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19_マイ・ロード

 彼女は端末に手を伸ばし、いくつかのコマンドを入力する。


「ヤヌス」


 如月が静かにバディAIの名を呼ぶ。彼女は日常的にヤヌスと会話をすることはないが、それだけの脅威が迫っていると直感した。


『ここに』


 低く整った声が室内に響く。


「室内の通信は隔離モード、あなたも本体は隠れていなさい」

御意(イエス)我が創造主(マイ・ロード)

「情報の防御が最優先。私にもしものことがあったらR/F社の人間に接触を」

『……御意。ただし私はあなたの門であり、盾であり、最後の鍵です。創造主なきヤヌスに存在意義はありません』


 言葉が途切れると同時に研究室に散っていた微かな駆動音が沈黙していく。

 如月がヤヌスと日常的に会話をしない理由はいろいろあるのだが、その一つとして仰々しいのだ。


「どういう学習であんな子になったのかしらね」


 如月は短い吐息の後、少しだけ顔を顰めてから暫く出入り口の扉を眺めた。もちろん思考は電光石火の如く続いている。

 外部への自動送信は停止。

 内部記録は暗号化。

 同時に、別の小型端末へ解析中のデータが転送される。

 如月はそれを手に取り、革ジャンの内ポケットに入れた。


「能力者でなければ良いけど」


 独り言を言いながらも少しだけこの状況を楽しんでいる自分がいる。そして、端末を開き最後に一つだけメッセージを作成した。

 宛先は、小津マモル。

 本文は短い。


 《道を捨てず、道標を疑え》


 送信した後すぐに、室内の照明が一度だけ瞬いた。


 なんとか間に合っただろうか。


 そして室内に低い起動音が響いた。


 静かに、染み渡るようにハッキングされているのがわかる。


 壁際に置かれていた小型清掃ロボットが、ゆっくりと動き出し、続いて棚の上に置いてあった検証用の作業アームが、固定ロックを解除した。

 さらに、部屋の隅にある古い受付用ヒューマノイドの上半身モデルが、閉じていた瞼を開く。

 如月は椅子から立ち上がらない。

 ただ、目だけが鋭くなる。


「なるほど。研究室の中の機械を使うわけね。悪くないけど、趣味は最低」


 小型清掃ロボットが、床を滑るように進む。

 ただの清掃用に見える。

 しかし如月は、その動きが掃除の軌道ではないことを理解していた。

 出口へ向かう経路を塞ぐ。

 作業アームは、机の上の工具を掴む。

 受付用ヒューマノイドの上半身モデルは、首だけをこちらへ向ける。

 その口元が、ゆっくりと動いた。


 《道標は、檻》


 如月は薄く笑う。


「あなたがシュラウド?」


 《私は布》

 《覆うもの》

 《隠すもの》

 《そして、裂くもの》


「詩的ね。嫌いじゃないわ。でも会話するなら、もう少し知性を見せなさい」


 作業アームが振り下ろされる。

 金属製の工具が、如月の端末を叩き割ろうとした。

 しかし、その直前。

 机の下から伸びた別の細いアームが、工具の柄を横から弾いた。

 乾いた金属音。

 工具は床へ落ちる。


 《防御機構》


「そりゃあるわよ。私の部屋だもの」


 如月はようやく立ち上がった。

 彼女は戦闘員ではない。

 赤井やナギサのように、膂力や身体能力でどうにかできる人間ではない。

 それでも、まだ逃げる気はなかった。

 少なくとも、何も残さずに逃げるつもりはなかった。


「さて、あなたに聞きたいことがあるの」


 如月は割れた端末の横を通り、壁際のスイッチへ近づいた。


「ラムダはどこ?」


 受付用ヒューマノイドの口が、再び動く。


 《神は、散らばっている》


「神。なるほど。本人はそう呼ばせてるのね」


 《神は復元される》


「復元?」


 如月の眉がわずかに動いた。

 その言葉は、重要だった。

 ラムダが生きているのか。

 それとも、何らかのデータとして残っているのか。

 あるいは、誰かがラムダを復元しようとしているのか。

 問いは一気に拡張する。

 しかし答えを引き出す前に、研究室の扉の電子ロックが赤く点滅した。

 外側からの解錠要求。

 いや、解錠ではない。

 強制侵入。

 如月はすぐに理解した。

 これはシュラウド単体ではない。

 外に誰かがいる。


「……人間も来てるわけね」


 次の瞬間。

 電子ロックの認証パネルがひとりでに点灯した。

 緑、黄、赤。

 通常ならあり得ない順番で、三つのインジケーターが脈打つように明滅し、カチリと軽い音が鳴った後ゆっくりと扉が開かれ、そこから黒い作業服の男が姿を現す。

 濡れた髪が額に張りつき、頬には雨粒が流れている。年齢は三十前後だろうか。目だけが異様に熱を帯びていた。

 男は如月を見ると、わずかに笑った。


「如月マキだな」


「えぇ、あなたは?」


「……選別の代行者」


「フェアじゃないのね。名前を聞いてるんだけど」


「どうせ殺す。名乗るだけ無駄だ」


「あらあら。では当ててあげましょうか。仁科リョウ。今は城北メカサービスに所属している」


 如月が即座に言うと、仁科の笑みが一瞬だけ消えた。


「……なぜ……知ってる」

「何が不思議?それにしても、介護施設にいた時とは随分態度が違うのね。選別の代行者は老人を甚振るのが趣味なのかしら」

「社会のゴミを調教しただけだ」

「弱い人間を攻撃して憂さ晴らししてるだけでしょ」

「違う。俺は選ばれた」

「あなたは選ばれたんじゃない。扱いやすいだけ」

「違う!俺は世界の汚れを見抜いた。だから認められた」

「うだつが上がらないのを他人のせいにするくせに、承認に飢えていた。だからつけ込まれた」


 如月の翻訳が仁科の顔がみるみる紅潮させる。不安や不審、安いプライドが傷つけられた屈辱と見透かされた動揺が、手に取るように伝わってくる。


「うるさい…」


 絞り出すような声。

 なんて脆い、と心の中で呆れる。


「図星ね」


「う、うるさいうるさい!」


 肩で息をしながら顔を右手で多い、そして大きく左右に頭を振る。

 単純だ、つまらない、と如月は思う。


(私の情報もラムダから与えられたものでしょうね。そしてここに来れたのもラムダのおかげ。なのに当の本人は私を狩りに来たと思っている)


 その矛盾に気づけない。


 その違和感を認識できない。


 所詮は捨て駒か、と思うと如月は急速に興味を失っていくのを自覚する。これならシュラウドとの会話の方がよほど得るものがあるだろう。


「あなたの中にあるのは信仰じゃないわ。依存よ」

「黙れって言ってるだろ!」


 如月は、仁科の目をまっすぐに見た。

 仁科は暫く身体を硬直させていたがやがて深く息を吸い、ゆっくりと吐き出し、わざと挑発するように目を覆いたくなるような笑みを浮かべた。


「それでも、あんたは俺に殺される」

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