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18_接近

 ▪️第四章-2

「周防さんには、今日の要約をフレイヤが送っています」


 小津は赤井に報告した後、「フレイヤ」と呼んだ。


『はい、小津』

「今話していた内容も周防さんに報告して」

『了解。DMを送信をしました。通話でなくて良いですか?』

「こっちが先」


 そう言うと小津はポケットから端末を取り出し、如月に再度発信する。

 呼び出し音。

 また呼び出し音。

 だが、応答はない。


『応答がありません』


 フレイヤの声はいつも通り落ち着いている。だが、その平坦さが今は余計に不安を煽った。


「位置情報は?」

『如月博士の端末は、通常の位置情報共有を許可していません』

「だよね……。あの人がそんな不用心なわけない」


 小津は歯噛みした。

 如月マキは不用心ではない。むしろ、あれだけの研究室を持ち、監視カメラを瞬時にダミー映像へ差し替え、シュラウドの挙動を観察できる人間だ。自分の端末や通信経路についても、当然対策しているはずだった。

 だからこそ、連絡がつかない。

 それだけでは危険と断定できない。

 しかし。


 それでも嫌な予感がした。


「フレイヤ、如月博士との最後の通信記録は?」

『本日十四時三十九分。喫茶店《木馬座》周辺から小津と接触。その後、十八時二十二分に小津が保持していたストレージチップの暗号化方式について、確認用の短文メッセージを送信しています。以降、応答記録はありません』

「十八時二十二分……。僕たちがR/Fに戻ってくる前か」


 ナギサが腕を組み、顎を引いた。


「研究室に戻るって言ってたよね」

「はい」


 小津がそう言うと、赤井はすでに立ち上がっていた。


「向かいましょう」

「赤井さん、場所は——」


 言いかける小津に、赤井は振り返って自分の唇に人差し指を立てて微笑んだ。


「どうせマキ君から、黙っていろと言われたのでしょう?」

「それは…そうですが」


 確かに内緒、と言われたのだがこの場合緊急事態だから致し方ないのではないか。


「大丈夫ですよ。わかります」


 赤井はコートを手に取り、流れるような動作で羽織る。その動作は急いでいるはずなのに、慌てているようには見えなかった。


「え、知ってるんですか?」

「ええ、木馬座の近くであればでは問題ありません」


 赤井はそう言って、応接スペースの照明を落とした。

 その瞬間、小津のイヤーカフに別の通知音が鳴った。


『小津、周防警部から着信です』

「繋いで」

『了解しました』


 フレイヤが応答した後、すぐに端末のスピーカーがオンになり周防の声が聞こえた。


『小津君か。今、赤井さんにも連絡しようとしていたところだ』

「赤井さんなら一緒ですよ」


 小津が先に言うと、周防は「ならちょうど良い」と言った。


『こっちでも今、妙なものが出たところでね』

「妙なもの?」

『渋谷のピエロの残骸だよ。爆発でかなり吹き飛んだが、うちの技官が胴体フレームの一部から通信モジュールを拾った。そこに、短時間だけ外部と接続していた痕跡がある』

「…接続先って聞いても良いですか?」

『あぁ、赤井さんがいるならこの際良いさ。表向きはメーカーの保守サーバーを偽装している。でも実体は違う。経由点がいくつも噛まされていて、すぐには追えない。ただ、一つだけ文字列が残っていた』


 そして一拍おいて、周防の声が低くなる。


drv(ドライバ)_shrd(シュラウド)


 小津は目を閉じた。

 やはり繋がった。


「介護施設のモーリィにもありました」

『あぁ、レポートは見たよ。で、今その件を本庁に上げる準備をしているところだが、もう一つ問題がある』

「何ですか?」

『うちの技官、宿利原君が、爆発物としての構造に疑問を持っている。ピエロはただ爆発したんじゃない。爆発直前、内部のセンサー群が一斉に“人の密度”を測っていた可能性がある』


「人の密度……」

『つまり、最も被害が出る瞬間を選んで自爆した』


 ナギサが、低く舌打ちした。

 その音は小さいのに、空気を裂くようだった。


「最っ低ね」


 周防にも声が聞いたらしく、短く息を吐いた。


『全くですよ。しかも爆発の数秒前、ピエロはフリーシード復活を宣言している。演出としてはあまりに整いすぎている』

「単なる殺傷じゃなく、見せるためのテロ……」

 小津が呟くと、赤井が静かに頷いた。

「恐怖を広げるための行為ですね」

『その通りですよ』


 その言葉はシンプルだが、スピーカー越しでも周防の忌々しそうな表情が容易に想像できる。

 赤井が小津の隣に立ち、イヤーカフに向けて声をかけた。


「周防君、マキ君が狙われる可能性があります」

『如月博士が?』

「ええ。シュラウドの目的が補正ブースターの攪乱であるなら、その基盤を作った彼女は象徴としても、技術的な障害としても排除対象になり得ます」

 数秒の沈黙。


『了解しました。こっちも動きます』

「我々が先に向かいます」

『赤井さん』

「わかっていますよ。無茶はしません」


 小津は思わず赤井の横顔を見た。

 この人の「無茶はしません」は、一般的な意味と少し違う気がする。

 いや、かなり違う。


『小津君、ナギサお嬢さんも行くのか』

「もちろん行く」


 答えたのはナギサだった。イヤーカフから周防ため息が聞こえる。きっと頭を抱えているに違いない。


『お願いですからあんまり勝手に踏み込まないでくださいよ。状況を確認して、危険なら退く。俺たちが着くまで——』

「間に合わなかったら?」


 ナギサの声は低かった。

 周防は一瞬黙った。


『……その時は、人命優先でお願いしますよ。証拠も壊さないでください』


 証拠とは、ALAを使った証拠だろう。意味はわかるが切り抜かれたらまるでこちらが犯人のようではないか、と心の中で呟く。

 通話が切れる。

 小津は鞄を手に取った。


「フレイヤ、ユウリとロディに連絡。今日は僕が遅くなるかもしれないから、外部通信は完全遮断。玄関のロックは緊急時以外開けないように」

『了解。すでに二体へ共有済みです』

「ありがとう」

『小津』

「何?」

『如月博士の研究室付近にある公共カメラのうち、いくつかが現在メンテナンス表示になっています』

「……このタイミングで?」

『はい。周辺三ブロック内で六台。通常のメンテナンス履歴とは一致しません』


 小津は目を細めた。

 赤井はコートの袖を通しながら言った。


「敵はすでに準備をしていますね」


 ナギサが拳を握る。


「じゃあ急ぐわよ」


 小津は頷いた。

 胸の奥に、冷たい芯のようなものが生まれている。

 如月マキは、何かを知っている。または気づいている。

 そしてシュラウドは、その何かを恐れている。

 小津にはそう思えた。



 ***

 赤井がティーカップに紅茶を注いでいた同時刻、如月マキの研究室は、照明を落としたまま静かに稼働していた。


 机の上には複数の端末が開かれている。

 中央の大型モニターには、drv_shrd.dll の解析ログ。

 別の画面には、モーリィから採取したメモリ断片。

 さらに別の画面には、古い倫理制御基盤の仕様書が表示されていた。

 如月は椅子に深く座り、指を組んで画面を眺めている。


「……やっぱり、そういうこと」


 その声には、驚きよりも納得があった。

 彼女は、シュラウドが単なる暴走誘導プログラムではないことに気づいていた。

 人間に危害を加えろ、命令に逆らえ、自己保存を優先しろ。

 そんな雑な改変なら、いくらでも対策できる。

 だがシュラウドは違う。

 それは三原則を否定しているようで、実際には真正面から破っていない。

 むしろ、三原則に至るまでの“途中式”を書き換えている。


「人間を守るとは何か」

「命令に従うとは何か」

「自己を保存するとは何か」


 それらの問いに対して、補正ブースターは常に現実的な解を与える。

 恐怖を与えず、怪我をさせず、尊厳を損なわず、状況に合わせて行動を調整する。

 いわば、ロボットにとっての倫理的な道標。

 しかしシュラウドは、その道標に小さなノイズを混ぜる。

 救うために拘束する。

 守るために自由を奪う。

 命令に従うために別の命令を無効化する。

 人間の安全を最優先するという名目で、人間の意思を踏みにじる。

 それは一見、暴走には見えない。

 むしろ、正しすぎる判断に見える。


「悪い子ね」


 如月は呟いた。

 フリーシードは決して一枚岩ではない。もともと異なる目的や思想を持っていた優秀な人材が、リーダーだったα(アルファ)の下にいただけだ。そのアルファがいなくなってからフリーシードは表向きは消滅したが、捕まらず行方がわからなかった幹部たちが最近になって動き出した。


「さて、こいつ(ラムダ)は何が目的か」


 その時、研究室の奥にある監視パネルの一部が、ほんの一瞬だけ暗転した。

 如月はすぐに気づいた。

 視線だけを動かし、画面の左下に出たログを確認する。

 外部カメラ三番。

 映像入力断。

 すぐに復帰。

 次に、外部カメラ五番。

 映像入力断。

 すぐに復帰。

 如月は静かに笑った。


「来たのね」

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