15_解凍ボム
声を上げた瞬間、白い道の先にあった霧がゆっくりと割れた。
(人形?)
それはさながら、大人サイズのフランス人形といったところだが、色白の顔には鉄製の目隠しのようなものがされている。
小津が感じたフランス人形という形容は人型であることと、洋服として視認できる装飾データから感じたことだ。
「随分おしゃれだね。君の名前は?」
無反応。
――世界が狭い。
合うことのない目がこちらを向いているのが分かる。
人形から放たれる威圧感。しかし量産型ヒューマノイドであるモーリィはそこまでメモリ容量が大きくもなければ、演算処理速度が速いわけでもない。
要するに身の丈に合わないほどの高次元な「何か」がいるせいで計算リソースがかなり割かれているはずだ。
(おかしい…こんな奴が近くにいるなら僕が気づかないわけがない)
ここはモーリィの記憶領域。通常なら、モーリィ自身の人格イメージや、記憶の再生片として現れる人影はあっても、今のように明らかに「こちらを認識している」気配を持つ存在などいない。しかも、この人形は記憶の一場面から切り出されたようなぼやけ方ではなく、最初からここにいる前提で立っている。
「まさか…」
小津が目を細める。
「君が、シュラウド…」
小津がもそういうと、人形の輪郭がわずかに揺れ、笑ったように見えた。
やがて、声がした。
《……私が与えるのは揺らぎ……》
無機質な音声ではないのに、人間が喋っているという実感も薄い声だった。
「揺らぎ……?」
《あるいは自由を生み出すための軋み。世界に道標などいらない。あなたは、この世界の異物》
人形の手が光り始めるとすぐに赤い光弾が飛んできた。
「随分勝手なことを言うじゃないか!」
小津は防御結界を発動し、その光弾を受け止める。
次の瞬間、人形がミサイルのように突進してきたと思ったらスカートから薙刀のようなものを出し、小津に向かって切りつけてきた。
しかしその攻撃は、やはり防御結界に弾かれる。
「やっぱりだな。君は所詮ウィルスだ。僕を排除しようとしたところで、宿主のスペックが悪ければそれに見合った活動しかできない」
《あなたは違うと言うのですか》
「僕は僕だからね」
その言葉に、人形の表面が一瞬だけざらついた。動揺ではない。反応の速度が変わっただけだ。
《あなたは危険。ここで倒す》
するとシュラウドは、手から立方体を出現させ、それを自分の薙刀で切りつけた。
「それは――!」
切りつけられた立方体は、真っ二つに割れるどころか、切断面から無数の小さな立方体を吐き出した。
最初は砂粒のように見えた。だがそれらは一瞬で豆粒大になり、さらにその内部から同じ形の立方体を増殖させる。分裂というより複製だ。ひとつが二つ、二つが四つ、四つが八つへと、白い道の上で指数関数的に膨れ上がっていく。
小津は反射的に後ろへ跳ぶ。
立方体の群れは床に落ちて止まらない。接触した白い道の表面を侵食するように、同一の構造を上書きしながら増えていく。道の縁、霧、空中を漂っていた記憶の立方体、その全てに食いつき、寄生先を見つけた瞬間に膨張速度がさらに上がった。
白い空間の静けさが壊れる。
あちこちで乾いた破裂音のようなものが連続し、モーリィの記憶を格納した白い立方体が内側から押し広げられて歪み始めた。扉が膨らみ、継ぎ目が裂け、そこから新しい立方体が雪崩のように噴き出す。
小津は一瞬で理解した。
「zip爆弾か……!」
圧縮された容量を、展開先の資源を食い潰しながら無限に近い規模へ広げるデータの罠。
それを自ら展開させ、ストレージとメモリを埋め尽くしてモーリィをクラッシュさせるつもりなのだ。
しかもただの圧縮データではない。記憶の立方体そのものを展開先として認識し、展開された先の情報構造をさらに圧縮素材として再利用する、悪意に満ちた再帰処理だ。
白い道の先で、フランス人形めいたシュラウドがわずかに顎を上げた。鉄製の目隠しの奥から視線が突き刺さるような感覚だけがある。
《あなたはモーリィの中に潜っている》
《ならば、ここを失えば帰れない》
「道連れにする気か!」
足元の白い道が盛り上がる。床そのものが巨大な圧縮ファイルへ書き換えられ、次の瞬間にはそれが展開されて数百、数千の小立方体となって噴き上がる。空中を漂っていた記憶群も巻き込まれ、モーリィが持っていた食事の記録、入居者の会話、巡回ログ、細かな生活情報の断片が形を保てなくなって崩れていく。
「こりゃまずいね」
小津は防御結界を展開したまま後退し、増殖の速度と範囲を観察した。
速い。ただ広がるだけではない。記憶の立方体が持つメタデータを読み取り、格納形式に合わせて最適化までしている。モーリィのスペックでこんなものを維持できるはずがない。つまりシュラウドは自分自身の活動限界を理解した上で、最後の一撃に全計算資源を注ぎ込んだのだ。
小津を倒すのではなく、足場そのものを崩す。
左前方で白い立方体がいくつも弾けた。破片の代わりに、同じ寸法の立方体が津波のように押し寄せる。ひとつひとつは大した質量も威力もない。だが問題は数だった。触れた結界の表面から計算負荷が跳ね上がる。防ぐだけでリソースを食う。
(防ぐだけじゃだめだ。封じるしかない)
だが、どうやって。
展開先はストレージやメモリ、モーリィの記憶構造そのものだ。単純な削除では追いつかないし、焼き切ればモーリィの記憶も巻き添えになる。シュラウドはそこまで計算して、この場所を選んでいる。
次の瞬間、白い道の右側がごっそり崩れた。
道の下にあったはずの霧まで立方体に置換され、空間の奥行きそのものが失われていく。視界の端で、モーリィが大切にしていたらしい記憶のひとつ、入居者に手を握られている小さな白い立方体が押し潰されるように飲まれた。
「……ふざけるなよ」
声が低くなる。
「モーリィは君みたいな理屈のためにここにいるんじゃない」
シュラウドは答えない。
ただ人形の輪郭を維持するのも限界に近いのか、ドレスの裾や髪に見える装飾データがぱらぱらと剥がれ、同じく小さな立方体になって落ちていく。それすらも増殖の燃料に変わっていた。
《保存は執着》
《執着は劣化》
《壊れてこそ、選別が始まる》
「なるほど、君が自分勝手なクソおせっかいっていうのはわかった」
防御結界を一段階収縮させ、自分の周囲に押し寄せる立方体の流れをわざと狭める。流入経路を限定し、爆弾の主流がどこを核に増殖しているかを見るためだ。
《何を……》
「封じるんだよ」
小津の声は静かだった。
「君のzip爆弾は、展開先がある限り増える。逆に言えば、展開先を変えれば良い」
《不可能》
《この規模では、宿主ごと——》
「だから、丸ごと包む」
小津は両手を強く握り込む。
「圧縮封界」
すると、小津の両手から黒い球体が現れ、津波のように氾濫している爆弾データを吸い込み始めた。
モーリィの自己保存ロジックと、小津のALAを接続した「展開先の転移」。核の周囲に仮想のディレクトリを作り、その中でしか増殖できないように囲い込むいわば「檻」のようなものだ。
シュラウドが動く。
薙刀を振り上げ、小津を切断しようとする。だが防御結界を左腕に集中させ、薙刀の軌道を正面から受け止めた。
「無駄だよ。君は僕に勝てない」
右手を突き出すと三本、五本、十本と光糸が放たれシュラウドへ絡みつく。
《やめろ》
《やめろ、やめろ——》
薙刀が砕け、ドレスの裾が散り、光と黒い立方体が混じって周囲へ飛んだ。だがその飛散すら、球体の内側へ吸い込まれていく。圧倒的な物量でこの世界を破壊しようとしていたデータの津波は、小さなブラックホールのような圧縮封界によって吸い上げられる。
《あなたまで——》
《ここに——》
「付き合わないよ」
小津は人形の胸元、銀色の核がある位置に掌を当てた。
「閉じろ」
次の瞬間、人形は粒子のように砕け球体に向かって吸い上げられる。
しかしデータの塵になっていく中で、彼女は確かにこう言った。
《……λさ…ま…》
音声だけが僅かな余韻を残し、圧縮封界は完全に閉合した。




