第26話:水は音もなく、王都を染める
それは、王都の教育省が受け取った、ひとつの無記名小包から始まった。
中には、簡素な綴じ本が5冊。タイトルは――
『ことばのまほう』
『すうじのなぞ』
『もののつくりとしくみ』
『えがおのれきし』
『おおきくなったら、なにになる?』
表紙に作者の名はない。ただ裏には小さく、手書きで一言。
「学ぶことは、遊ぶこと。」
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最初に手を伸ばしたのは、王都西区の小学校教師だった。
「……教科書より、わかりやすい……?」
そう口にした瞬間から、王都に水がしみ込み始めた。
無記名教材は複製され、下層区の補習教室に配られ、数ヶ月後には“教材コンテスト”の最終選考にまで残るほどに。
その正体が“田舎の4歳児が作った教育群”だと、誰が気づくだろうか。
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さらに――王都の教育界には、新しい顔ぶれが増えつつあった。
「彼女、どこの学院出身?」
「地方の育成所出身だそうです。“エルトレード式”という独自カリキュラムの……。」
名門学院の補助講師に就任したサーシャ。
子供に囲まれて、九九ラップを歌いながら大人気になっていた。
「“九九は音楽”です、これは私の原点なんです!」
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貴族子女専門の家庭教師として雇われたのは、レオン。
「おやつの時間に伝令訓練?なんて新しい!」
「覚えやすいし、体も使えて、気分も良くなる!」
リオン式の教育法が、“娯楽を兼ねた有能な教育”として貴族家庭にもじわじわと広まり始める。
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そしてある日。王都学術院の学長室で、こんな会話が交わされていた。
「最近、子供たちの基礎能力が底上げされている気がしますな。」
「教材改革の成果でしょうか?」
「……いや、誰が始めたのかも不明な“教材”があるそうです。あれの影響では?」
「ふむ……“リオン式”という名が裏で囁かれているとか……。」
学長は、苦笑した。
「まさか、4歳児が……ねぇ。」
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育成所本部、執務室。
俺は、ロルフさんに報告を聞いてうなずいた。
「王都の初等学院で“数字は買い物で覚える方が早い”が通説になった?」
「はい。“音楽で覚える歴史年表”も、模倣例が多数あります。」
「……いいね。水みたいに広がっていくのが、俺のやり方だし。」
リオン・フォン・エルトレード、4歳と5ヶ月。
誰も気づかぬうちに、王都の教育は“静かに塗り替えられ”つつあった。
つづく。




