亜麻仁油
視点:ベルタ
亜麻種子から亜麻仁油を搾って、油紙を作る。
冬支度はまだまだ終わらない。おにいさんが思う冬支度はずいぶんとヘンテコなのだけれど、やった方が良いような気はしているので一緒に手伝いをするのだ。
今回は油をとるらしい。
「よし、カサカサに乾いたね」
先日、おにいさんと一緒にぬるぬるを絞り出すためにお湯に浸していた亜麻の種たちだ。ぬるぬるがすっかりなくなってカラカラに乾燥された種は、光を浴びてツヤツヤと固そうに輝いている。
おにいさんが木臼と小さな木槌を持ってくると、作業台の上に置いた。
わたしは腕まくりをして、さっそく木臼の前に座る。
「じゃあ、この種をつぶすよ」
「待って、脱穀だけ頼む。中身はつぶさないで殻だけ外したい」
どうやら殻を剥きたいようだ、わたしは木槌を手に取り、亜麻の種を木臼にパラパラと広げた。
そして、木槌を「とんとん」と軽いリズムで振り下ろす。
コン、コン、パキッ。
わたしは指先でひょいとつまみ、割れた薄い茶色の殻だけを外して見せた。殻の中身は、淡い黄白色をしていてとても綺麗だ。
コン、コン、パキッ、コン、パキッ。
わたしはそのまま調子よく手を動かす。木槌の角で種をひとつひとつ捉え、殻だけを割る絶妙な力加減でとんとん、ぱきぱきと叩いていった。
横で見ていたおにいさんが、目を見開いて固まっている。
「え? ベルタ、なぜそんな当たり前みたいに殻だけ割れるんだよ。これもこれも亜麻仁が一つも潰れていないんだけど」
「え?殻を割るだけだっておにいさんが言ったでしょ。だから、殻だけ割る力で叩くだけだよ?」
おにいさんは目をパチパチさせ、自分の手元とわたしの華麗な手さばきを見比べている。
「いや、そうなのか?そんなことできるのか?」
「いや、できてるでしょ。こう、ぽんって叩けば、殻がパチンって勝手に弾けるんだもん」
「すげぇ!」
おにいさんはよほど感動したのだろう。ただただ嬉しそうに器を用意していた。
わたしがパチンパチンと殻を割り、器の上でパァッと風を送ると、軽くて薄い茶色の殻だけが飛んでいき、中には白っぽくて綺麗な中身だけがドッサリと残った。
おにいさんは陶器の鉢と、小さな陶器の棒を取り出した。
わたし達は亜麻仁をゴリゴリと力いっぱい押し潰していく。
殻がないので、すり潰すのはとっても簡単だった。しばらくすると、香ばしいナッツみたいな匂いが漂い始め、パサパサだった亜麻仁はしっとりとしたどろどろに変わっていく。
おにいさんはペーストを土鍋に移し、ほんのり温める程度に薪の熱を当て始めた。
焦がすと大変なことになるらしく真剣に中身を見ていた。
香ばしい匂いが部屋中に充満してきたところで、いよいよ搾るみたいだ。
おにいさんは温まった亜麻仁を、硬く小さな大麻の布へと包み込んだ。大麻の布はとっても丈夫だから強い力で引っ張っても絶対に破れない。
そして、その小さな布包みを、二本の太い木の棒の間に設置した。
「ベルタ、これを使ったらすごい力で搾れるぞ」
おにいさんの凄い熱心な解説が始まってしまった。棒を差し込んで石をどかすあの力を使うことはわかった。それ以外の話は難しい。話しながら準備ができたらしい。
「おにいさん、顔が真っ赤だよ!」
おにいさんが額に汗を浮かべながら紐を巻き付けて木の棒を締め上げていく。
じわぁっ……。
大麻布の網目から、とろりと澄んだ黄金色の液体が染み出してきた!
下においた小皿に、ぽとん、ぽとん……と、綺麗な滴が落ちていく。
「出た! 油だ! おにいさん、出てきたよ!」
「頑張った!俺、頑張ったよ、ベルタ!」
おにいさんは膝をついて荒い息を吐きながらも、満足そうにお皿を覗き込んだ。
皿の底には、太陽の光を閉じ込めたみたいに輝く、美しい亜麻仁油が、しっかりと溜まっていた。
「よし、油紙にしよう」
おにいさんは定盤の上に、あのツルツルで真っ白な亜麻紙を広げた。
そして、出来立ての亜麻仁油を亜麻紙の表面にへらで丁寧に塗り広げていく。
スーッ、スーッ……。
油が染み込んだ場所から、真っ白だった紙が「すぅーっ」と透き通っていった。
まるで魔法だ。紙の繊維の奥まで油が染み渡ると、光が通り抜けるようになって、下にある定盤の石模様がくっきりと見えてくる。そうしてまた定盤で挟んでしまった。
「向こう側が透けて見えた!けどまた挟むの?」
「紙が膨らまないように押しつぶしながら全体に油が染みわたるようにだな」
「ふーん。ちなみにどうなるの?」
「透けて見えるままカチカチになるんだ」
おにいさんはさらりと言ってのけたが、なんかすごいことになるんじゃないのかな。
ぺらぺらで透き通っているものなんて冬の氷くらいしか思い浮かばない。それだってすぐに溶けてしまうのに。
定盤の隙間を眺めていたら油が押し出されてきた。紙に油が染みて多い分は出てきたのだろうか。
見えないから想像するしかない。
おにいさんが上の定盤を持ち上げると、下の定盤には油だけがついて紙がなかった。
「え? おにいさん、すごく透明になった!?」
「あれ?ああ上の定盤に引っ付いてた」
「なんだ。すごく透明になったかと思ったよ」
「定盤にくっつけたまま固めよう。時間はかかるからそのままだな」
「乾いて固まるんだね」
「いや空気を吸って固まるんだ。乾くわけじゃないんだよ」
「それは乾いてるのとは違うの?」
わたしは首を傾げた。そしてまたおにいさんの怪しい呪文が始まった。ものすごく嬉しそうな顔をして説明をしてくれる。
おにいさんは熱っぽく語りながら、空気をあてるようにパタパタと手で風を送った。
そうなんだと言いながらわたしは残りの紙1枚に同じように油を垂らして定盤で挟んであげた。
わたしが頑張るとこの家はよりよい家になるんだ。
数日後。
温かいと空気に日に晒されていた亜麻紙は、すっかり変わっていた。
「ねえ……おにいさん、これすごいよ」
わたしは完成した油紙を両手で持ち上げ、お日様の光にかざしてみた。
最初はただの白い紙だったのに、今のそれは、まるでうすいハチミツ色の氷みたいに綺麗に透けている。おにいさんの顔が油紙の向こう側にハッキリ見えた。
触ってみると、ベタつきは一切ない。
しっとりと吸い付くようななめらかさがあるのに、表面はカチッと硬い膜で覆われている。
「えいっ!」と両手で引っ張ってみたけれど、破れる気配すらない。
紙なのに、そもそも紙がどういった物かもわからないうちに変身した油紙は、良く曲がる色付きの氷になった。
「水も弾くし、破れないし……これ、もしかして冬支度でいちばんすごいんじゃないかな」
「その通りだ、ベルタ!もう一息で完成だな」
おにいさんは満足そうに頷き、2枚の油紙を優しく撫でていた。
透き通る油紙越しに見えるおにいさんの笑顔は、いつもよりずっと誇らしげで、眩しく見えたのだった。
次回、二重窓
【作中技術解説】
亜麻仁油の低温圧搾:亜麻の種子である亜麻仁には約30〜40%の油脂が含まれていますが、外殻が非常に硬いため、あらかじめ脱殻して仁を取り出し、乳鉢等で細胞壁を磨砕する必要があります。さらにペーストを40〜50℃程度に加温することで油脂の粘性が低下し、流動性が増します。これを大麻などの高強度な織布に包み、片側を支点としたてこ構造と南京結びを組み合わせることで、手作業でも強力な圧を加えることができ、低温圧搾を実現しました。
カルシウム石鹸:脂質と消石灰から作られるカルシウム石鹸の微粉末を用いて研磨された定盤は、表面のミクロな気孔や凹凸が完全に埋められた極めて高い平坦性を持ちます。この定盤で油を塗布した紙をプレスすることで、紙内部の余分な油脂が押し出され、必要最小限の均一な膜厚に調整されます。定盤の離型性と平坦性により、紙の歪みや波打ちを防ぎつつ、鏡面のような滑らかな表面精度を与えました。
酸化重合:亜麻仁油は不飽和脂肪酸、特にα-リノレン酸を多く含む「乾性油」に分類されます。水分の蒸発によって乾くのではなく、油に含まれる二重結合部分が空気中の酸素と反応し、架橋構造を形成して固化します。これが「酸化重合」です。この反応により、紙のセルロース繊維の隙間が透明な天然樹脂(リノキシン膜)で埋め尽くされ、光の散乱が抑えられて高い「透明性」が生まれるとともに、強力な「撥水性・耐水性」と「引張強度」が付与されました。




