第十話 その後、ご飯を食べます
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
一時間後。
荷馬車は町の門を出た。
先頭を歩くのはレオン。荷馬車の右をアイラ、左をもう一人の冒険者が固める。ライトは言われた通り、荷台の後ろを歩いた。
町の石壁が少しずつ遠ざかる。
ライトは何度も振り返った。
「初めて町の外へ出るの?」
御者台からセシルが聞いた。
「この町から出るのは初めてです」
「故郷からは来たのに?」
「その時は一人でした」
「……十歳で?」
「はい」
セシルは何か聞きたそうな顔をしたが、前を向いた。
「今回は一人じゃないから、勝手にいなくならないでね」
「荷物持ちなので」
「理由が少し変だけど、まあいいわ」
ライトは荷馬車の軋む音を聞きながら歩いた。時折、積荷を固定した縄を確認する。緩んでいれば締め直した。
「よく気付いたな」
レオンが言った。
「箱が揺れていたので」
「街道じゃ小さな違和感を見逃すな。荷崩れも、魔物も、盗賊も、最初は小さい」
ライトは頷いた。
昼を過ぎた頃、空が暗くなった。
大粒の雨が落ちてくる。
「急ぐよ!」
セシルの声で、一行は近くの林を目指した。
だが、ぬかるみに車輪が沈んだ。
馬が引いても動かない。さらに嫌な音がした。
ぎしっ。
右の車輪が傾いた。
「軸が外れかけてる!」
御者が叫ぶ。
全員で荷馬車を押したが、重すぎた。
「荷を下ろす」
セシルが即断した。
「濡れたら売れない物だけ先に林へ運んで!」
ライトは一番近い箱へ手を掛けた。
「それは調味料。重いから二人で――」
「持てます」
持ち上げる。
腕が抜けそうなほど重かった。それでも箱を抱え直し、一歩ずつ林へ運んだ。
ようやく地面へ下ろした、その時。
――《運搬 Lv2》になりました。
「ん?」
「どうしたの?」
「また声が聞こえました」
「今は声より荷物! 次をお願い!」
「はい」
ライトは荷馬車へ戻り、次の箱へ手を掛けた。
同じ大きさ。同じ中身。重さも変わらないはずだった。
けれど、持ち上げる前から腰を落とす位置が分かる。箱を体へ引き寄せ、脚へ力を入れると、先ほどのように腕だけを引かれなかった。重いことに変わりはない。それでも足元が安定し、歩幅も乱れない。
「さっきより楽です」
「箱は同じ重さよ?」
「不思議ですね」
ライトは首を傾げたまま、箱を林まで運んだ。理由を考えるより、今は荷物を濡らさない方が大事だった。
何度も往復する。さすがに息は上がり、腕も痛くなった。だが運ぶたびに持ち方が馴染み、最初の箱より速く林へ着けた。
荷が軽くなると、レオンたちは馬車をぬかるみから押し上げた。御者が外れかけた軸を戻し、楔を打つ。
雨が弱くなる頃には、全員が泥だらけだった。
「十歳にさせる仕事じゃなかったわね」
セシルがライトの髪についた泥を払った。
「銀貨一枚なので」
「銀貨を出せば何でもするの?」
ライトは少し考えた。
「できることなら」
「できないことは?」
「できません」
当たり前の答えだった。
セシルは吹き出した。
◇
その日は街道沿いで野営した。
火を囲み、干し肉を入れたスープを食べる。
「うまい……」
ライトは思わず呟いた。
「そんなに美味しい?」
「はい。働いた後のご飯なので」
「普段は何を食べてるの?」
「安いパンとスープです」
セシルの手が止まった。
「それだけ?」
「肉入りは高いので」
「……まだあるから、もっと食べなさい」
「いいんですか?」
「十歳の子が遠慮しないの」
セシルが鍋からスープをよそう。干し肉が多めに入っていた。
「ありがとうございます」
ライトは両手で器を受け取った。今度は干し肉を最後まで残さず、ゆっくり噛んだ。
しばらく、薪の爆ぜる音だけが続いた。
食べ終えたライトは、火の向こうに並ぶ荷箱を見た。
「行商人って、いつもこんな遠くまで運ぶんですか?」
「いつもじゃないわ。町で仕入れて、必要な場所へ運んで、向こうの商品をまた町へ持って帰るの」
「大変ですね」
「大変だけど、運ばないと店を残せないから」
「セシルさんのお店ですか?」
セシルは火へ枝を一本足した。炎が少し高くなり、横顔を照らす。
「父が作った小さな店。借金があってね。私が稼げなくなったら、たぶん終わる」
ライトは湯気の向こうの顔を見る。
「セシルさんも、生きるために働いてるんですね」
「規模は違うけど、そういうこと」
しばらくして、セシルが積荷の一つを指した。
「あの袋、何だと思う?」
「塩です」
「じゃあ、一番高い荷物は?」
「鍵のついた薬箱です」
「一番大事な荷物は?」
「薬です」
ライトが即答すると、セシルは火の向こうで少し笑った。
「どうして?」
「一番高いからです」
「そっか」
セシルは正解とも不正解とも言わず、スープを一口飲んだ。
「明日、村に着いたらもう一度聞くね」
「今は教えてくれないんですか?」
「実際に渡した方が分かるから」
ライトは薬箱と塩袋を見比べた。高い薬に決まっている。そう思ったが、セシルが笑った理由だけは分からなかった。
◇
翌朝。
街道を塞ぐ倒木があった。
レオンが手を上げ、一行を止める。
「昨日の風で倒れたのか?」
アイラが木へ近付こうとした。
「待ってください」
ライトは切り口を見た。
木屑が白い。
古い倒木ではない。
周囲から鳥の声も消えていた。
「誰かが切ったみたいです」
レオンの顔が変わる。
「全員、荷馬車へ寄れ」
林の奥で光が動いた。
金属。
人影が三つ。
「盗賊!」
矢が飛び、荷馬車の側板へ刺さった。
前方だけではない。背後の街道にも男たちが現れる。
「挟まれたな」
レオンが剣を抜いた。
ライトは石を掴んだ。
「戦うな」
レオンが低く言う。
「お前の仕事は荷物じゃない。自分の命を持って帰ることだ」
だが、逃げ道がない。
「荷を捨てる!」
セシルが荷台へ上がった。
布を切り、空の木箱を街道へ転がす。箱に気を取られ、盗賊の隊列が乱れた。
「右の斜面へ!」
倒木の脇には、馬車一台がぎりぎり通れる隙間があった。
御者が手綱を引く。
荷馬車が斜面へ乗り上げた。
一人の盗賊が荷台へ手を掛ける。
ライトは石を投げた。
手首に当たる。
「痛っ!」
「ライト、後ろだけ見て!」
セシルの声。
「倒さなくていい。近付けないで!」
「はい!」
石を拾う。
走りながら投げる。
足元。
手。
馬車へ伸びる腕。
当たらなくても、盗賊は反射的に避けた。その一瞬で馬車が離れる。
レオンたちも斜面へ入り、追手を止めながら後退した。
林を抜ける。
盗賊たちは馬車を追えず、姿が小さくなった。
「全員いるか!」
レオンの声に、一人ずつ返事をする。
怪我人はいない。
荷物は二箱落とした。
だが、人も馬も無事だった。
セシルは震える手で手綱を握り直した。
「助かった……」
ライトは後ろを見た。
「荷物を取りに戻りますか?」
「戻らない」
セシルははっきり答えた。
「惜しいけど、命より高い商品はない」
「二箱分、報酬は減りますか?」
「減るかもしれない」
ライトは落とした箱が消えた街道を見つめた。
「でも、死んだら報酬を使えませんね」
「そういうこと」
納得する理由は少し違ったが、セシルは訂正しなかった。
◇
夕方。
目的の村が見えた。
馬車を見つけた村人たちが門へ集まる。
「遅かったじゃないか!」
「盗賊に会ったのよ。文句は荷を下ろしてから!」
セシルが笑った。
薬箱を受け取った母親が、熱を出した子供のもとへ走る。
食堂の主人は塩袋を抱え、これで冬支度ができると息を吐いた。
布を待っていた仕立屋もいた。
ライトは一つずつ荷を渡した。
「必要な場所へ」
昨日、セシルが言った言葉を思い出す。
荷物の向こうには、待っている人がいた。
銀貨一枚より先に、そのことが胸へ残った。
◇
帰り道は静かだった。
盗賊のいた場所は避け、別の街道を使った。
町へ着くと、ミーナが受付から飛び出してきた。
「おかえり! 遅いから心配したんだから!」
「盗賊がいました」
「先に無事って言って!」
「無事です」
「順番!」
護衛完了の書類へ、セシルが署名する。
そしてライトへ銀貨一枚を渡した。
今までで一番重い報酬だった。
「二箱落としたのに、全部もらえるんですか?」
「全員と、残りの荷物を届けたからね」
「よかった」
ライトは銀貨を大事に財布へしまった。
セシルが残りの書類を片づけている間、ライトはギルドの裏手へ回った。
そこでは荷車から空箱や使い終えた袋が下ろされていた。セシルは受取人の署名が入った納品書を机に広げ、一枚ずつ数えている。
ライトはその横で、空になった塩袋を拾った。薄い麻袋だった。薬箱のような鍵も、布箱のような飾りもない。中身がなくなれば、片手で持てるほど軽かった。
それなのに。
「変なの」
ライトの声に、セシルが顔を上げた。
「何が?」
「この袋です」
ライトは塩袋を持ち上げた。
「安いのに、食堂の人、すごく喜んでました」
セシルは筆を置き、塩袋へ目を向ける。それから、村で塩を抱えていた主人の顔を思い出したように、少し笑った。
「向こうの村では塩を作れないって話、覚えてる?」
「はい。肉を保存するのに使います」
「そう。あの食堂は冬になると、村の人たちへ保存食を出すの。だから塩が届かないと、店だけじゃなく村のみんなが困る」
ライトは袋の底を覗いた。
「昨日は、薬が一番大事だと思ってました」
「薬を待っていた親子には、薬が一番大事。食堂には塩。仕立屋には布」
「全部違うんですか?」
「待っている人が違うからね」
ライトは難しい顔をした。
「分かりにくいです」
「でしょうね」
セシルは苦笑した。
「でも、ライトは全部届けようとしてくれた」
「依頼だったので」
「盗賊が出ても?」
「銀貨一枚なので」
セシルはしばらく黙った。
そして、とうとう吹き出した。
「やっぱり、そこなのね」
「大事です」
「そうね。大事よね」
笑いを収めたセシルは、新しい用紙を一枚取り出した。依頼人の欄へ自分の名を書き、護衛指名の欄で筆を止める。
「ライト」
「はい」
「次の行商も、荷物持ちを頼んでいい?」
「銀貨一枚ですか?」
「内容を聞く前に報酬?」
「大事です」
「同じくらいは出す」
「やります」
即答だった。
セシルは呆れながら、指名欄へライトの名を書いた。
「次も、必要な物を必要な場所まで届けようね」
「はい」
ライトは受け取った銀貨を握り直した。
「その後、ご飯を食べます」
「そっちが目的でしょ」
「大事なので」
セシルの笑い声が、夕方のギルドに響いた。
お読み頂き、ありがとうございます。




