16_ラムダ
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「——ふぅ」
ALAを解いて現実世界に意識を戻した小津は、椅子の背に身体をもたれ掛けながら上を向いた。
「大丈夫?」
カオルの声がすぐ近くで響いた。
「大丈夫です」そう言いながら腕を天井に向けて伸びをした。
「見せてもらったわ。流石ね」
如月がノート端末から顔を上げてそう言った。その顔はなんというか、清々しさを感じた。
「映画を観ているようだった。最後は見ものだったわ」
「それは…ありがとうございます」
何のお礼なのかは自分でもよくわからないが、とりあえず口から出た言葉がそれだった。如月も笑顔で「こちらこそ」と返事をする。どうやら会話としては成立しているらしい。そして彼女は端末を指差した。
「モーリィの記憶も保存できた。それに——」
「シュラウドが襲ってきました。やっぱりドライバ・シュラウドはあったんですね」
「えぇ。監視用に繋げた端末で、あなたが能力を使い始めてすぐに、表層キャッシュ、深層記憶、削除済み領域の保全ブロックが一斉に再参照されたと思ったら、いくつかのフォルダが復元された。それは小津君がやったことだとして……記憶の復元に反応するようにシュラウドが突然アクティブに反転した」
如月はそこまで言って、指先で端末のログをスクロールさせた。
「いえ、反応した、じゃないわね。正確にはトリガー条件が満たされたようにも見えた。記憶の復元とほぼ同時にメモリ消費量やキャッシュ消費率が一直線に上昇して、シュラウドが展開に入っていた」
「展開……」
小津が呟く。
「その後に、シュラウドからモーリィのコアプロセッサに向けて小規模な攻撃パケットの生成や接続遮断の命令が出されているけどいずれも無効化」
おそらくそれは、シュラウドが放ってきた光弾や薙刀で斬りかかってきたところだろうとなと思う。
「そしてzip爆弾。悪趣味ね」
「あの…、ドライバとか、ジップ爆弾ってなんです?」
カオルが恐る恐る聞いてきた。如月はそうね、と言って続ける。
「ドライバは、モーリィの中の何かを動かすためのソフト。安全制御やエネルギー管理、通信をするにも、ユーザーが意識していないだけで多くのドライバは自動で入る。zip爆弾はその名の通り、展開前は数キロバイトのzipファイルだけど、展開すると何ペタバイトにも膨れあがってシステムをパンクさせる嫌がらせの爆弾。昔からある古典的なものだけど、展開先がモーリィのコア領域だった場合、人格形成レイヤーもろとも即時クラッシュされる…はずだった」
如月は面白そうに小津に視線を向ける。
「あなた、展開中のzip爆弾を消去したでしょ?」
「えぇ…そうですね。爆弾の展開と同じ速度で再圧縮して、消去しました」
「素晴らしい。私たちプログラマーとは戦い方がまるで違うけど、結果的にはモーリィも救った」
救ったと言えるかはまだ微妙なところだが、とりあえずクラッシュは避けることができた。
しかし、と小津はシュラウドの最後の言葉を思い出す。
「そのシュラウドは、最後にラムダの名前を口にしました」
「ラムダですって!?」
反応したのはナギサだった。
——その昔、赤井によって壊滅させられたサイバーテロ組織、フリーシードの十人の幹部を総称して「十種子」と呼ばれていた。幹部はそれぞれギリシャ文字によるコードネームがあり、その中にλがいたのだ。
小津はALAで視たモーリィの記憶と、シュラウドとのやりとりをナギサとカオルにも説明した。
「——と言うわけで、今回のシュラウドには、十種子のラムダが関わっていると見ていいと思います」
「やっぱりあいつら…」
ナギサの拳に力が入るのがわかる。
フリーシードは一度は壊滅状態になったが、幹部全員を捕まえられていない。
如月は小津とナギサ、カオルの顔を順番に見て人差し指を立てた。
「これで決まりね。フリーシード復活と言ったピエロの自爆もラムダが絡んでいる」
ラムダ本人か、それともラムダを語った何者か。しかし量産型とはいえヒューマノイドの頭脳自体が堅牢な作りになっている上に、内部システムによる行動三原則の監視も絶え間なく行なっている。それを無力化、もしくは瓦解させた技術力を持っているとなると、少なくとも只者ではない。
ナギサが壁にもたれながら腕を組む。
「でもシュラウドって、結局なんなの?」
「解析はこれから。でもおそらく倫理体系のパラメータを改変するようなものかしら」
「シュラウド自身も、揺らぎを与えるとか何とか」
小津が話すと、如月は「へぇ」と言って肩をすくめた。
「食えない奴ね」
「どういうことです?」
「その情報を漏らしてもOKとしたのはラムダでしょうね。そして自分のやっていることを…少なくとも恥ずべきものではないと考えている」
確かにそんな感じはした。ALAという特殊能力下にあるとはいえ、異物を排除することだけが存在意義であるセキュリティソフトや、単に破壊だけを目的とした悪意あるコードと会話はできない。プログラムから思念のようなものが伝わってきたのは、シュラウド自体の設計思想が関係しているはずだ。
だがナギサは不服そうに、「あんなことしておいて」と吐き捨てるように呟いてから、落ち着かせるように短く息を吐いた。
「何にせよその、ラムダってやつがシュラウドを作ってばら撒いているってことね」
「でもだったら、もう小津君が顔も見たんじゃないの?モーリィの記憶の中で」
カオルが小津の方を見て首を傾げた。しかし小津は少し上を向いて「うーん」と唸る。
「可能性は低いですね」
「そうなの?」
「はい。シュラウドを作って暴れる気があるような技術力のある人間が、そう易々と映像記憶に残っているとは思えません」
「なるほど、確かにそうか…」
「でも、そいつの映像は如月さんが保存したんですよね?」
「えぇ、小津君が復元した映像は全部ストレージチップに保存した」
そう言って如月は、小さいチップが埋め込まれた半透明の薄いカードを見せた。
「その映像、見せてもらっても良いですか?」
「いいわよ」
如月は小津にそのカードを手渡す。そして「さてと」と言って立ち上がった。
「私はもう行くわね」
「え、どうせなら赤井さんにもお会いして…」
「嫌よ。メンドくさい。それから警察にもこの情報渡すんでしょうけど、周防にうまく処理しとけって言っておいて」
「あ、周防さんも知ってるんですね」
「えぇ。じゃあ私は研究室に戻ってシュラウドの解析をするから、あとはお願いね」
話しながら切れ目のない流れるような動作で小津達の前を通り過ぎ、扉を開ける。一度だけ振り返って手を振ると、如月は颯爽と部屋を出ていった。




