討伐祭(前編)
王都が、浮かれていた。
大通りという大通りに、色とりどりの布が張り渡されている。建物の軒先には紙で作った灯籠がいくつも吊るされ、どこからか笛と太鼓の楽しげな音楽が聞こえてくる。石畳の両側には朝早くから屋台がずらりと並び、焼けた肉の匂いと甘い菓子の匂いが、通りじゅうに混ざり合っていた。
アラクネ・クイーン討伐記念祭。
王都のすぐそばに巣を張っていたAランクの化け物が討たれたことを祝って、三日間の祭りが開かれることになったのだ。
「行くわよ、リト!」
眠り羊亭の前で、ネルがぶんぶんと尻尾を振っていた。
今朝は、いつもの継ぎはぎの外套じゃない。洗いたての少しだけましな上着を着て、赤茶の髪もいつもよりきちんと梳かしてある。
「ずいぶん、気合い入ってるな」
「当たり前でしょ。祭りの屋台はね、夕方になると値上がりするの。人が増えるから。安く買うなら、昼のうちなのよ」
「祭りでも、それなんだな」
「祭りだから、それなの!」
ネルに袖を引っ張られて、俺は人で溢れかえる大通りへと足を踏み出した。
◇
大通りは、まっすぐ歩けないほどの人混みだった。
冒険者も、商人も、子どもを肩車した父親も、腰の曲がったおばあさんも、誰もが笑っていた。あの夜、東の森の奥で巨大な赤い目がこちらを向いたことなんて、まるで嘘みたいだった。
「あれっ? リトさん! ネルさん!」
人混みの向こうから、聞き慣れた声が飛んできた。振り返ると、栗色の髪の女性が人波をかき分けて駆け寄ってくるところだった。
「ミリアさん?」
一瞬、誰だかわからなかった。
いつもの、きっちりとした受付の制服じゃない。淡い若草色のワンピースに、小さな花の刺繍の入った肩掛け。いつも後ろでひとつにまとめている栗色の髪は今日はゆるく下ろされていて、そばかすの浮いた頬が、少しだけ日に焼けて赤らんでいた。
「今日は、お休みなんです! ギルドも、交代で休みをもらえることになって」
ミリアさんは、照れくさそうに笑った。
「お二人も、お祭りですか?」
「ネルが、屋台を全部回るって言うので」
「全部じゃないわよ! 安いとこだけよ!」
ネルがむすっと頬を膨らませると、ミリアさんはくすくすと笑った。
「じゃあ、私もご一緒していいですか? 一人で回るの、ちょっと寂しかったんです」
「えっ」
ネルの狐耳が、ぴくりと動いた。それから、少しだけそっぽを向いて。
「べ、別に、いいけど」
尻尾は、正直に揺れていた。
◇
それから三人で、屋台を一軒ずつ回った。
ネルの値切りは、祭りの日でも容赦がなかった。
「この串焼き、銅貨三枚? 二枚にしなさいよ」
「お、お嬢ちゃん、今日は祭りだよ!?」
「祭りだから、いっぱい売れるでしょ。一本くらい安くしたって、困らないわよね?」
「ぐ……っ、わ、わかったよ、二枚でいい!」
串焼き屋の親父が、泣きそうな顔で串を三本差し出す。三本で、銅貨六枚。
「すごいですね、ネルさん」
ミリアさんが、感心したように目を丸くしている。
「当たり前でしょ。銅貨一枚だって、無駄にできないの」
ネルは胸を張りながら、俺とミリアさんに串を一本ずつ押しつけた。自分の分も含めて三本。ちゃっかり、二人の分まで値切ってくれていたらしい。
焼きたての串焼き。星の形をした赤い果実を飴でくるんだ菓子。湯気の立つ、肉と野菜を包んだ饅頭。
屋台を一軒回るごとに、ネルの尻尾がぱたぱたと揺れる回数が増えていった。
「リト、これ、美味しい」
星の果実の飴をかじりながら、ネルが目をまんまるにしていた。
「中が、甘酸っぱいの。外の飴が、ぱりってして……」
「よかったな」
「あんたも、食べる?」
ネルが、かじりかけの飴をずいっと差し出してくる。それから、自分が何をしているのか気づいたらしく、慌てて引っ込めた。
「う、嘘! 自分で買いなさいよ!」
ミリアさんが、口元を押さえて肩を震わせていた。
◇
「あっ、あれ、やってみませんか?」
ミリアさんが指さしたのは、通りの角の、ひときわ賑わっている屋台だった。
『魔法の的当て! 動く的を倒せば、豪華景品!』
屋台の奥では、木でできた小さな的がいくつも、左右にゆらゆらと揺れている。仕掛けで動いていて、ときどきひょいと隠れたり、また現れたりしていた。初歩の魔法で的を倒すと、景品がもらえるらしい。
ちょうど、どこかの冒険者が拳ほどの火の玉を放って、的を三つまとめて吹き飛ばしたところだった。
「おおっ、三つ! 兄ちゃん、やるねぇ!」
屋台の親父が、景品の木彫りの人形を手渡している。周りの見物人たちから、拍手が起きた。
「リトさん、トリプル適性でしたよね! やってみたらどうですか?」
ミリアさんが、目をきらきらさせて俺を見た。
「え、いや、俺は――」
「いいじゃない、やってみなさいよ」
ネルが、にやにやしながら俺の背中を押した。
……この狐、わかってて言ってるな。
「はいよ、兄ちゃん! 一回、銅貨二枚! 三回まで撃てるよ!」
屋台の親父に銅貨を渡して、俺は的の前に立った。揺れる的を、見つめる。
(……正直に言うと)
本気でやれば、全部倒せる。
種火を泡の中で凝縮させて、膜の厚みで弾けるまでの時間を調整して、的の真ん前で弾けさせれば。ここにある的なんて、一つ残らず木っ端みじんだ。
でも、それは絶対にだめだ。ここは祭りの真ん中で、周りには何十人もの見物人がいる。
(……普通に、ショボく、外す)
俺は、右手の人差し指を的に向けた。
「【プチフレイム】」
――ぽっ。
指先に、ロウソクより小さな種火が灯った。それを的に向かって、ふわりと飛ばす。
種火はゆらゆらと宙を漂って――的の手前で、ぷすん、と消えた。
「…………」
一瞬の、静寂。
「ぶはっ!!」
屋台の親父が、盛大に吹き出した。
「な、なんだそりゃ! 兄ちゃん、それ、魔法か!? ロウソク以下じゃねぇか!」
周りの見物人たちも、どっと笑い出した。
「おい、あれ、チビ種火じゃねぇか? ギルドの」
「ああ、あいつか! ハズレコンビの!」
「祭りの的当てでも、それかよ!」
二発目は、的の真横をひょろひょろと通り過ぎて消えた。三発目は、的に届く前に自分の吐いた息でふっと消してしまった――ように見せかけた。
「ギャハハハ!! もうやめとけ、兄ちゃん! 景品どころか、的が可哀想になってくるわ!」
屋台の親父が、腹を抱えて笑っている。俺は頭をかきながら、愛想笑いを浮かべた。
(……完璧だ)
ミリアさんが「あ、あはは……」と困ったように笑っていた。その隣で、ネルが口元を押さえて、肩を小刻みに震わせていた。
……笑いを堪えているのが、丸わかりだった。
◇
「仕方ないわね」
ネルがふん、と鼻を鳴らして、隣の屋台の前に立った。
『ナイフ投げ! 的の真ん中を射抜けば、特賞!』
木の板に描かれた、同心円の的。その真ん中の、小指の先ほどの赤い点を射抜けば特賞らしい。屋台の親父が「お嬢ちゃんには、ちょいと難しいかもなぁ」と、にやにやしている。
ネルは何も言わずに、銅貨を一枚置いた。差し出された投げ用の小さなナイフを一本、指先で摘まむ。
それから、琥珀色の瞳を、すっと細めた。
(……あれ、使ってるな)
綻びを見る目。
的の板の木目の流れの中にある、刃が吸い込まれるように通る、ほんのわずかな一点。
ネルの手首が、しなやかに返った。
――とすっ。
ナイフが、的の真ん中の赤い点に、まっすぐ突き立っていた。
「…………は?」
屋台の親父の口が、開いたまま固まった。周りの見物人たちが、しん、と静まり返る。
「特賞。でしょ?」
ネルが、何でもないことのように首を傾げた。
「と、特賞ーーっ!!」
屋台の親父の絶叫に、見物人たちから、わっと歓声が上がった。
「すげぇぞ、狐の嬢ちゃん!」
「さっきの兄ちゃんと、えらい違いだな!」
……その比較は、いらない。
特賞の景品は、紅い糸を何本も編み込んで作られた、細い髪紐だった。光にかざすと、紅い糸がきらきらと艶を帯びて光る。
「わあ、きれい……!」
ミリアさんが、思わず声を上げた。
ネルは髪紐を手のひらに乗せて、しばらくじっと見つめていた。
「まあ、悪くないわね」
ぶっきらぼうにそう言いながら、その髪紐をそっと胸元の革袋にしまい込む。大事そうに。
尻尾が、ぱたぱたと嬉しそうに揺れていた。
◇
「うおおおっ! 剣聖様だぁ!」
大通りの向こうから、ひときわ大きな歓声が上がった。
人波の向こうで、何かがゆっさゆっさと揺れながら近づいてくる。よく見るとそれは、筋骨隆々の冒険者たちの肩の上に担ぎ上げられた、白銀の鎧の少年だった。
「アラクネ討伐の英雄、剣聖レオンハルト様だぞぉ!」
「毒牙蜘蛛を、二十匹も斬ったんだってな!」
「さすが剣聖! 王都の誇りだ!」
冒険者たちに担がれたレオンハルトは、肩車の上でひどく居心地が悪そうに顔をしかめていた。
「お、下ろせ! 下ろせと言っている! 俺は、見世物じゃない!」
「遠慮すんなって、英雄!」
「ほら、手ぇ振れ、手ぇ!」
周りの子どもたちが「剣聖さまー!」と、きゃあきゃあ手を振っている。レオンハルトは引きつった顔で、ぎこちなく片手を上げた。
その青い瞳が、ふと、人混みの中の俺とぴたりと合った。
「…………」
「…………」
一瞬の、沈黙。
「……見るな!!」
レオンハルトの顔が、真っ赤に染まった。担がれたまま、大通りの向こうへと揺れながら遠ざかっていく。
(……前にも、聞いたな。その台詞)
早朝の訓練場。豆が潰れて血がにじんだ手で、誰もいない中、泥臭く木剣を振り続けていたあいつの背中。あのときも、あいつは同じ顔で同じことを言った。
俺は、少しだけ笑った。
◇
日が傾き始めた頃。甘い菓子の屋台が並ぶ一角に、なぜか人だかりができていた。
「なんだ? 何かあったのか?」
人垣の隙間から覗き込むと、その中心に一人の女が立っていた。
腰まで届く銀の髪を、今日は高く結い上げて、紫の飾り紐で留めている。深い藍色の薄布を幾重にも重ねた、異国風の祭りの装い。長い袖の裾には、銀糸で細かな星の模様が刺繍されていた。褐色の肌に、藍と銀がよく映えている。
すれ違う人たちが、男も女も、思わず足を止めて振り返っている。屋台の店主たちでさえ、手を止めてぽかんと見とれていた。
まるで、祭りの喧騒の中に、そこだけ別の夜空が降りてきたみたいだった。
――シェイラだった。
けれど本人は、周りの視線などまるで気にしていなかった。紫の瞳は、ただ一点。目の前の屋台の、蜂蜜菓子の山だけをじっと見つめていた。
「……これと、これと、これ。全部」
「ぜ、全部ですか!?」
「うん。全部」
屋台の店主が、目を白黒させながら菓子を紙袋に詰め込んでいく。シェイラの両腕には、すでに紙袋がいくつも抱えられていた。
「……あ」
シェイラが、こちらに気づいた。紫の瞳が、俺とネルとミリアさんを順番に見る。それから、両腕いっぱいの紙袋を、ほんの少しだけ持ち上げてみせた。
「……食べる?」
「祭りでも、それなのね」
ネルが、呆れたように呟いた。その隣で、ミリアさんが石のように固まっていた。
「む、む、『無音』の……シェイラ、さん……!?」
ミリアさんの声が、裏返っていた。
ギルドの受付で何度もその姿を見ているはずなのに、祭りの装いのS級冒険者が知り合いのように俺たちに菓子を差し出している光景に、頭が追いついていないらしい。
「り、リトさん、ネルさん……お、お知り合い、なんですか……?」
「……えーと」
俺とネルは、顔を見合わせた。シェイラは首を傾げたまま、紙袋を差し出し続けている。
「……焼き菓子、仲間?」
「そう。焼き菓子仲間」
ネルが、真顔で頷いた。ミリアさんは、ますますわけがわからないという顔で、目をぱちぱちさせていた。
◇
日が沈むと、通りに吊るされた灯籠に一斉に火が入った。
赤、橙、黄色。無数の柔らかな灯りが、夜の王都をぼんやりと照らし出していく。昼間とはまた違う、ゆらゆらと揺れる温かな光の通り。
広場の掲示板の前に、人だかりができていた。新しく貼り出された紙に、大きな文字でこう書かれている。
『今宵、王城上空にて、討伐祝いの大花火を打ち上げる』
「……花火」
ネルが、掲示板を見上げてぽつりと呟いた。
「……あたし、見たこと、ない」
その声は、いつもの強がりじゃなかった。ほんの少しだけ、小さな女の子みたいな声だった。
孤児で。
ばあちゃんに拾われて、仕立て屋の店でずっと針を持って。
ばあちゃんがいなくなってからは、荷物持ちで、銅貨を数える毎日で。
祭りの夜に空を見上げる余裕なんて、きっと、一度もなかったのだ。
「じゃあ」
俺は、灯籠の灯りに照らされたネルの横顔を見ながら言った。
「一番よく見えるとこ、探そうか」
ネルが、こちらを振り返った。琥珀色の瞳に、灯籠の灯りがゆらゆらと映り込んでいた。
「うん」
小さく頷いたネルの尻尾が、夜風の中で、ゆっくりと揺れていた。




