水蒸気爆発と隠蔽の決意
両親の指導が始まってから、数日が過ぎた日の午後のことだ。
「リト、父さんと街まで肉を卸しに行ってくるわね。夕方には戻るから、お留守番お願いね」
「おう、変な奴が来ても絶対に扉を開けるなよー!」
母さんと父さんは大きな荷車を引き、笑顔でコルー村をあとにした。
二人の姿が森の奥へ完全に消えたのを確かめると、俺はすぐさま庭へと飛び出した。
(よし……絶好の鍛錬チャンスだ!)
誰にも邪魔されない、一人きりの時間。
ずっと、試してみたいことがあった。
(……火も、泡くらい思い通りになればいいのに)
あの夜から、その考えが頭を離れなかった。
母さんの火球と、俺の種火。
同じ【プチフレイム】なのに、どうしてあんなに違うのか。
何度も見比べて、ひとつだけ気づいたことがある。
俺の火は、生まれた瞬間から、ふわりと周りに散っていくのだ。
母さんのように、ひとつの形に留めておく力がない。灯した端から、魔力が空気に溶けて逃げていく。
(だったら――逃げられないように、閉じ込めればいい)
泡の膜なら、五年間いじり続けてきた。
中と外を分ける、壁。
その中に魔法を入れておけば、散らずに留まってくれるんじゃないか。
(いきなり火は怖いな。まずは、水からだ)
指先から、ぽん、と透明な泡を生み出す。
膜の厚みを整え、内側にわずかな圧をかける。こうしておけば、多少の風では割れない、弾力のある泡になる。
それを、庭の空中にそっと浮かべておく。
それから、もう片方の指先に魔力を集めた。
「【プチアクア】」
ぽつ、と爪の先ほどの水滴が浮かび上がる。
相変わらず、指先を濡らすのがやっとの情けない出力だ。
その水滴を、空中の泡へ、そっと押し込んでみる。
――ちゃぷ。
泡の膜は破れることなく、水滴をするりと内側へ呑み込んだ。
水滴は、泡の中で、丸い形を保ったまま、ゆらゆらと浮かんでいる。
散らない。こぼれない。
(……入った。留まってる)
思わず、拳を握った。
思った通りだ。泡の中なら、ショボい魔法でも、逃げずに留めておける。
(じゃあ、次は――本命の、火だ)
期待に、少しだけ胸が高鳴る。
俺はもう一度、指先に魔力を練った。
「【プチフレイム】」
ぽっ、と爪先ほどの種火が灯る。
それを、水入りの泡の中へ、指先からすっと滑り込ませた。
――その瞬間だった。
(……あ)
密閉された膜の内側で、水滴と種火が触れ合う。
前世の知識が頭の中で警報を鳴らしたときには、もう遅かった。
『密閉された狭い空間で、水が一気に加熱され、瞬時に気化すると――』
――――ッバァァンッ!!
「うわっ!?」
白い蒸気が一瞬で膨れ上がり、腹の底を殴りつけるような破裂音が庭の真ん中で弾けた。
叩きつけられた衝撃波に、足元の砂埃が一斉に舞い上がる。前髪が千切れそうなほど煽られ、俺はたまらず腕で顔を庇った。
「カハッ……! ゲホッ、ゲホッ……!」
むせ返りながら埃を払い、恐る恐る前を覗き込む。
「……うそ、だろ……?」
爆発が起きたのは、俺から数メートルも離れた空中だ。
焦げた木も、壊れた物もない。何もない宙で弾けたから、被害が出なかった――ただ、それだけのことだ。
だというのに、一瞬で生まれた熱風と衝撃波は、数メートル先に立つ俺の全身をはっきりと叩いていった。
頬に残る、湿った熱。
耳の奥で、キーンと甲高い音が鳴り続けている。
冷や汗が、背中をだらだらと伝い落ちていった。
(いまの……何だ……!? 水蒸気爆発……みたいなもの、か……!?)
理解した瞬間、全身の毛穴がぶわりと開くような恐怖が這い上がってきた。
使ったのは、指先にちょこんと出るだけの【プチアクア】と【プチフレイム】。単体では使い道すら怪しい、ショボい初歩魔法だ。
だが、それを精密に密閉した泡の中に閉じ込めたことで、逃げ場を失った水が一瞬で蒸気に変わり、膨れ上がった圧力が膜ごと弾け飛んだ。
紛れもない、【水蒸気爆発】だ。
魔法を散らさずに留めておく――その思いつきは、確かに合っていた。
ただ、結果が、想像の百倍だっただけだ。
(こんな小さな泡ひとつで……この威力……!?)
何もない空間を一瞬で爆ぜさせ、周囲の空気ごと薙ぎ払う破壊力。
一人前の魔法使いが前線で放つ、第三階位クラスの攻撃魔法に迫る衝撃だった。おまけに中心で弾けた蒸気は、まともに浴びれば火傷では済まない熱を持っていたはずだ。
「はは……まじか……」
膝が、笑っていた。
ハズレスキルと呼ばれた【泡生成】と、器用貧乏と笑われた初歩魔法。
その二つが組み合わさった瞬間――まったく別の、『兵器』と呼べる何かに化けたのだ。
もし、これがもっと大きな泡だったら?
もし、泡を遠くへ飛ばして、時間差で中に火を放り込めたら――?
遠くで、犬がけたたましく吠え立てている。
その声に、ハッと我に返った。
(……まずい)
慌てて辺りを見回す。庭の外に人影はない。
それでも、心臓は早鐘のように鳴り続けていた。
(……ダメだ。これは、絶対にダメだ)
俺は、自分の手を固く握りしめた。
まだたかだか十歳の子供だ。
こんな異常な仕組みが今バレたら、『危険な兵器』か『珍しい実験体』として、国やどこかの勢力に目をつけられてもおかしくない。
自分の力で身を守れるようになるまでは、公表なんてできるわけがなかった。
そうなれば、『S級冒険者になって、自由気ままに未開の地を旅する』なんて夢は、一瞬で潰えてしまう。
(隠さなきゃ……誰にも……父さんや母さんにも、知られちゃダメだ……!)
静まり返った庭をじっと見つめながら、俺は固く胸に誓った。
表向きは、『泡しか出せないハズレスキル持ちの、器用貧乏な少年』。
その裏で、誰にも知られず、この力を密かに鍛え上げていく。
自分を守れる確固たる実力を身につけ、誰にも縛られない自由な冒険者になる、その日まで――この力は、俺だけの秘密だ。
十歳になったばかりの、あの日。
俺の、本当の意味での鍛錬が、静かに始まったのだった。




