第44話 帰省⑤
俺たちは田舎に帰省していた。
俺は布団の中で固く決意していた。今日は絶対に何もしない。昨日までの数日間で、この村に帰省するという行為がいかに危険なものなのかを十分すぎるほど理解したからだ。靴畑を耕し、逃げ出した靴を村中追いかけ、挙げ句の果てには大量の靴が一斉に脱走するという大規模な事件に巻き込まれた。普通なら故郷に帰ってくれば懐かしい景色を見たり、家でゆっくり過ごしたりするものだと思うのだが、この村では朝から晩まで忙しい。だから今日は布団から出ない。誰に何を言われようと出ない。そう決めて目を閉じていると、案の定というべきか、部屋の外から勢いよく足音が近づいてきた。
「カイムー! 起きてー!」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないよ!?」
「言われなくてもわかる。絶対に面倒なことだ」
扉が開き、リゼットが部屋へ入ってくる。朝から妙に元気なその顔を見ただけで嫌な予感しかしなかった。
「村長が大変なんだって」
「帰って」
「何で!?」
「昨日の靴騒ぎで俺はもう限界なんだよ。今日は休む」
「でも村長が消えたんだよ?」
「……は?」
思わず片目を開ける。
「消えた?」
「うん」
「どこに?」
「わからない」
「じゃあ村人たちが探せばいいだろ」
「それがね」
リゼットは少しだけ言いにくそうな顔をした。
「見つかったんだけど、何か変なの」
「……」
俺は再び布団を被った。
「知らない」
「カイム!」
「今日は休みだ」
「でも美少女になってるよ!」
「何が?」
「村長が」
「…………」
俺はゆっくり布団から顔を出した。
「何?」
「だから村長が美少女になってる」
「嘘つけ」
「本当だもん!」
結局、俺は外へ出ることになった。家の前から村の広場へ向かう途中も、俺はずっと帰りたいと思っていた。何故なら昨日まで普通だった村長が一晩で美少女になるという時点で、既に俺の理解できる範囲を超えているからだ。広場には村人たちが集まっており、その中心には確かに1人の少女が立っていた。長い金髪に白い肌、整った顔立ちをした美少女で、年齢は俺たちと同じくらいに見える。しかし問題は服装だった。少女は明らかに身体に合っていない村長の服を着ており、だぶだぶの上着を必死に押さえていた。
「カイム」
「……」
「俺だ」
「誰ですか?」
「村長だ!」
「いや、わかるわけないでしょう」
少女が叫ぶ。その声を聞いて、俺はようやく理解した。確かに声は村長だった。
「本当に村長なんですか?」
「ああ!」
「何でそんな姿に?」
「俺が聞きたい!」
村長だった少女が頭を抱える。どうやら朝起きたらこうなっていたらしい。本人も理由はわからず、村人たちも当然ながら何もわからない。リゼットだけは興味深そうに村長の周りを歩きながら、髪を見たり顔を覗き込んだりしている。
「凄いねー。完全に別人じゃん」
「褒めるな!」
「でも可愛いよ?」
「俺は男だ!」
「今は女の子だね」
「違う!」
「鏡見た?」
「見た!」
「どうだった?」
「泣いた!」
それはそうだろう。
「それよりカイム」
村長が俺を見る。
「畑を見てくれ」
「嫌です」
「頼む!」
「昨日の靴畑ですか?」
「ああ」
「靴が逃げた以外にも何かあったんですか?」
「朝になったら畑が消えていた」
「……」
俺は少し考える。
「帰ります」
「待て!」
村長に腕を掴まれ、そのまま俺たちは靴畑があった場所へ向かった。昨日まで確かにそこには畑があり、土の中から靴が生えていた。普通に考えればその時点でおかしいのだが、この村ではそれが普通らしい。俺も昨日まで散々振り回されたせいで、靴畑という存在自体にはもう驚かなくなっていた。しかし、現地へ到着した瞬間、さすがに俺も立ち止まった。
「…………」
「どう?」
リゼットが聞いてくる。
「どうって」
目の前には巨大な屋敷が建っていた。昨日まで畑だった場所を完全に埋め尽くすほどの大きさで、壁も屋根も妙に赤い。門にはトマトの形をした装飾があり、庭には大量のトマトが植えられていた。さらに屋敷の前には立派な看板まで置かれている。
『村長が丹精込めて育てたトマト屋敷』
「村長」
「何だ」
「これ、育てたんですか?」
「育ててない!」
「でも看板には」
「知らん!」
村長は勢いよく叫んだ。
「俺は靴しか育ててない!」
「そこは自信満々に言うことじゃない」
リゼットは楽しそうに屋敷を眺めている。
「トマト屋敷だ!」
「見ればわかる」
「中に入ってみようよ!」
「嫌な予感しかしない」
「大丈夫だって」
「お前の大丈夫ほど信用できない言葉はない」
しかし村長まで屋敷の中を調べると言い出したため、結局俺たちは中へ入ることになった。扉を開けると、予想どおりというか、屋敷の中まで真っ赤だった。壁も床も天井も赤く、飾られている絵画もトマト。テーブルの上にはトマトの置物が並び、廊下にはトマトの絵が延々と飾られている。俺はまだ入口から数歩しか進んでいないのに帰りたくなった。
「目が痛い」
「トマトへの愛を感じるね」
「誰の愛だよ」
少し進むと、奥の方から鳴き声が聞こえた。
「モォォォ」
「……牛?」
「屋敷の中に?」
「そんなわけないだろ」
俺は言ったものの、昨日まで靴が逃げていた村である。もう何があってもおかしくない。鳴き声は確実に屋敷の奥から聞こえている。
「行こう!」
「何でお前はそんなに元気なんだ」
「面白そうだから!」
奥の扉を開けると、そこには屋敷とはまったく違う光景が広がっていた。広い草原があり、牛や羊や馬が自由に歩いている。青空まで見えているが、俺たちは間違いなく屋敷の中にいる。空間魔法なのか何なのか知らないが、とりあえず1つだけわかることがあった。
「牧場だな」
「牧場だね」
「何で?」
「知らない」
村長も知らないらしい。村長は昨日から何も知らない。
俺たちが牧場の入口で呆然としていると、1頭の牛がこちらに気づいた。大きな身体を揺らしながら、ゆっくりと俺たちの方へ近づいてくる。
「牛だ」
「牛だね」
「近いな」
「近いね」
その牛は俺の前まで来ると、しばらく俺の顔をじっと見つめていた。何だろうと思っていると、突然、牛が俺の肩に顔を擦りつけてきた。
「モォ〜」
「……え?」
俺は固まる。
「カイム」
リゼットが笑いながら言う。
「懐かれてるね」
「何で?」
「知らない」
「今日それしか言わないな」
俺が少し歩くと、牛もついてくる。俺が止まると、牛も止まる。どうやら完全に俺を気に入ったらしい。
「モォ〜」
「いや、何で俺なんだよ」
すると別の牛も近づいてきた。さらにその後ろからもう1頭。気がつけば俺の周りには何頭もの牛が集まり始めていた。
「おい」
「モォ〜」
「来るな」
「モォ」
「増えるな」
しかし牛たちは俺の言葉を聞く気がないらしく、次々と俺の周りへ集まってくる。俺が右へ移動すれば全員右へ移動し、左へ移動すれば全員左へ移動する。
「カイム、モテモテだね」
「相手を選びたい」
「牛差別だ」
「そういう話じゃない」
村長が何かを思いついたように俺を見る。
「なあ、カイム」
「嫌です」
「まだ何も言ってない!」
「この流れで良い話じゃないだろ」
「牛を外へ連れ出してくれ」
「ほら」
「懐いてるだろ?」
「懐かれたくて懐かれたわけじゃない」
「頼む!」
美少女の姿になった村長に真剣な顔で頼まれると、何となく断りづらい。しかし俺の知っている中身は村長なので、数秒後には普通に断ることができた。
「嫌です」
「何でだ!」
「俺は冒険者です。牛飼いじゃない」
「でも牛がついてくる!」
「だから何で俺に言うんですか」
俺が歩き出すと、牛たちも一斉についてくる。その様子を見た村長とリゼットが黙った。
「……」
「……」
「ほらな」
俺は振り返る。
「俺が動くとついてくる」
「頼む!」
「嫌です」
「カイムー」
今度はリゼットまで頼んでくる。
「面白そうじゃん」
「お前は面白いかどうかしか考えてないのか」
「うん!」
「清々しいな」
結局、俺は牛たちを連れて屋敷の外へ出ることになった。村人たちは俺が大量の牛を引き連れて出てきた瞬間、何とも言えない顔をしていた。昨日は靴を追いかけていた男が、今日は牛に囲まれている。俺自身、どうしてこうなったのか説明できない。
「カイム」
リゼットが後ろから笑いながら歩いてくる。
「田舎、楽しいね!」
「どこがだよ」
「毎日新しい発見がある!」
「普通の発見がほしい」
俺がそう言った瞬間、屋敷の中から村長の叫び声が聞こえた。
「うわあああああああ!」
「……」
俺は足を止める。
「今度は何ですか」
「トマトが喋った!」
「帰ります」
俺は牛たちを連れて歩き始めた。後ろから村長が何か叫んでいたが、もう聞こえないことにした。
靴畑が逃げ、村長が美少女になり、畑だった場所には村長が丹精込めて育てたらしいトマト屋敷が建ち、その中は何故か牧場になっていた。そして俺は牛に異常なほど懐かれている。
もういい。今日こそ寝る。何があっても寝る。そう決意した俺の後ろを、牛たちは嬉しそうに歩いていた。
「モォ〜」
「お前らはついてくるな」
しかし、その言葉が通じることはなかった。




