは、灯籠に目を落とした。紙の継ぎ目が、俺のと同じくらい曲がっていた。
「兄上たちは、王城の祝宴だ。冬至の夜は、貴族は城に集まる。……三男は、数に入ってない」
吐き捨てるような言い方だった。
俺は、何も言わずにレオンの隣に立った。橋の下から、凍った運河の上に集まる灯籠の明かりが見えた。
しばらく、二人とも黙っていた。
「おい」
先に口を開いたのは、レオンだった。
「ちょうどいい。今なら、誰も聞いてない。……お前、何を隠してる」
いつもの問いだった。
でも、いつもの声より、少しだけ低かった。
俺は、すぐには答えなかった。
答えの代わりに、ずっと気になっていたことを聞いた。
「レオンは、息苦しくないですか」
「……何がだ」
「剣聖って、称えられて」
レオンの肩が、ぴくりと動いた。
討伐祭の夜を思い出していた。冒険者たちに担ぎ上げられて、剣聖様、剣聖様と囃し立てられていたレオン。人混みの中で俺と目が合って、真っ赤な顔で「見るな」と叫んでいた。
夜明け前の訓練場で、豆の潰れた手で、誰にも見られないように剣を振っていた背中も。
「みんなが、レオンを見てる。どこにいても。何をしても。剣聖なら当たり前だって。剣聖なのに、って」
レオンは、何も言わなかった。
「俺は、そういうの、たぶん耐えられないので」
それだけ言って、俺は灯籠に目を落とした。
長い沈黙があった。
運河の向こうで、誰かの笑い声が弾けた。
「……息苦しいに、決まってるだろ」
レオンが、ぽつりと言った。
「生まれたときから、兄上たちと比べられてきた。剣聖が出たとわかったとき、父上は初めて俺の名前を正しく呼んだ。……それからは、剣聖としか呼ばれなくなった」
レオンは灯籠を持つ手に、ぎゅっと力をこめた。
それから、ふっと顔を上げて、俺を見た。
「……それが、お前の答えか」
俺は、答えなかった。
答えなかったことが、答えだった。
レオンは、長く息を吐いた。白い息が、橋の下の暗がりに溶けていく。
「気に入らないな」
「すみません」
「謝るな。余計に気に入らない」
レオンは灯籠を抱え直して、橋の下から一歩出た。
氷の上に集まった灯籠の明かりが、白銀の鎧を淡く照らした。
「なら、隠したまま上がってこい」
振り返らずに、レオンは言った。
「俺は、先で待ってる。……隠したままで、どこまで来られるか。見ててやる」
レオンは、氷の上を歩いていった。
その背中は、いつもよりほんの少しだけ、軽く見えた。
◇
ごおん、と鐘が鳴った。
王城の鐘楼からだった。一つ、二つ、三つ。冬至の夜の、いちばん長い夜の始まりを告げる鐘。
運河の上の人たちが、いっせいに灯籠のろうそくに火を点けはじめた。
「リト!」
ネルとミリアさんが、葡萄汁の湯気を立てながら駆け戻ってきた。
ネルの灯籠の紙には、もう何か書いてあった。ネルは、それを胸に押し当てて隠した。
「見ないでよ」
「見てないよ」
「……ばあちゃんの店のこと。それだけ」
ネルは、結局自分で言った。言ってから、しまった、という顔をした。
俺は、自分の灯籠の紙に筆を当てた。
未開の地のことは、書かなかった。書いたら、なんとなく、まだ早い気がした。
『みんなで、また温泉』
ネルが覗きこんで、ぷっと吹き出した。
「なにそれ」
「いいだろ。叶いそうな願いのほうが」
「……シェイラも入ってる? その、みんな」
「入ってる」
「ミリアさんは?」
「入ってる」
「レオンも?」
俺は、少し考えた。
「……入れといてやる」
ミリアさんが、声を立てて笑った。
三つの灯籠のろうそくに、俺は指先で火を灯した。
小さな火が、紙の中でふわりと揺れる。温められた空気が、紙の袋を少しずつ膨らませていく。手のひらに、灯籠が持ち上がろうとする力が伝わってきた。
「せーの」
三人で、手を離した。
灯籠は、ゆっくりと昇っていった。
一つ、また一つ。運河の上から、岸辺から、王都じゅうの屋根の上から、無数の灯籠が夜空へ昇っていく。
一つ一つは小さな、仄かな灯だった。風に揺れて、今にも消えそうなくらいの。
でも、寄せ合うと、夜空が明るくなった。
紺色の空いっぱいに、橙色の光が散らばっていく。凍った運河の氷が、その光を映して、足元まで灯籠で埋め尽くされたように見えた。
空と氷の両方に、灯があった。
「……きれい」
ネルが、小さく呟いた。
赤い髪紐が、灯籠の光を映して揺れていた。
焚き火は、一本じゃすぐ消える。寄せ合えば、一晩中燃える。
北の街道の夜に、ドルフさんがそう言っていた。
(暗いとこなら、ちゃんと見える、か)
隣を見ると、ネルも同じことを考えていたのか、少しだけ得意げな顔をしていた。
ミリアさんは、何も言わずに空を見上げていた。その横顔は、受付のカウンターで見るどの笑顔よりも、穏やかだった。
◇
ミリアさんを中層区の家の前まで送って、俺とネルは下層区へ戻る道を歩いていた。
空には、まだいくつか灯籠が漂っていた。風に流されて、ゆっくりと東の空へ遠ざかっていく。
路地の角を曲がったところで、ネルが立ち止まった。
「誰かいる」
路地の暗がりから、小さな影がひょいと出てきた。
継ぎはぎの外套に、欠けた前歯。
ルカだった。
「よう。ハズレコンビ」
「あんた、なんでここに」
「待ってたんだよ。この道、通ると思って」
ルカは、外套のポケットに両手を突っこんだまま、俺の顔を見上げた。
「昼間、広場でチビの灯籠に火ぃつけてくれたろ。タダで」
継ぎはぎの外套の、六つか七つくらいの小さな女の子。
丁寧な継ぎ当て。ネルが、あ、と小さく声を漏らした。
「……あの子、あんたの妹?」
「そうだよ。あいつ、灯籠飛ばすの初めてだったんだ。去年までは、紙を買う金がなかったから」
ルカは、鼻の下をこすった。
「借りは、返す主義なんだ。……だから、一個だけ教えてやる」
ルカは、声を落とした。
路地の暗がりの中で、その目だけが妙に鋭く光っていた。
「灰色の外套のおっさん。くたびれた、どこにでもいそうなやつ。あんたらのこと、見てるぜ」
背中が、ひやりとした。
「氷の市で、あんたらが俺を捕まえたとき。橋の上から見てた。焼き栗食いながら」
「……今日も?」
「今日もだ。運河の岸で、灯籠も持たずに突っ立ってた。あんたらのほうばっか見てた」
ルカは、指を二本立てた。
「俺が見たのは、二回だ。顔は、忘れねえ」
二回。
氷上市の橋の上と、今夜の運河。
でも、俺はもう一回、知っていた。
帰ってきたばかりの日の、ギルドのホール。人の多いホールの隅から、背中に刺さった視線。振り返っても、誰とも目が合わなかった。
(……三回目だ)
「なんなの、そいつ」
ネルの尻尾の毛が、ぶわりと逆立っていた。
「知らねえよ。でも、ただの冒険者じゃねえと思う。足音が、しねえんだ」
ルカはそれだけ言うと、ひらりと踵を返した。
「じゃあな。妹が待ってる」
「ルカ」
俺は、その背中を呼び止めた。
「ありがとう。助かった」
ルカは、振り返らずに片手を上げた。
小さな影は、路地の暗がりにするりと溶けて、すぐに見えなくなった。
ネルと二人、しばらく路地の真ん中に立っていた。
空の灯籠が、最後の一つ、東の屋根の向こうに消えていった。
「リト」
「ああ」
「その人、何者なの」
「わからない」
本当に、わからなかった。
でも、一つだけわかっていることがあった。
あの視線は、俺たちを追っている。
冬至の夜は、まだ長かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
冬至の夜、王都じゅうの小さな灯が空を埋めました。そして、ついに見えてきた灰色の影。




