第十一話 依頼があれば
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
行商護衛から戻った翌朝、ライトは銀貨を何度も裏返していた。何を食べてもなくならないような気がしたが、ミーナに宿代と食費を引かれると、銀貨は意外な速さで小さな銅貨へ変わった。
「世の中は厳しいです」
「今さら気づいたの?」
その時、騎士団の伝令が駆け込んだ。街道沿いの村がゴブリンに襲われ、村までの脇道を知る冒険者を探しているという。ライトはセシルの護衛で、その分かれ道を通っていた。
「案内だけです。戦闘には参加させません」
ミーナは騎士へ念を押した。ライトも頷いた。
「道を教えたら報酬は出ますか?」
「出る」
「行きます」
翌朝、ライトは騎士隊の集合場所へ向かった。そこで銀髪の騎士見習いが、彼を見るなり眉を寄せた。
「子供は帰れ」
彼女の名はアリア。十六歳。ゴブリンに襲われた村へ派遣される騎士隊の一員だった。騎士団の任務は討伐。ライトが受けた依頼は、脇道の案内、避難民の誘導、子供の確認、町への連絡だった。
「村人救助の補助です」
「危険になれば、道案内も死ぬ」
「村の人はもっと危険です」
アリアの眉間に深い皺が寄った。それでも隊長は、ライトが前日の行商護衛で村へ続く脇道を通っていることを理由に、案内役として同行を認めた。
ただし、ライトは警護要員ではない。村へ着くまでは隊列中央から道を示し、到着後は騎士が安全を確認した区域だけで、避難所までの誘導と住民の点呼を行う。常に護衛騎士を一人付け、未確認の建物へは入らない。それが参加条件だった。
「戦う必要はありません」
「当然だ。戦闘は私たちがやる」
「分かりました」
「本当に分かっているのか?」
「多分」
「隊長、やはり帰した方が」
アリアの提案は却下された。
村へ着くと、騎士隊は入口を確保し、通りを一軒ずつ調べていった。安全確認の済んだ家には白い布が結ばれる。ライトは護衛役の騎士、ハロルドと一緒に、白い印のある家から住民を避難所へ案内した。
「この道を真っ直ぐです。井戸の手前を右へ」
「お前は道だけ見ろ。家の確認は俺がする」
「はい」
通りには人影がなかった。開いたままの家々を冷たい風が抜け、ある家の食卓には表面に膜の張ったスープが二皿残されている。戸口には子供用の靴が片方だけ転がり、荒らされた倉からは食料だけでなく、鍬や縄まで持ち去られていた。人々が慌てて逃げた後を、静けさだけが埋めていた。
その静けさの奥から、かすかな泣き声が聞こえた。
白い布のない納屋。まだ騎士が確認していない建物だった。
「子供がいる」
「待て。まず隊へ知らせる」
ハロルドが合図の笛へ手を伸ばした。
だが、再び泣き声が聞こえた瞬間、ライトは納屋へ駆け出していた。
「ライト、戻れ!」
制止は間に合わない。ライトは扉へ飛びつき、閂を外した。暗い納屋の奥で、二人の子供が藁に身を寄せている。
「外へ出る。走れるか?」
年上の子が頷いた。ライトが小さい方の手を取った時、納屋の裏手から低い唸り声がした。
物陰に隠れていたゴブリンが一匹、開いた扉へ回り込んでくる。
「伏せろ!」
ライトを追ってきたハロルドが間へ入り、ゴブリンの刃を剣で受けた。錆びた刃先が腕を浅く裂く。
直後、笛の音を聞いたアリアたちが駆けつけた。
「下がれ!」
アリアがゴブリンの二撃目を弾き、別の騎士が盾で地面へ押さえ込む。
「敵を拘束! 子供を避難所へ! 負傷者はこっちだ!」
アリアはハロルドの腕へ布を巻いた。出血は多くない。指も動く。傷が浅いことを確かめ、治療所へ送る。子供二人が避難所へ入ったことも確認した。
全員の安全が確保されてから、アリアはライトの前へ戻った。
「ライト」
「はい」
声は低かった。
「お前は警護役ではない。だから護衛を付けた。なのに、なぜ一人で未確認の建物へ入った」
「子供が泣いてたので」
「聞こえた時点でハロルドが笛を吹こうとしていた。数秒待てば、同じ子供を誰も傷つかずに助けられた」
ライトは治療所へ運ばれるハロルドを見た。白い布へ赤い色が滲んでいる。
「すみません」
「謝る相手は私ではない。それに、謝っただけでは次も走る」
「どうすればよかったですか?」
「泣き声を知らせ、護衛と一緒に入れ。お前の役目は戦うことではなく、見つけた人を安全な道へ連れていくことだ」
ライトは俯いた。
「次は笛を待ちます」
「必ずだ」
夜、アリアは焚き火の前で、自分も騎士見習いの頃に独断で動き、仲間を負傷させたと話した。
「規則は、偉い者が下を縛るためだけにあるんじゃない。誰が何を背負うか決めるためにある」
◇
日が落ちる前、ライトは避難所に集まった村人の名前を聞いて回った。納屋には藁と家畜の匂いがこもり、泣き疲れた子供が母親の服を握っている。
「名前は?」
「トーマ」
「何歳?」
「六つ」
「俺より四つ下だな」
「お兄ちゃん、騎士なの?」
「荷物持ちだ」
近くで聞いていたアリアが眉を寄せた。
「今日は救助補助だろう」
「そうでした」
「自分の依頼くらい覚えておけ」
ライトは名簿へトーマの名を書いた。だが、村長が用意した人数より一人少ない。
「あと一人います」
「数え間違いでは?」
「三回数えました。三回とも一人足りません」
老人が、畑の見張り小屋に寝たきりの妻がいると青ざめた。騎士二人が迎えに走る。ライトも付いていこうとしたが、アリアが肩を掴んだ。
「お前はここで子供を見ろ」
「でも」
「全員が同じ人を助けに行ったら、ここが空になる」
ライトは渋々残った。しばらくして、担架が戻る。老人が妻の手を握って泣いた。
「残るのも仕事なんですね」
「今ごろ分かったか」
アリアは呆れたが、名簿の最後に丸を付けるライトの手元を少しだけ長く見ていた。
深夜、ゴブリンが避難所へ向かった。
ライトはすぐに追わなかった。
「避難所側に三匹!
俺は鐘を鳴らします!」 声を上げ、村の鐘を叩く。騎士たちが一斉に動いた。
混戦の中、アリアは転んだ村人を庇い、肩に棍棒を受けた。
統率役らしい大柄なゴブリンが森へ逃げる。
追えば仕留められるかもしれない。
ライトは追わず、アリアの腕を肩へ回した。
「なぜ追わない」
「守る方が先です」
アリアは痛みに顔を歪めながら、少しだけ笑った。
「今度は、正しい」
翌朝、足跡を追って統率役を発見した。
騎士隊は二手に分かれる。ライトはアリアの指示を待った。
「石で右を向かせろ。倒そうとするな」
「はい」
一投目が肩へ当たる。ゴブリンがライトを睨む。二投目は頭上の枝に当たり、反射的に視線が上がった。
その瞬間、アリアの剣が脇腹を貫いた。
統率役は倒れた。
だが、その寝床には不自然なものがあった。森のさらに奥から引きずってきたような泥。巨大な爪で裂かれた革。そして、外へ向かう獣の足跡。
「こいつらも、何かから逃げてきたのかもしれない」
アリアが呟いた。
村へ戻ると、ライトは討伐報酬の一部で避難所へパンを買った。
「お金が好きなんじゃなかったのか」
「好きです」
「では、なぜ使う」
「お腹が空いてるとつらいので」
アリアは答えに困ったようだった。
帰還報告で、彼女は隊長へ言った。
「命令違反はありました。ただし、その後の働きで村人と我々を救ったことも事実です」
村で命令を破った後、負傷した騎士の包帯を替える仕事も手伝った。騎士は怒鳴らなかった。それが余計につらかった。
「俺が持ち場を離れなければ」
「子供二人は助からなかったかもしれない」
「でも、あなたが怪我しました」
「だから次は声を出せ。全員で助ければいい」
正しさが一つではないことを、ライトは初めて痛い形で知った。
夜襲の直前、風上から獣脂の臭いが流れてきた。ゴブリンが松明を持っている。ライトは鐘を鳴らすだけでなく、水桶を避難所の前へ並べるよう村人へ頼んだ。火矢が飛んでも、燃え広がる前に消せた。
――《警戒 Lv1》を獲得しました。
直後、遠くで草が擦れた。さっきなら雨音に紛れていた小さな音が、今は妙にはっきり耳へ残る。松明の油の匂いも、風上から先に届いた。
「なんか、見つけやすくなりました」
「何がだ」
「危なそうなものです」
アリアは嫌そうな顔をしたが、ライトは水桶を並べる作業へ戻った。
啓示を聞いても、ライトは喜ばなかった。新しい力より、負傷者を出さずに済んだことの方が大切だった。
危険な子供。
アリアの中で、その評価に一つだけ言葉が加わった。
信用できる、危険な子供。
討伐隊が帰還した後、依頼人である村長は倒したゴブリンの数を尋ねなかった。
「避難した者は全員いるか」
「子供を含め、名簿の人数は揃っています」
ライトが答えると、村長は深く頭を下げた。
アリアはその姿を見て言った。
「助けたいなら先に叫べ。一人で走るな。周りを使え」
「使っていいんですか?」
「そのために隊がいる!」
ライトが持ち帰った成果は、敵の首ではない。避難名簿、無事な子供たち、救援を求める次の村への連絡だった。
村長が避難名簿の最後へ丸を付けた。討伐数は騎士団の報告へ、救助人数はライトの依頼記録へ残る。
「お前が倒した数はゼロだ」
「報酬、減りますか?」
「減らん。お前の依頼は救助だからな」
「よかった」
アリアは呆れた。村人全員が無事だったことより、まず報酬を心配する。だが、敵を追わず名簿を埋めたからこそ、その報酬は支払われるのだ。
アリアの言葉で、ライトはようやく息を吐いた。剣を持たなくても、頼まれた役割を最後まで果たせば人を救える。次の合同依頼では、その教訓を一人ではなく班全体へ広げることになる。
救助名簿を作る時、ライトは家ごとに名前を聞いて回った。声を出せない老人、親とはぐれた子供、家畜を置いていけない農夫。全員に同じ指示を出しても動けない。
荷車は歩けない者へ、騎士は外周の警戒へ、ライトは子供たちの先導へ回った。途中で一人足りないと分かり、納屋へ戻る。戦う者と救う者が役割を守ったから、取り残された少年も連れ出せた。
避難所へ着いた後も、水と毛布を配り、名前をもう一度確認した。村人救助という依頼は、危険な場所から出せば終わりではない。依頼人へ全員の無事を返すところまで続いていた。
◇
村を出る直前、トーマがライトの服を引いた。
「これ、あげる」
差し出したのは泥の付いた木の実だった。
「食べられる?」
「たぶん」
「たぶんか……」
アリアが横から取り上げる。
「毒はない。ただし渋い」
「じゃあ大丈夫です」
ライトは口へ入れ、すぐに顔をしかめた。
「まずいです」
「だから言っただろう」
トーマが初めて笑った。母親もつられて笑う。ライトは渋さに耐えながら、救助名簿の丸より、この笑い声の方が分かりやすいと思った。
「次はパンがいい」
「また来るの?」
「依頼があれば」
アリアは肩を落とした。
「そこは遊びに来ると言え」
お読み頂き、ありがとうございます。




