討伐祭(後編)
花火がよく見える場所は、どこも人でいっぱいだった。
王城が見える大広場は、もう人の頭しか見えない。川沿いの土手も高台の公園も、隙間なく人が座り込んでいて、屋根の上にまでよじ登っている人がいた。
「全然、空いてないわね」
ネルが背伸びをして人混みの向こうを覗き込みながら、肩を落とした。狐耳がしょんぼりと垂れている。
「眠り羊亭の屋根なら、空いてるかもな」
「あそこ、王城と逆向きじゃない。煙突しか見えないわよ」
「そうだった」
二人して途方に暮れていると、ミリアさんがぽん、と手を叩いた。
「あ! とっておきの場所、ありますよ!」
◇
ミリアさんに連れられてやってきたのは、ギルド本部の裏手だった。
祭りの喧騒が嘘のように静かな、細い路地。その突き当たりに、古い石造りの塔がひっそりと建っていた。
「鐘楼です。昔は時を告げる鐘を鳴らしてたんですけど、今はもう使われてなくて」
ミリアさんは、塔の小さな木戸の鍵を慣れた手つきで開けた。
「ギルドの職員しか、鍵を持ってないんです。内緒ですよ?」
いたずらっぽく、人差し指を唇に当てる。受付のカウンターでは見たことのない顔だった。
螺旋状の石の階段を、ぐるぐると上っていく。最後の一段を上りきると、そこは四方が吹き抜けになった、小さな鐘つき場だった。錆びた大きな鐘が、天井から静かにぶら下がっている。
そして――。
「わあ」
ネルが、声を漏らした。
眼下に、王都の夜がまるごと広がっていた。
無数の灯籠の灯りが、通りという通りを赤や橙に染めている。人々のざわめきが遠く、波のように聞こえてくる。その向こうには、月明かりに白く浮かび上がる王城の尖塔が、まっすぐにそびえていた。
遮るものは、何もない。
「ここなら、花火、一番よく見えますよ」
ミリアさんが得意げに胸を張った。それから、何かを思い出したように、ぱっと手を打つ。
「あっ、いけない! 私、同僚の子たちと、花火の時間に待ち合わせしてたんでした!」
「え、ミリアさんは見ないんですか?」
「はい、大丈夫です! ここは、お二人で、どうぞ!」
ミリアさんはにこにこと笑いながら、階段のほうへ後ずさっていく。その視線が、俺とネルを交互に見比べていた。
「ゆっくり、楽しんでくださいね!」
ぱたぱたと、軽い足音が螺旋階段を駆け下りていった。
二人きりになった鐘つき場に、しばらく沈黙が落ちた。
「今の、絶対、嘘よね」
ネルが、ぼそりと呟いた。
「たぶんな」
ネルの狐耳の先が、灯籠の灯りの中でもわかるくらい、ほんのりと赤くなっていた。
◇
――ひゅるるるる。
遠くで、何かが空へ昇っていく音がした。
一筋の光が、王城の上の夜空をまっすぐに駆け上がっていく。そして、ふっと闇の中に消えた。
一拍。
――ドォン!
夜空に、大きな光の花が咲いた。
赤い光の粒がまんまるに広がって、金色の尾を引きながら、ゆっくりと夜空に溶けていく。少し遅れて、腹の底に響くような音が鐘楼の石壁を震わせた。
「――っ!?」
ネルの尻尾が、びくんっと跳ね上がった。
音に驚いたのだ。けれどネルは、目を逸らさなかった。琥珀色の瞳をまんまるに見開いたまま、夜空を見上げていた。
――ドォン! ドォン!
二発目、三発目。今度は、緑と青。
いくつもの光の花が重なり合うように咲いては、散っていく。光が弾けるたびに、ネルの顔が赤や緑や金色に照らされた。
ネルは、何も言わなかった。
口をほんの少しだけ開けて、ただ空を見上げていた。尻尾が花火の音に合わせてびくっと跳ねては、またゆっくりと揺れる。
「きれい」
小さな、小さな声だった。
花火の音に、かき消されてしまいそうなくらい。
俺は、夜空よりも、その横顔を見ていた。
孤児で、ばあちゃんの店でずっと針を持って、荷物持ちで銅貨を数える毎日で。初めて見る花火に、こんな顔をするんだな、と思った。
――ドォン。
光の花が、またひとつ咲いた。まんまるに広がって、散っていく光の粒。
(……泡みたいだ)
ふと、そう思った。
まんまるの膜の中に閉じ込められた光が、一気に弾ける。俺の泡と、同じ形だ。
ただ、こっちは、誰かを笑顔にするために弾けている。
◇
「ここ、よく見えるね」
すぐ横から、静かな声がした。
「わっ!?」
「ひゃあっ!?」
俺とネルは、同時に跳び上がった。
鐘つき場の石の手すりに、いつの間にか、銀髪のダークエルフが腰かけていた。昼間と同じ、藍と銀の祭りの装い。膝の上には、見慣れた紙袋。
「シェ、シェイラさん!? いつから……」
「さっきから」
シェイラは紙袋から焼き菓子を取り出して、俺とネルに一つずつ差し出した。
「あんた、ほんとに、どこにでもいるわね」
ネルは心臓を押さえながら、それでも焼き菓子を受け取った。もう、毒を疑う顔はしていなかった。
三人で並んで、手すりにもたれかかる。焼き菓子をかじりながら、咲いては散っていく光の花を見上げた。
「……ん。美味しいね」
シェイラが、花火の光に照らされながら、やわらかい声で言った。
◇
しばらくして、シェイラが夜空を見上げたまま口を開いた。
「そういえば。討伐の報酬、出た」
「報酬?」
「ギルドの依頼の分が、金貨十五枚。国から、王都を救った褒美が、金貨十枚」
さらりと、何でもないことのように言う。
「合わせて、二十五枚」
――ドォン、と。ひときわ大きな花火が、夜空に咲いた。
「に、にじゅう、ご……!?」
ネルの声が、裏返った。
金貨一枚が、銀貨百枚。金貨二十五枚なら、銀貨にして二千五百枚だ。ネルが毎朝指を折って数えていた、あの銀貨の何百倍にもなる。
「三人で、分ける」
シェイラは、淡々と続けた。
「八枚ずつ。余りの一枚は、焼き菓子代」
「は、八枚」
ネルの尻尾が、ぴたりと止まった。
金貨、八枚。
ばあちゃんの店を買い戻すのに必要なのは、金貨十枚。あと、たった二枚。
何年もかけて、ようやく届くはずだった数字が、今、目の前にぶら下がっていた。
ネルの手が、胸元の革袋をぎゅっと握りしめた。指先が、かすかに震えている。
俺は、少しだけ迷ってから、口を開いた。
「ネル」
「わかってる」
ネルは、夜空を見上げたまま答えた。
「わかってるわよ。今、あたしたちが金貨なんて持ってたら、どうなるか」
Eランクに上がったばかりの、ハズレコンビ。笑われ者の『チビ種火』と、『荷物持ちの狐』。
その二人が、アラクネ・クイーンが討たれたすぐあとに、急に金貨を何枚も持っていたら。ギルドの誰かが、必ず気づく。そこから辿られたら、泡のことも、ネルの目のことも、全部。
「店なんか買い戻したら、なおさらよね。今の持ち主、絶対に聞いてくるわ。どこで稼いだんだ、って。にやにやしながら」
――ドォン。
光の花が咲いて、散った。
ネルはしばらく黙っていた。尻尾が、迷うように右へ、左へと揺れている。
やがて、ネルは小さく息を吸った。
「このお金はね、あたしたちが命がけで稼いだお金よ。女王の巣で目が焼けそうになって、あんたが倒れそうになるまで泡を作って」
琥珀色の瞳が、まっすぐに夜空の光を映していた。
「だから、こそこそ隠れて使いたくないの。いつか、『これは、あたしが稼いだお金だ』って、誰の前でも堂々と言える日が来たら。そのときに、このお金で、ばあちゃんの店を買い戻したい」
その声は、震えていなかった。
けれど、すぐに、ネルの眉がへにゃりと下がった。
「……でも、どうしよう、リト。手元に置いといたら、あたし、きっと毎晩数えちゃう。あと二枚なんだもん。我慢できなくなるに決まってる」
狐耳が、しょんぼりと伏せられる。
「それに、あたしたちの部屋、壁も薄いし、鍵もぼろいし。金貨なんか置いといたら、おちおち寝てもいられないわよ。ギルドに預けたら、ミリアさんたちに、どこで稼いだのって思われるし」
「うーん」
俺は、腕を組んで考えた。
持っていれば、危ない。預ければ、目立つ。使えば、なおさら目立つ。
どうしたって、八枚の金貨は、俺たちの手には重すぎた。
でも、と思う。
そもそも、あの夜、シェイラに呼び出されていなければ、俺たちは森の奥に行くこともなかった。この金貨だって、最初から無かったはずのものだ。
それに、今ここで、シェイラが報酬の話をしなければ。俺もネルも、報酬のことなんて、たぶん考えもしなかった。
だったら――。
「シェイラさん」
俺は、手すりに腰かけたシェイラのほうを向いた。
「この金貨、最初から無かったことにして、シェイラさんのほうで預かっててもらえませんか」
シェイラが、こちらを見た。
「俺たちの名前じゃ、どこに置いても目立ちます。でも、シェイラさんの名前なら」
「……私の名前なら、金貨が何枚あっても、誰も気にしない」
シェイラは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「つまり、私を、隠れ蓑にする」
「……そう、なります」
紫の瞳が、じっと俺を見つめていた。
怒っているわけでも、呆れているわけでもない。何かを面白がるような目だった。
「……いいよ」
シェイラは、小さく頷いた。
「ネルが、堂々と言える日まで。二人の分、ちゃんと、取っておく」
「ほ、ほんとに?」
ネルが、身を乗り出した。
「うん。その代わり」
シェイラは、紙袋から最後の焼き菓子を取り出して、ネルの手のひらに、ぽんと乗せた。
「預かり賃は、焼き菓子。……並んでもらう」
「そ、それくらい、いくらでも並んでやるわよ!」
ネルは、焼き菓子を握りしめたまま、ぷいっとそっぽを向いた。
けれど、その尻尾は、さっきよりずっと軽く揺れていた。
◇
花火は、いよいよ最後の一発を残すだけになっていた。
夜空が、一瞬だけ、しんと静まり返る。
王都じゅうの人々が、息を呑んで空を見上げているのがわかった。
「あ」
ネルが、ふと胸元の革袋に手を入れた。
取り出したのは、昼間、ナイフ投げの特賞で勝ち取った、あの髪紐だった。紅い糸を何本も編み込んだ、細い髪紐。
ネルはそれを口にくわえると、両手で赤茶の髪を後ろでひとつにまとめた。
それから、髪紐を、きゅっと結ぶ。
――ひゅるるるるる。
最後の光が、夜空へ、まっすぐに昇っていく。
――ドォォォン!!
夜空いっぱいに、金色の光の花が咲いた。
今までで、一番大きな花火だった。
光の粒が、雨のように、ゆっくりと王都の空に降り注いでいく。
その光の中で。
ネルの髪を結んだ紅い糸が、きらりと輝いた。
俺は、何も言えなかった。
花火じゃなくて。
金色の光に照らされた、その横顔から、目が離せなかった。
ネルが、ふと、こちらを振り返った。
俺と、目が合う。
「な、なによ」
「いや」
言葉を探して。
結局、見つかったのは、一言だけだった。
「似合ってる」
「――っ!?」
ネルの顔が、花火よりも赤くなった。
狐耳の先から根元まで、真っ赤だった。
「な、な、何言ってんのよ、急に! バ、バッカじゃないの!?」
「いや、だって、似合ってるから」
「うっさい!!」
ネルはぷいっと、夜空のほうへ顔を背けた。けれど、その尻尾は、ちぎれそうなくらいぶんぶんと揺れていた。
手すりの端で、シェイラが焼き菓子をかじりながら、俺たち二人をじっと見ていた。
「……ふうん」
紫の瞳が、ほんの少しだけ細められた。何かを、面白がるように。
最後の光の粒が、夜空から静かに消えていく。王都じゅうから、大きな拍手と歓声が、わっと湧き上がった。
祭りの夜が、ゆっくりと終わろうとしていた。
ネル「☆☆☆☆☆、押すのはタダよ…。」




