大きくならない
小学二年生の夏
ユウと出会った翌年の夏休み。
その年もおじいちゃんが住んでる母の実家に行った。
宿題を超特急で終わらせて、
「おじいちゃん、森に行って遊んでくる!」
「暗くなる前に帰って来るんだぞ。」
「はーい!」と森に向かった。
去年ユウと出逢った、鳥居の近くの石段に腰掛けて待ってみた。
少し待って現れないので呼んでみた。
「お兄ちゃ~ん!私よ!いずみよ!どこに居るの?出てきて!」
それでも、ユウは現れなかった。
来年もまた遊ぼうって言ったのに……私は待ちくたびれて、いつの間にかうたた寝をしていたようだ。
うとうとする意識の中で、ふと風の音が人の声のように聞こえた気がした。
「……いずみ、まだ早い。もう少し、待て」と、低く柔らかい声。
目を開けても誰もいなかったけれど、木々の梢がさわさわと揺れて、まるで誰かが頷いたように見えた。あとになって思えば、あれは山神様の気配だったのかもしれない。
首がカクンっとなって目が開いたら、ユウが目の前に居た。
「目が覚めた?」
「お兄ちゃん!会いたかった!」と飛び付こうとしたら、ユウが後って私は地面に落ちた。
「あ、いたた……」
「ゴメン。大丈夫か?」
「うん、触ったらダメなの忘れてた。嘘じゃないかと思ってたし。」
「ずいぶん背が伸びたな。」
お兄ちゃんは、去年のままだった。
「お兄ちゃんは、大きくならないの?」
「もう人間じゃなくなってずいぶん経つし、あやかしみたいなものだからね。
少しずつ歳はとるけれど、人間に比べたらすごくゆっくりだから、大きくもならないし歳を取らないように見える。」
でも、その時はまだその事の本当の意味を分かってなかった。
ただ、「お兄ちゃんは特別なんだ」というくらいにしか、思っていなかった。
その日の帰り道、私はおじいちゃんに何気なく聞いてみた。
「おじいちゃん、この杜って、昔から何かいるって言われてる?」
おじいちゃんは少し驚いた顔をしたあと、
「昔から、山神様の杜だから、粗末にしちゃいけないとは言われとるな。
子供の頃、迷子になった子を送り届けてくれた、なんて話も聞いたことがある」と笑って答えた。
それが本当にユウのことなのかは分からなかったけれど、なんだか嬉しくて、私は空を見上げた。
◇
中学一年生の夏
終業式の日。
私は制服のまま、荷物をまとめて東京駅に向かった。
今年は、母についてきてもらわず、初めて一人で新幹線に乗る。
「切符、ちゃんとしまった?携帯の充電は?お財布は?」
改札の前で何度も確認してくる母に、「もう、大丈夫だってば」と苦笑いしながら手を振った。
ホームに立って新幹線を待つ間、窓ガラスに映る自分の姿をちらっと見る。
夏用の制服、伸びた髪、去年よりも少しだけ大人びた顔。中学生になって、私は確かに変わったんだと思う。
新幹線を降り改札を出ると、おじいちゃんが車の横で手を振っていた。
「おお、いずみ。……見ないうちに、ずいぶん大人っぽくなったなあ。
その制服姿、様になっとるぞ」
「もう、おじいちゃんったら。
去年も来たじゃない。一年しか経ってないよ」
照れくさくて、そう言いながらも、少し誇らしい気持ちもあった。車に揺られながら、私はふと聞いてみた。
「ねえ、おじいちゃん。前に話してた、森の言い伝えって、他にもあるの?」
「ん?ああ、迷子を送り届けてくれるって話か。……そういえば、この頃、時々森の方から人の声みたいなのが聞こえるって、近所でも噂になっとるな。誰かおるんかもなあ」
おじいちゃんはそう言って笑ったけれど、私はどきりとした。もしかしたら、誰かがユウに気づき始めているのかもしれない。
家に着いて荷物を置くと、私は制服のまま、逸る気持ちを抑えられずに玄関を飛び出した。
「おじいちゃん、杜に行って遊んでくる!」
「今日着いたばかりでそんな格好で?暗くなる前に帰って来るんだぞ。」
「はーい!」
森の入り口で、さすがに制服のスカートで木登りはできないと気づいて、鳥居の近くの石段に座って待つことにした。少し待って呼んでみると、ユウはすぐに現れた。
「……その格好、どうしたんだ?」
ユウは少し驚いた顔をしていた。
「あ、これ、中学の制服。
今日、学校の帰りにそのまま新幹線に乗ってきたの。どう?」
「……似合ってる。
なんか、急に大人になったみたいだな」
そう言われて、なんだか照れくさくなる。
でも、その一言で、私はふと気づいてしまった。
ユウは、初めて会った時と、何一つ変わっていない。あの小2の夏に「大きくならないの?」と聞いた時から、もう五年以上経っているのに。
「お兄ちゃんは、本当に、全然変わらないね」
「……そうだな」
ユウは短くそう答えただけだった。その横顔が、いつもより少しだけ静かに見えた。
「そうだ、見て。携帯電話。中学生になったから買ってもらったの」
私はポケットから真新しいスマートフォンを取り出した。
「これで、写真も撮れるんだよ。
お兄ちゃんの写真、撮ってもいい?」
「写真……?よく分からないけど、いいぞ」
ユウは少し戸惑いながらも、石段の前に立ってくれた。私は画面越しにユウを見ながら、シャッターを切った。
「撮れた?」
「うん、たぶん」
でも、画面を確認すると、そこに写っていたのは、鳥居と石段と、木漏れ日の揺れる緑だけだった。ユウの姿は、どこにもない。
「……あれ?」
もう一度、今度はしっかり構えて撮り直してみる。結果は同じだった。
目の前にちゃんと立っているのに、画面の中には、彼の輪郭さえ見当たらない。
「お兄ちゃん、写ってないよ……」
「そうか。……まあ、そういうものなんだろうな、俺は」
ユウは、そう言って少し寂しそうに笑った。
小2の時は、「大きくならないなんて、お兄ちゃんは特別なんだ」としか思わなかった。でも今は、違う意味でその言葉の重さが分かる気がした。
写真にも残らない。
時間の流れ方も違う。
もしかしたら、私が大人になっていく間、ユウはずっとこのままで、いつか私だけが、ここにいられなくなる日が来るのかもしれない。
「じゃあ、私が代わりに覚えとくから。お兄ちゃんの顔も、声も、全部」
「……ありがとう、いずみ」
七月の終わりの日差しが、木々の間から柔らかく差し込んでいた。
制服のまま、木漏れ日の中に立つ私と、写真には残らない、変わらない姿のユウ。
二人の間に流れる時間だけが、確かに、少しずつずれ始めていた。




