羊の散歩
視点:ベルタ
冬前の家畜のラストスパート。なぜか食べさそうとしないピーターに声をかける。
冷たい風が吹き抜ける秋の終わり、共有地の草はもう枯れかけて、茶色い泥ばかりが目立つようになっていた。
もうすぐ寒くて厳しい冬がやってくる。わたしたちにとって、冬を迎える前のこの時期は、喉から手が出るほど草が欲しい季節だった。冬の間は緑の草が一切生えないから、今のうちに家畜たちにたっぷり草を食べさせて、体に脂を蓄えさせておかなければならないのだ。そうしないと、寒さに耐えきれずに羊や牛が痩せ衰えて死んでしまう。
だけど、共有地のどこを見渡しても、家畜が喜ぶような青々とした草なんて残っていなかった。
青々としてるのはわたしの区画だけだ。
わたしは畑の端に立って、誇らしげに眺めていた。
ここにだけは、村のどこよりも青い草が生い茂っていた。
まだ夏の、小麦を刈り取るよりも前、小麦の株元へまめの種をパラパラと蒔いておいたからだ。小麦を収穫した時にはすでに生えそろって、そのあとすぐ太陽の光をたっぷり浴びて、緑の絨毯みたいに畑一面を覆い尽くしたのだった。
村の共有地の他の場所は、いつも通り雑草は生えているが貧相だ。だから、わたしの鮮やかな緑色は、寒々しい共有地の中でひと際目立っていた。
「メェ〜、メェ〜」
村のみんなが飼っている羊たちが集まってきていた。
首をすぼめながら、夢中になって青々とした葉っぱをはみはみと食みちぎっている。おいしそうに草を食べる羊たちの姿を見るのは、なんだか誇らしかった。
おにいさんはまた何か違うことをしているのでここにはいない。
わたしは畑の横で静かに羊や牛の様子を眺めていた。
食べながらぽろぽろと落とし物をしていく。
わたしはひとり頷いていた。こうやって糞を落としてもらえば、何も手をかけずに土が肥える。それに、村のみんなの羊が冬を無事に越せるなら、村全体にとっても良いことなのだ。
だけど――。
ふと見ると、畑の境界線のところで、ぽつんと立ち尽くしている羊と人間がいた。
ピーターおじさんだ。
ピーターおじさんは、わたしの区画の前でぴたりと足を止めていた。羊たちは目の前の美味しそうな緑の草にお鼻をヒクヒクさせて、身を乗り出そうとしているのに、ピーターおじさんが綱を強く引っぱって押しとどめているのだ。
わたしは不思議に思って、首をかしげた。
わたしの畑とは言え共有地だ。みんなの羊や牛も普通に草を食んでいる。ピーターおじさんも冬になる前にしっかり太らせておかないと困るだろうに。
その顔を見ると、困ったように眉をひそめて、我が家の青い畑と、手元の痩せた羊たちを交互に見つめていた。その手は、冷たい風のなかで少し震えているみたいだった。
このままじゃ、羊たちは枯れ草ばかり食べて、ガリガリに痩せたまま冬を迎えることになっちゃう。
わたしは意を決して、トコトコと泥を踏みつけながら駆け寄った。
「ピーターおじさん!」
わたしが声をかけると、びくっと肩を揺らして、申し訳なさそうな顔を向けた。
「よぉ、ベルタ。すごく繁茂しているな」
「草食べさせないと羊冬超えられないよ?わたしが作ったエールと同じで草もおいしいに決まってるよ」
収穫祭でわたしのエールを一番飲んでいたのはピーターおじさんだ。つまりわたしの草もたくさん食べさせるに決まっている。
ピーターおじさんはなぜか申し訳なさそうな顔をして、綱の手緩めた。
待ちきれないといった様子で、羊が「メェ〜!」と元気に鳴き声を上げ、我が家の青々とした草の絨毯へと駆け込んでいった。柔らかい葉っぱをモシャモシャと勢いよく食べ始める羊たちの姿を見て、ピーターおじさんは心底ほっとしたような表情を浮かべた。
「ほら、そっくり! ピーターおじさんとおんなじだね」
ふたりで笑って羊を眺める。
畑を見渡せば、村中の羊たちが勢ぞろいして、一心不乱に青草を食べていた。
あっちでもこっちでも、羊たちがもしゃもしゃ口を動かしながらぽとぽとと落とし物をしていく。
つまり次に小麦を育てる時はそれはもうたくさん穂をつけるに違いない。
今年よりもっと、来年よりもっとにたくさんになるはずだ。わたしは頭の中でパンを膨らませてにやにやする。
頭の中におにいさんが現れて私に石臼を寄こしてくる。するとパンを作るための粉を作るためにわたしは石臼をひくのだ。ごりごりごりごり。
わたしは我に返ってしまう。なんということだ、頭の中のパンでさえ存分に用意することができなかった。これもすべておにいさんがパンを作るのは大変だからやめようというからに違いない。
いつか絶対にパンが食べたいからおにいさんが石臼をひくように色々と作戦をたてなければいけない。
わたしは素敵な妄想と賢い計画に胸を張りながら、元気に草をはむ羊たちの姿を、いつまでも嬉しく眺めていたのだった。
次回、定盤の据え付け
【作中技術解説】
立毛間播種:主作物を収穫する前の段階で、その株元に次の作物や緑肥の種を蒔いておく技術です。
中世前期の農作業では収穫後は放置して雑草が生えるに任せますが、刈り取り前に種を蒔いておくことで、収穫直後から雑草の繁茂を抑えつつ、緑肥を最速で成長させることができます。
マメ科牧草による窒素固定と緑肥効果:クローバーやヘアリーベッチ、アルファルファなどのマメ科植物は、根に共生する根粒菌の働きによって、空気中の窒素を取り込んで土壌に固定する能力を持っています。
マメ科植物を畑に繁茂させることは、そのまま「天然の窒素肥料工場」を畑に建設することと同義です。これを家畜に食べさせることで、上質な飼料としても活用できます。
家畜の放牧による有機物還元:刈り取り後の畑に家畜を放ち、草を食べさせると同時に排泄物を落とさせるシステムです。
家畜の糞尿には、植物が成長するために不可欠な窒素・リン酸・カリウムがバランスよく含まれています。肥料を運搬・散布する労力を一切かけず、家畜に自走してもらうことで「現場で直接肥料を製造・散布させる」という、養分循環システムを実現しています。
当然、中世農夫たちも自分の畑に家畜糞を落としたいと考えています。




