半分こは、倍になる
王都の北門を出て、畑の間の一本道を歩くこと一時間。
なだらかな丘に、小さな農家がぽつぽつと並ぶ村が見えてきた。
「いやぁ、よく来てくれたねぇ。若い人が二人も」
出迎えてくれたのは、腰の曲がったおじいさんと、ふっくらした丸顔のおばあさんだった。
案内された畑を見て、俺とネルは、そろって言葉を失った。
青々と育っていたはずの葉物の畝が、根元から食い荒らされ、あちこちに小さな穴が掘り返されている。
「ホーンラビットがね、昼間っから平気で出てくるんだよ。多い日は、二十匹は来るかねぇ」
「に、二十……」
ネルの狐耳が、へにゃりと垂れた。
「どうしよ、リト。二十匹なんて、追いかけ回してたら日が暮れるわよ」
「……数が多いなら、まとめて止めればいいんじゃないか」
俺は、畑の畝をじっと眺めながら言った。
ホーンラビットは、額の角を突き出して、まっすぐ突っ込んでくる習性がある。
そして、この畑は、畝と畝の間が一本道のように続いている。
(通り道が決まってるなら――罠を敷けばいい)
◇
昼過ぎ。
畑の端の茂みが、がさり、と揺れた。
「来たよ!」
一匹、二匹、三匹――。
茶色い毛玉のような影が、次々と飛び出してきて、畝の間を一直線に駆けてくる。
「……よし」
俺は畑の脇にしゃがみ込み、地面に手をかざしていた。
畝の間に、あらかじめ敷いておいた、米粒ほどの泡の群れ。
弾力を持たせた、何百という透明な粒。
先頭のホーンラビットが、そこへ勢いよく踏み込んだ。
――ツルンッ!
「キュッ!?」
一匹目が、見事にひっくり返った。
続いて駆け込んできた二匹目が、転んだ一匹目に突っ込んで、もんどり打つ。
三匹目は、滑って、回って、畝の土にぽすんと頭から埋まった。
「……ほんとに、転ぶのね」
ネルが、呆れたような、感心したような声を漏らした。
「ネル、今のうちに。止まってるやつなら、見えるだろ」
「……うん。やってみる」
ネルは、ひっくり返ってじたばたしているホーンラビットの前にしゃがみ込むと、目を細めた。
一秒。二秒。
琥珀色の瞳が、じっと一点を見つめる。
針に糸を通すときのような、張りつめた集中。
三秒目で、ネルの肩が、ぴくりと動いた。
「……見えた」
ナイフの刃先が、すっと滑る。
ホーンラビットは、音もなく動かなくなった。
「……っ」
ネルが、目の奥を押さえて顔をしかめる。
「大丈夫か?」
「平気。止まってる相手なら、三つ数えれば見える。でも……続けてやると、目の奥がじんじんする」
「じゃあ、ネルは三匹に一匹くらいにしよう。残りは、俺が仕留める」
「……うん。わかった」
素直に頷くネルを横目に、俺は転がったホーンラビットたちにナイフを向けた。
そのときだった。
「すっげー! ウサギが勝手に転んでる!!」
畑の柵の向こうから、甲高い声が上がった。
振り返ると、日焼けした五、六歳くらいの男の子が、柵にしがみついて目をまん丸にしている。
「じいちゃん、ばあちゃん! ウサギがね、ぜーんぶ勝手にすっ転ぶの! ツルンって!」
(……しまった。見られてたのか…)
背中に、嫌な汗が一筋流れる。
「あ、あはは……今日は、地面が滑りやすいのかな。運がいいなぁ、俺たち」
「そうなの!? すげー! 運いいー!」
男の子は、あっさりと納得して、今度はネルの尻尾に目を輝かせ始めた。
「お姉ちゃんのしっぽ、ふわふわー!」
「……さ、触ったら銅貨一枚だからね」
「えー!」
子供相手にまで値段をつけるネルに、俺は思わず吹き出した。
◇
夕方までに、畑に現れたホーンラビットは、ちょうど二十匹。
その全部を片付けたあと、ネルは畑の脇の切り株に腰を下ろし、黙々と剥ぎ取りを始めた。
すっ、すっ、と刃先が数度なぞるだけで、毛皮が一枚のまま、するりと剥がれていく。
一匹。また一匹。
二十枚の毛皮が、傷ひとつないまま、きれいに積み重なっていった。
「まあまあ……」
おばあさんが、両手で口を押さえていた。
「こんなに綺麗な毛皮、長いこと生きてるけど、初めて見たよ。お嬢ちゃん、器用だねぇ」
「……別に。慣れてるだけですよ」
ぶっきらぼうに答えながらも、ネルの尻尾は、ゆらゆらと嬉しそうに揺れていた。
◇
王都に戻った俺たちは、ギルドで依頼の報酬を受け取ったあと、その足で下層区の皮なめし屋へ向かった。
獣臭さと、渋い薬品の匂いが立ちこめる、薄暗い店。
奥から出てきたのは、分厚い革の前掛けをした、白髭の頑固そうな職人だった。
「毛皮の買い取りか。……ホーンラビットね。まあ、一枚銅貨三枚ってとこだな」
面倒くさそうに、ネルが差し出した毛皮の束を受け取る。
一枚目を、ばさりと広げた。
そして――職人の手が、止まった。
「……」
二枚目を広げる。
三枚目。四枚目。
職人の目つきが、みるみる変わっていく。
「……傷が、ねぇ」
低い声だった。
「一枚も、ねぇ。刃の跡すら、ほとんど見えやしねぇ。……おい、誰が剥いだ」
「……あたし、ですけど」
ネルが、少しだけ身構えながら答える。
職人は、しばらく黙ってネルを見つめていた。
それから、ふんと鼻を鳴らすと、帳面にがりがりと数字を書き込んだ。
「一枚、大銅貨二枚。二十枚で、大銅貨四十枚。……それでどうだ」
「――えっ」
ネルの声が、ひっくり返った。
「い、一枚、大銅貨二枚!? さっき、銅貨三枚って……」
「これを銅貨三枚で買い叩いたら、俺の腕が泣く。こんな毛皮なら、なめせば貴族の手袋にだってなる」
職人は、じろりとネルを見下ろした。
「……嬢ちゃん。うちの専属にならねぇか。剥ぎ取りだけでいい。給金は弾むぞ」
一瞬、店の中が静まり返った。
荷物持ちで、半年。
剥ぎ取りを押しつけられ、報酬は荷物持ちの分だけ。
そんなネルにとって、それは、夢みたいな話のはずだった。
けれど。
「――お断り」
ネルは、きっぱりと言った。
狐耳をぴんと立てて、精一杯に胸を張る。
「あたし、パーティ組んでるから」
その横顔を見て、俺は、なぜだか少しだけ、鼻の奥がつんとした。
◇
その夜。
眠り羊亭の、薄い壁越しに、ちゃりん、ちゃりん、と小さな音が聞こえてきた。
廊下に出てみると、ネルの部屋の扉が、少しだけ開いている。
覗くと、ネルは硬いベッドの上に座り込んで、膝の上に広げた布の上の硬貨を、一枚ずつ数えていた。
依頼の報酬、大銅貨八枚。
毛皮、大銅貨四十枚。
角が二十本で、大銅貨六枚分。
合わせて、大銅貨五十四枚。銀貨にすれば、五枚と少し。
それを、きっちり半分に分けた、ネルの取り分。
「……二十七」
ネルが、ぽつりと呟いた。
「荷物持ちで一日働いて……一番多かった日でも、銅貨五枚だったのに」
数え終わった硬貨を、ネルはもう一度、最初から数え直し始めた。
一枚。二枚。
その指先が、途中で止まる。
ネルは、ごしごしと、乱暴に目元を拭った。
「……入っていい?」
扉を軽く叩くと、ネルの耳がびくっと跳ねた。
「な、なによ! 覗いてたの!?」
「覗いてない。ちゃりんちゃりん聞こえてただけ」
「……壁、薄いんだった」
ネルは、ふいと顔を背けた。
それから、少しだけ間を置いて、ぽつりと話し始める。
「……ばあちゃんの店ね。今の持ち主が、売ってくれるって言ったの。金貨十枚出せば」
「金貨、十枚……」
大銅貨にして、一万枚。
今日の稼ぎの、二百倍近く。
気の遠くなるような数字だった。
「やな奴だけどね、あいつ。どうせ払えっこないって、笑ってた」
ネルは、膝の上の硬貨を、ぎゅっと握りしめた。
「あたしもね、ずっと、届くわけないって思ってた。貯めても貯めても、銅貨ばっかりで」
顔を上げたネルの目は、赤く潤んでいた。
それでも、口元は、ちゃんと笑っていた。
「……でも、今日みたいな日が続けば。届かない数字じゃ、ないわよね」
窓の外で、王都の夜が静かに更けていく。
俺は、心の中で、そっと決めた。
(届かせよう。二人で)
目立ちたくない。力は隠したい。
その気持ちは、今も変わらない。
けれど、この子の夢くらいは――『仄かな灯』で、照らしてやりたいと思った。
リトは目立ちたくないそうですが、作者は目立ちたいです。
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