第49話 帰省⑩
河童になった村長は俺の身体のまま川へ飛び込んだ。河童になった村長は川の中を器用に泳ぎ回り、頭の皿だけを水面から出したり、潜ったり、何故か魚を追いかけたりしている。見た目だけなら俺が河童になって遊んでいるようにしか見えない。これを後で誰かに説明することを考えると、頭が痛くなる。そんなことを考えていると、河童村長が岸へ戻ってきた。
「河童は最高だ!」
「そうですか」
「泳ぎやすい!」
「そうですか」
「水の中なら俺は無敵だ!」
「よかったですね」
「今のお前なら河童になれるかもしれんぞ!」
「はぁ……絶対になりたくありません」
河童になっていた村長の身体から淡い光が漏れ始めた。
光は徐々に強くなっていった。河童の姿を包み込み、甲羅が消え、手の水かきがなくなり、頭の皿も消えていく。俺はその様子を眺めながら、これはたぶん変身が解けるのだろうと思った。実際、その予想は当たった。光が弾けると、そこに立っていたのは河童ではなく、俺だった。正確には、俺の身体を使っていた村長だった。見慣れた俺の顔、見慣れた俺の身体、そして見慣れない中身。村長は自分の手を握ったり開いたりしながら、身体が元に戻ったことを確認している。
「戻った!」
「よかったですね」
村長が笑いながら俺を見る。俺はようやく自分の身体が戻ってきたことに安心した。これで少なくとも河童になる心配はない。そう思った、その直後だった。今度は俺自身の身体が突然熱くなった。何かが身体の内側から膨らんでいくような感覚があり、俺は反射的に自分の腕を見た。指先が緑色になっていた。
「これ、何ですか?」
「河童じゃないか?」
「見ればわかります!」
俺の身体が光に包まれた。身体が勝手に変化していく。背中が重くなり、手のひらが妙に広がり、頭の上に何かが乗る感覚がする。嫌な予感しかしなかった。光が消える。俺は自分の手を見た。緑色だった。水かきがあった。腕を回すと甲羅が邪魔をする。そして頭の上には、あまりにも見慣れた皿が乗っている。
「俺、河童になってません?」
「なってるな」
「どうしてですか?」
「さあ?」
「あなたのせいじゃないんですか?」
「多分違う」
「多分って何ですか! まるで意味がわからない!」
俺は叫んだ。しかし、叫んだところで河童の口から出る声は妙に間の抜けたものだった。自分の姿を確認するために川を覗き込むと、そこには俺の顔をした河童が映っていた。昨日まで普通の人間だった俺が、今では完全な河童である。しかも、つい数秒前まで河童だった村長は、今では俺の姿に戻っている。つまり、俺と村長の立場が入れ替わった上に、今度は俺だけが河童になったということだ。俺はもう何も考えたくなかった。
「大丈夫か?」
「大丈夫に見えますか?」
「河童だな」
「見ればわかります!」
「似合ってるぞ」
「嬉しくないです」
俺は頭の皿を押さえながら深く息を吐いた。そのとき、隣にいたリゼットが突然小さく手を叩いた。俺はそちらを見る。リゼットの身体が淡く光っていた。
「リゼット?」
「え?」
「何か光ってないか?」
「そう?」
俺が目を凝らしているうちに、リゼットの身体を包む光が一気に強くなった。村人たちもこちらを見ている。俺はまた何かが起きるのかと思ったが、さすがにもう驚く気力もなかった。光の中でリゼットの髪がふわりと舞い上がり、手にはいつの間にか小さな杖が握られていた。頭には星形の飾りがつき、淡い色のドレスが身体を包んでいく。
誰も何も言わなかった。俺は何故か、少しだけ違和感を覚えた。リゼットの服装が、さっきまでと違う気がする。いや、気がするというだけだ。そもそも今の俺は河童である。河童になった直後に、他人の服装について考えている場合ではない。それに、リゼットはもともと可愛い服を着ていたはずだ。だから今の姿が魔法少女のように見えるのも、多分気のせいだろう。俺はそう結論づけた。
「リゼット、何か変わった?」
「え?」
「いや……何でもない」
「そう?」
「多分気のせい」
リゼットは不思議そうな顔をしたが、それ以上何も言わなかった。俺は少しだけ違和感を覚えたが、もうこの村で違和感を覚えること自体が日常になっている。だから、気にしないことにした。多分何も起きていない。リゼットはいつものリゼットだ。魔法少女なんて、そんなわけがない。
「カイム」
「何?」
「私、何か変?」
「……いや、別に」
「本当に?」
「本当に」
村人たちが一斉にこちらへ集まり始めた。ロリになった村人たちが俺を取り囲み、手を繋いでいく。そして誰かが小さく歌い始めた。
「お兄ちゃん、歌おう」
俺は嫌な予感がした。しかし、止めるより早く、村人たち全員が声を合わせ始めた。幼い声が重なり、村の広場に不思議な合唱が響き渡る。歌詞は何故か俺を褒める内容だった。「お兄ちゃんは強い」「お兄ちゃんは優しい」「お兄ちゃんは村の大事なお兄ちゃん」といった意味不明な言葉が次々と繰り返され、俺は耳を塞ぎたくなった。しかし河童の手ではうまく耳を塞げない。しかも、歌が進むにつれて俺の身体が再び光り始めた。
「ちょっと待てよ!」
俺は叫んだ。しかし、村人たちは歌うのをやめない。光が俺の身体を包み込む。頭の皿が消え、甲羅がなくなり、水かきも消えていく。俺は何が起きているのか理解できなかった。ただ、村人たちの歌声に合わせるように、自分の身体が変化していることだけはわかった。そして最後の一節が終わった瞬間、光が弾けた。
「…………」
俺は自分の手を見た。緑色ではない。水かきもない。甲羅もない。頭の上にも皿はない。俺はほっとして息を吐いた。ところが、その直後に妙な違和感を覚えた。俺の身体は確かに人間へ戻っている。しかし、何かがおかしい。身体の感覚が違う。身長も違うような気がする。俺は近くにあった水面を覗き込んだ。
そこに映っていたのは、村長だった。俺は自分の顔を触った。水面の男も同じ動きをする。髪型も違う。顔も違う。身体も違う。俺は完全に村長の姿になっていた。
「戻ったな!」
村長が嬉しそうに叫ぶ。
村長は俺の身体を見て笑う。俺はその場で頭を抱えた。結局、河童から戻ったと思ったら、今度は村長の姿になってしまった。しかも村人たちは満足そうに笑っている。
「よかったね、カイム」
「よくないよ」
「元に戻ったじゃん」
「戻ってない!」
俺が叫ぶと、リゼットは少し首を傾げた。
「そう?」
「俺、村長になってるよ!」
俺は自分の顔を触る。どう考えても村長の顔だった。俺はもう、何が何だかわからなかった。村長が俺の身体になり、俺が村長の身体になり、村長が河童になり、今度は俺が河童になり、そして村人たちの合唱によって俺が村長の姿に戻った。
「お兄ちゃん!」
「だから俺はお兄ちゃんじゃ――」
そこで俺は言葉を止めた。今、俺の声は誰の声だっただろう。俺はもう一度、自分の手を見る。そこには、村長の手があった。俺は静かに目を閉じた。
「もういいや」
村人たちの歌声が、再び村に響き始めた。




