繕い物の狐娘
王都の東門を抜けて、半刻ほど。
ゆるやかな丘陵に広がる草原で、俺は途方に暮れていた。
「……全部、同じに見える」
足元一面に生い茂る、緑、緑、緑。
依頼書に描かれた癒し草の絵と見比べてみるが、ギザギザの葉っぱなんて、この丘の草の半分はギザギザだ。
母さんに薬草の見分け方くらい、習っておけばよかった。
戦い方は五年間みっちり叩き込まれたのに、こういう地味な知識が、すっぽり抜け落ちている。
(……とりあえず、それっぽいのを片っ端から摘んで――)
「……あんた、それ毒草」
「うわっ!?」
真後ろから降ってきた声に、俺は摘みかけた草を放り出して跳び上がった。
振り返ると、そこにいたのは――。
「……さっきの」
「なに見てんのよ」
赤茶の髪に、大きな狐耳。
ギルドで銅貨を拾っていた、あの少女だった。
背中には、はち切れそうなほど草の詰まった籠を背負っている。どうやら、彼女もここで採取をしていたらしい。
「それ、痺れ草。癒し草と葉っぱの形は似てるけど、茎の根元が赤いでしょ。ギルドに持ってったら、依頼失敗どころか罰金だから」
「えっ……あ、ほんとだ。赤い」
「葉っぱの裏も見なさいよ。癒し草は、裏に白い産毛がびっしり生えてんの。……ていうか、あんた本当に何も知らないのね」
少女は、呆れたように溜息をついた。
それから、じろりと俺の顔を見て、琥珀色の目を細める。
「……あんた、昨日の。チビ種火でしょ」
「……そのあだ名、もう定着してるんだ」
「ギルド中で言ってたもん。トリプル適性なのに、ロウソク以下って」
ぐさり、と胸に刺さる。
わかっていても、面と向かって言われると、なかなか効くものだ。
だが、少女は笑わなかった。
ふい、とそっぽを向いて、ぶっきらぼうに付け足す。
「……別に、笑ってないわよ。あたしだって、似たようなもんだし」
「似たようなもん?」
「あたしのスキル、【綻び】っていうの。ユニークスキル。……服のほつれが、見えるだけ」
少女は、自嘲するように口の端を歪めた。
「鑑定士にね、見たことも聞いたこともないスキルだって言われた。で、戦えない。魔法の適性もない。だから、どこのパーティも入れてくれない。荷物持ちで雇ってもらうのが、精一杯」
(……見たことも、聞いたこともない、ユニークスキル)
その言葉に、胸の奥が、小さく跳ねた。
十四年前。
母さんの腕に抱かれながら、同じ言葉を聞いた。
『見たことも聞いたこともないスキルですね』
『少々残念な結果と言わざるを得ません』
「……あのさ。もしよかったら、癒し草の見分け方、もう少し教えてもらえないかな」
「教えてあげてもいいけど、タダじゃないから」
即答だった。
しかも、ちょっと食い気味だった。
「……いくら?」
「銅貨三枚」
「安っ」
「……っ、うっさい! 相場よ、相場!」
狐耳が、ぴんと逆立った。
俺は笑いを噛み殺しながら、懐から銅貨を三枚取り出して、彼女の手のひらに乗せる。
少女は、それをまじまじと見つめたあと、大事そうに懐へしまい込んだ。
「……銅貨一枚だって、無駄にできないの。あたし、お金貯めてるから」
「何か、欲しいものでもあるの?」
「……買い戻したい店があんの。それだけ」
それ以上は言わない、という顔だった。
俺も、それ以上は聞かなかった。
結局、銅貨三枚分どころではなかった。
癒し草の見分け方に始まり、群生しやすい日陰の場所、根を傷めない摘み方、束ねるときの紐の結び方。
口では「めんどくさい」「なんであたしが」と文句を言いながら、少女は手取り足取り、日が傾くまで付き合ってくれた。
俺の籠がようやく十束で埋まった頃には、彼女の籠は、もう二十束を超えていた。
「……ありがとう。本当に助かったよ」
「別に。あんたのためじゃないし。銅貨三枚もらったし」
少女は籠を背負い直し、さっさと丘を下り始める。
俺も慌ててその後を追おうとして――。
――ビッ。
「あ」
茂みの棘に、袖を引っかけた。
見れば、右の袖口が、指の長さほどぱっくりと裂けている。
「うわ、やっちゃった……」
「……貸して」
「え?」
振り返った少女が、有無を言わさず俺の腕を掴んだ。
胸元の小さな革袋から、針と糸を取り出す。
そして――俺が止める間もなく、針が走った。
速い。
いや、速いなんてものじゃない。
裂け目のどこから縫い始めるか、一瞬も迷っていない。針先が布に吸い込まれ、糸が引かれ、また吸い込まれる。
まるで、縫うべき場所に、最初から見えない印でもついているかのように。
瞬き、数回分。
「……はい」
ぱちん、と糸を歯で切って、少女が袖を放した。
恐る恐る見下ろすと、そこには、どこが裂けていたのかもわからないほど、綺麗な縫い目が並んでいた。
「……すご」
「別に、すごくない」
少女は、ふい、と顔を背けた。
「どうせ、針子スキルだし」
投げやりな声だった。
けれど、赤茶の尻尾が、ほんの少しだけ、ゆらりと揺れたのを、俺は見逃さなかった。
「……明日も、ここ来るの?」
少女が、背中を向けたまま言った。
「あ、うん。たぶん。宿代、稼がないといけないし」
「……ふーん。別に、案内してあげてもいいけど。有料で」
それだけ言い残して、少女は丘を駆け下りていった。
夕日に照らされた狐耳が、みるみる小さくなっていく。
「……あ、名前、聞くの忘れた」
一人残された丘の上で、俺は縫い直された袖口を、もう一度見下ろした。
つなぎ目に、指先でそっと触れる。
ほとんど、何の手触りもない。
(……今の手つき)
縫う前から、ほつれの場所がわかっていたような。
いや――ほつれの『糸』そのものが、見えていたような。
(服のほつれが見えるだけのスキル、か)
一歳の俺も、そう言われた。
ただ泡を出すだけの、ハズレスキルだと。
夕暮れの風が、丘の草を揺らしていく。
俺はしばらく、その場から動けずにいた。




