第一章 南光坊天海
前回のあらすじ
本能寺の変で、織田信長は死んだとされた。
しかし、本当に死んだのは信長本人ではなかった。
信長は名前を捨て、歴史の表舞台から姿を消す。
そして数十年後。
徳川家康の側には、一人の僧がいた。
「豊臣を倒すには、戦をする必要はありません」
南光坊天海は、静かに言った。
徳川家康は黙っていた。
机の上には、豊臣家の諸大名に関する書状が並んでいる。
「豊臣は強い」
家康が言う。
「秀頼を中心に、まだ多くの者が豊臣を支えている」
「だからこそです」
天海は一枚の書状を手に取った。
「人間は、敵に裏切られるより、味方に裏切られたときのほうが深く傷つく」
家康が顔を上げた。
「何が言いたい?」
「豊臣を倒すのではありません」
天海は書状を置いた。
「豊臣に、自分たちで崩れてもらうのです」
家康はしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「恐ろしいことを考える坊主だ」
「戦で人を殺すよりは、死人は少なく済みます」
「お前は本当に僧なのか?」
天海は笑った。
「人間を知っているだけです」
家康はその言葉を気に入った。
天海を信頼するようになった。
しかし――。
家康は知らなかった。
目の前にいる男が、かつて自分が恐れた男であることを。
織田信長。
本能寺で死んだはずの男。
そして今、その男は徳川の中枢に入り込んでいた。
信長は家康を利用している。
だが家康もまた、自分が天下を取るために天海を利用していると思っていた。
その認識の違いこそが――
最初の一手だった。




