牛耕
視点:ハンス
力が必要な牛耕で役に立たないおにいさんに違う仕事を割り振る
収穫が終わり、収穫祭も終わり、秋の乾いた風が村を吹き抜ける季節になると、農民たちの目つきが変わる。冬を迎える前に行わなければならない最大の難関、秋の小麦の種まきが迫っているからだ。
そのためにはまず、夏の間じゅう家畜の放牧地として使っていた休耕地を、再び作物が育つ畑地へと引き戻さなければならない。
固く踏み固められた土、伸び放題の草の根が絡み合った地面を耕すのは、人間の腕力だけでは到底不可能だ。村じゅうの男たちと、作業に耐えうるすべての牛が駆り出される牛耕の時期がやってきた。
「よし、ハンス! 牛、持ってきたか!」
村の男たちが広場のあぜ道に集まり、牛の首木や犂の手入れをしながら大声を掛け合っている。
俺は家から引き出してきた自家用の若い雄牛の頭を撫でながら、「おう、準備万端だ」と応じた。
村の農家には、二つの種類がある。立派な牛を所有し、力強い農作業を主導できる富農と、牛を持てないために己の身体一つ、労働力として差し出すことで自分の畑を耕してもらう貧農だ。
牛を持つ者も持たない者も、助け合い、巨大な木製の重犂を何頭もの牛で引き、一列になって広大な地表をひっくり返していく。
「さあ、今日も日暮れまでにあの丘の裾野までひっくり返すぞ!」
誰もが声を張り上げ、現場の熱気が一気に高まった。
作業が始まってすぐに、一度止まることになってしまう。
「おい! おにいさん、そこ立つな! 踏み潰されるぞ!」
「うわっ、牛が急に曲がった! おにいさん、引っ張られてるぞ!」
怒号と悲鳴が交互に響き渡る。
重犂を使った牛耕というのは、生半可な力仕事ではない。俺達とは比べられない程重たい牛たちが力任せに引く犂を、足場の悪い泥の中で支え、軌道を修正し続けなければならないのだ。
おにいさんはといえば、手にした誘導用の棒にしがみついたまま、牛がちょっと身震いしただけで体勢を崩し、盛大に泥へ足を取られている。
大鎌を振る時や穴を掘る時の体の使い方は妙に洗練されている男だが、純粋な筋力比べとなると話は別だ。
「おいハンス! なんとかしろよ!」
汗だくになった隣の農夫が、牛の手綱を握り直しながら怒鳴ってきた。
「手伝う気が満々なのはいいんだが、あいつ、力がないから本当にあぶねェんだよ! 踏んづけたり、犂の柄が頭に当たったら死んじまうぞ!」
「ハンス、なんか違う仕事割り振ってやれよ! 危なくて邪魔で、見てるこっちが冷や冷やして作業が進まねえ!」
もう一人の男も、眉をひそめて叫ぶ。
「だがな……手伝わないなら、ベルタの畑は牛耕できないぞ?」
からかい気味に誰かが言った。この村のルールは明確だ。労働力を出さない者の畑に、貴重な牛を回す余裕はない。おにいさんもそれを分かっているからベルタの畑を耕すためにこうして労働力を出しているのだ。
「おい、そこまでは言い過ぎだ!お前、今年は麦を叩かないでおにいさんの持ってきたでかい櫛で籾取りしてたから歩留まり良かったって言ってただろ!」
「そうだ!お前、収穫祭でベルタのエールを4杯も飲んだだろ!俺は2杯しか飲んでなかったのに!」
まるで関係のない話まで加えて言い争いに発展してしまった。あぁ、誰も悪い奴じゃないのになんだこれは。
「……くそっ」
俺はため息をつき、暴れる牛の鼻面を押さえて立ち止めさせると、泥まみれになって呼吸を乱しているおにいさんのもとへ歩み寄った。
おにいさんは膝に手をつき、肩を上下させていたが、俺の姿を見ると申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまん、ハンス。俺は役に立てない」
「ハンス、責めるなよ」と庇う声も飛んだが、おにいさんは自分の情けなさに本気で凹んでいるようだった。
「お前の牛は神に愛されてるよ。こんなにも強い牛は他に居ないだろう」
おにいさんはハァハァと息を吐きながら、俺の若い雄牛の太い首筋を感心したように見上げて呟いた。
俺は頭をかき、容赦のない事実を突きつけることにした。
「いや、おにいさん。牛が強いんじゃない。お前が貧弱すぎるんだよ」
「やはりか」
「事実だ。お前、気持ちは分かるし、手伝おうとしてくれてるのはありがたい。だがな邪魔だ。ここから上がってくれ」
はっきりと言った。
おにいさんの動きが一瞬止まる。
「牛耕は力と重さが命なんだ。お前みたいな貧弱な奴がうろうろしてたら、牛の足元で潰されるか、跳ね返った犂の柄で骨を折る。怪我人が出たら、それこそ作業が中断して全員が困るんだよ」
おにいさんは言い返す言葉を探すように口をわずかに開けたが、自分の泥だらけの手と、自分を案じつつも困惑した目で見てくる農夫たちの視線に気づき、静かに口を閉じた。
「あぁ、わかったよ」
「そうだ。だから、牛耕はしなくていい」
ハッキリと引導を渡した俺だったが、これでで終わらせるつもりは毛頭なかった。
こいつは、今まで村のためにやたらと働いているのだ。ただ力がないという理由だけで追い払い、作業から除外するのはおかしいだろう。
「おい、ヨセフ! こっち来い!」
俺は少し離れた場所で、予備の道具を運んでいた倅たちを呼び寄せた。
「なんか用?」
「おにいさんには、畑の溝堀りをやってもらうからやり方を覚えろ」
「溝堀り?」
ヨセフたちが首を傾げる。
俺はおにいさんの肩をぽんと叩いた。
「耕した後の畑の周りに、ぐるりと溝を掘る仕事だ。秋の長雨で畑が水浸しになったら、撒いた種が全部腐っちまうだろ? 外側から流れてくる水を逃がすための溝が必要なんだ」
かつて、おにいさんは俺の畑の境界に溝を掘ってみせたことがあった。春のあれは露骨に効いたのだ。これを村に還元しないわけにはいかないだろう。
「あの溝掘りなら、牛に踏みつぶされる危険もない。力はいらんが、丁寧さと根気がいる。おにいさん、お前の得意分野だろ?」
「それなら俺にできるな」
「そういうことだ! ヨセフ、お前たちはおにいさんの指示に従って溝を掘れ。おにいさん、こいつらに一番水が流れる溝の掘り方を教えてやってくれ」
「おにいさん、よろしく頼むよ」
危険な牛の足元から離れ、道具を握りしめたおにいさんは、ヨセフたちを引き連れて畑の端へと向かっていった。
それを見送った俺は、再び牛の手綱を力強く握り直した。
「よし! お前ら、おにいさんは安全なところに避難させたぞ! 心置きなくひっくり返すぞー!」
「「「おうっ!!」」」
豪快な笑い声とともに、巨大な重犂が再び激しく泥を削り始めた。
視界の端では、おにいさんが土を切り出し、見事な直線を描いて溝を掘り進めているのが見える。彼が指示を出し、若い奴らが汗を流すことで、畑の周りにはみるみるうちに立派な排水溝が出来上がっていった。
直言して邪魔だと伝えたのは正解だった。
適材適所。力のない男には、力以外の知恵と技を発揮できる場所を作ってやればいい。
秋の爽やかな風のなか、牛たちの息遣いと、土を削る力強い音が、夕暮れまで村の畑に響き渡り続けた。
次回、フットクリンパー
【作中技術解説】
休耕地の牛耕:コモンズの開墾と重犂。中世ヨーロッパ前期の二圃式農業では、土地を2つ、耕作地・休耕地に分け、1年ごとにローテーションしていました。休耕地は夏の間、雑草を生やして村の共有放牧地として家畜を放牧し、家畜の糞で地力を回復させます。
しかし秋の種まき前には、家畜に踏み固められ、草の根が張り巡らされた固い土壌を再び畑に戻す必要があります。これには人間ひとりの力では太刀打ちできず、数頭の牛に重犂を引かせる「牛耕」が不可欠でした。
額縁明渠:畑の周囲に掘る表面排水用の溝のことです。秋小麦の栽培において最も恐ろしい敵の一つが雨による湿害・種腐れです。
畑の内部を耕すだけでなく、外周に明渠を巡らせて外部からの水の流入を防ぎ、水はけを良くすることで、根が腐る事を防ぎ生育を向上させることができます。おにいさんが春にポップした時にハンスに教えた排水技術です。
中世農村における労働交換システム:富農、牛や農具を所有する農民と貧農、労働力のみを持つ農民の間で行われた相互扶助の仕組みです。貧農は富農の牛耕作業に労働力を提供する代わりに、自分の小さな畑や借地を富農の牛で耕してもらう権利を得ていました。
力仕事に参加できない者は「村の共有作業に貢献していない」とみなされて畑を耕してもらえなくなるリスクがあります。本作ではハンスが「怪我をしない別の作業」を割り振ることで、コミュニティ内での労働の等価交換を成立させていました。




