凸凹パーティ、結成
「――銀貨一枚!? 一泊で!?」
翌朝。
東の丘へ向かう道すがら、今の宿の値段を話した途端、ネルの狐耳がぴんと逆立った。
「え、うん。中層区の、路地裏の宿で……」
「バッッッカじゃないの!?」
往来のど真ん中で、思いきり怒鳴られた。
すれ違ったおばさんが、びくっと肩を震わせる。
「癒し草の依頼、いくらだと思ってんの!? 大銅貨五枚よ!? 一日働いて、宿代の半分! あんた、冒険者やるたびに借金してるようなもんじゃない!」
「……それは、うん。俺もちょっと思ってた」
「思ってたなら、さっさと移りなさいよ!」
ネルは、俺の袖をむんずと掴むと、有無を言わさず歩き出した。
連れていかれたのは、下層区の入り組んだ路地の奥。
軒先に、眠そうな顔の羊の絵が描かれた、古びた看板が揺れていた。
「『眠り羊亭』。素泊まりで、一泊大銅貨三枚。朝の麦粥つき」
「……三枚?」
「ベッドは硬いし、壁は薄いし、隣のいびきは聞こえるけど。雨漏りはしないし、女将さんはいい人よ」
妙に詳しいな、と思っていると、ネルがふいと目を逸らした。
「……あたしも、ここに住んでるから」
「え」
「べ、別に! 近いほうが、待ち合わせが楽なだけだし! あんたが同じ宿なら、朝、わざわざ丘で待たなくて済むでしょ!」
「やっぱり待ってたんじゃ――」
「待ってない!」
ぶんぶんと振られる尻尾が、今日も元気に嘘をついていた。
◇
宿を移る手続きを済ませ、その足で、俺たちは冒険者ギルド本部へと向かった。
目当ては、依頼書の掲示板じゃない。
受付だ。
「パーティの登録、ですね」
受付嬢は、並んで立つ俺とネルを見比べて、ぱちぱちと瞬きをした。
それから、にこりと笑う。
「おめでとうございます。では、こちらの用紙に、お二人のお名前と――パーティ名をご記入ください」
「……パーティ名?」
俺とネルは、同時に顔を見合わせた。
考えて、なかった。
「……何か、あるか?」
「あんたが決めなさいよ。言い出しっぺでしょ」
「えー……じゃあ、泡っぽいやつで。『バブル・ブレイカーズ』とか」
「ダサい」
即答だった。
しかも、ものすごく冷たい目だった。
「じゃあネルは?」
「……『銅貨一枚』」
「それパーティ名じゃなくて座右の銘だろ」
「うっさい! 大事なことでしょ!」
受付の前で言い合いを始めた俺たちに、背後のホールから、くすくすと笑い声が漏れ聞こえてきた。
そして、それはすぐに、遠慮のない大笑いに変わる。
「おい、聞いたか! チビ種火と荷物持ちの狐が、パーティ組むんだってよ!」
「マジかよ! ロウソクと針子で何を狩るつもりだ!?」
「名前なんか、『チビ種火』でいいじゃねぇか! ぴったりだろ!」
ギャハハハ、と、ホールが揺れるほどの笑い声。
ネルの狐耳が、ぴくりと伏せられた。
俺は、いつものように愛想笑いを浮かべかけて――。
「……いいじゃない、それで」
隣から、ぼそりと声がした。
「え?」
ネルは、ホールのほうを見ようともしなかった。
受付台の上の用紙を、じっと睨んだまま、低い声で続ける。
「種火でしょ。小さくたって、火は火よ」
琥珀色の瞳が、一瞬だけ、俺を見た。
川べりで、泡の中の小さな火が、水柱を噴き上げたのを見た目だった。
「真昼の広場じゃ、誰も気づかないくらいの火でも……暗いとこなら、ちゃんと見える」
ネルはペンを取ると、少し癖のある字で、さらさらと書き込んだ。
「――『仄かな灯』。これでいいでしょ」
用紙の上に並んだ、四つの文字。
俺は、しばらく、それを見つめていた。
笑われてきた、ちっぽけな種火。
それを、この子は、看板にしようと言っているのだ。
二人にしか、本当の意味がわからない形で。
「……うん」
喉の奥が、少しだけ詰まった。
「いい名前だと思う」
「……ふん。当然でしょ」
そっぽを向いたネルの耳の先が、ほんのりと赤く染まっていた。
受付嬢が、用紙を受け取って、にっこりと微笑む。
「素敵なお名前ですね。『仄かな灯』――確かに、登録いたしました」
◇
登録を済ませて振り返ると、ちょうど入口の扉が、大きく開け放たれたところだった。
途端に、ホールの空気が変わる。
さっきまで俺たちを笑っていた冒険者たちが、一斉にそちらへ顔を向けた。
「おい、来たぞ。例の新人だ」
「ヴァイスベルク伯爵家の三男坊だろ。登録してまだひと月も経ってねぇのに、依頼を片っ端から片付けてるっていう」
「スキルが【剣聖】なんだとよ。そりゃ強ぇわけだ」
取り巻きらしい若い冒険者たちを引き連れて、一人の少年が歩いてくる。
陽の光を集めたような金髪に、澄んだ青い瞳。
磨き上げられた白銀の軽鎧と、腰には家紋の刻まれた長剣。
年は、たぶん俺と変わらない。
なのに、そいつが歩くだけで、ホールの視線が吸い寄せられるように集まっていく。
(……うわ。目立つなぁ、あいつ)
受付の奥から、職員たちがそわそわと顔を出している。
少年は、それらを当然のように受け流しながら、まっすぐ受付へ――つまり、俺たちのほうへ歩いてきた。
すれ違いざま。
青い瞳が、俺とネルを一瞥した。
そして、登録を終えたばかりの用紙に、ちらりと目を落とす。
「……『仄かな灯』?」
薄い唇が、嘲るように歪んだ。
「チビ種火と、荷物持ちの狐か。……ハズレ同士で、傷の舐め合いか」
ホールに、どっと笑いが起きる。
ネルの尻尾が、ぶわりと逆立った。
一歩、前に出ようとする。
「――っ、あんたね――」
その肩に、俺はそっと手を置いた。
「リト! なんで止め――」
「いいから」
小声で言って、首を横に振る。
ネルは悔しそうに唇を噛んで、それでも、踏みとどまってくれた。
少年は、もう俺たちには興味を失ったように、受付嬢へ討伐依頼の報告を始めている。
周りの視線は、すべて、あいつに向いていた。
(……いいぞ)
俺は、胸の中で、小さく拳を握っていた。
(もっと目立ってくれ。お前がそこで光ってる限り、誰も、俺たちなんか見ない)
【剣聖】の伯爵家三男、レオンハルト・フォン・ヴァイスベルク。
あいつは、俺にとって――最高の、隠れ蓑だ。
ほんの一瞬。
報告を続けるレオンハルトの視線が、横目で、俺の顔をかすめた気がした。
笑われても表情ひとつ変えない俺を、訝しむように。
けれど、それはすぐに逸らされた。
◇
その様子を、二階の回廊から、一人の男が見下ろしていた。
岩を削り出したような強面の大男――ギルドマスターだ。
「……リト、か」
低い声が、誰にも聞こえない場所で、ぽつりと落ちる。
「それに、あの荷物持ちの狐」
太い指が、手すりをとん、と叩いた。
『仄かな灯』。
登録されたばかりのその名前を、男はしばらく、口の中で転がしていた。
◇
「――これにしましょ」
ネルが掲示板から剥がしてきたのは、Fランクの欄の端に貼られた、一枚の依頼書だった。
『王都北の農村にて、ホーンラビットの駆除。畑を荒らされて困っています。報酬:大銅貨八枚(討伐した獲物の素材は、お持ち帰りいただいて構いません)』
「大銅貨、八枚……」
「それだけじゃないわ。見て、ここ」
ネルの細い指が、最後の一文をとん、と叩く。
「素材は、持ち帰っていいの。ホーンラビットの角は小銭になるし、毛皮は、あたしが剥げば――」
そこで、ネルは言葉を切った。
それから、そろそろと、俺の顔を見上げる。
「……ねえ。剥ぎ取りの分、全部、あたしたちのものなのよね?」
荷物持ちの値段で、剥ぎ取りまで押しつけられてきた半年間。
その全部が、今日から変わる。
「半分こ、って言っただろ」
俺がそう答えると、ネルの琥珀色の瞳が、みるみる輝きを増していった。
ふさふさの尻尾が、ちぎれそうなほど、ぶんぶんと揺れる。
「――っ、行くわよ、リト! 今すぐ! ウサギが逃げる前に!」
「ウサギは逃げないって……」
依頼書を握りしめて駆け出すネルの背中を、俺は苦笑いしながら追いかけた。
『仄かな灯』。
笑われ者の、凸凹パーティ。
その最初の一日が、こうして始まった。
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