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螺旋の乙女 〜乳白色のセラミックパンク〜  作者: 麻澱 灰


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ムシレージ

視点:ベルタ


亜麻仁からムシレージを抽出してそのぬるぬるで遊ぶ。

部屋の中は、ほんのりとあたたかい。

かまどから伸びる煙道の上には、昨日から土鍋がひとつ、ちょこんと乗せられている。

その土鍋の中には、亜麻の小さな茶色い種、亜麻仁と、きれいな水がたっぷり入っているのだ。


「ベルタ、そろそろ取り出そう」


おにいさんが、小麦と粘土を用意しながら声をかけてきた。


「はーい!」


わたしは元気に返事をして、煙道の上に腰掛けた。お尻がぽかぽかして、座っているだけでしあわせな気分になる。

そっと土鍋のふたを取って、中を覗き込んだ。

ほんのりとした温もりの水の中で、茶色いつやつやの亜麻仁たちが静かに沈んでいる。けれど、ただの水ではない。水の感じが、あきらかにおかしかったのだ。

ただの水だったはずなのに、水面がゆっくり揺れる。光を浴びて、まるで豚の骨から作ったスープが冷めた時の様に揺らめいていた。


「うわあ……おにいさん、なんかトロトロになってる」


おにいさんはわたしの言葉に待っていましたと言わんばかりに早口で説明をしてくれる。早口な上に時間がかかるし、それでいて聞いておかないとなんか損することがあるので聞かないといけないそういう説明だ。動いていないのに頭が付かれてしまう。

けれど、わたしのお目当てはそんな理屈じゃない。

我慢できなくなったわたしは、指先をちょんと土鍋のお水に入れてみた。


「うっわ!」


指が水に入った瞬間、脳みそに雷が落ちた。


「ぬっ……ぬるんっ……!?」


指をすっと引き抜いてみる。すると、指の先から透明な液体の糸が、とろ〜りと伸びて、だらだらと垂れていく。

もう一度、今度は手全体を土鍋の中にズボッと突っ込んで、手のひらをすり合わせてみる。


「うひゃああああああっ! なにこれ! ぬるぬる! 気持ち悪い!」


わたしは思わず大声を上げて、けたけたと笑い出してしまった。

ぬるぬるだ。あまりにもぬるぬるすぎる。

豚の脂のベタベタとも違う。川の岩についたコケのぬめりとも違う。お鼻から出るはなみずとも全然違う!

いや、はなみずは近いぞ、量がこんなにはないからわかりにくいけど、はなみずに近い。なんだこれ?


手に絡みつくのに、ちっともしつこくない。水の中で手を動かすと、まるで自分の手が何かのヌルヌルした生き物になっちゃったみたいに、ぬるんぬるんと指が滑りあう。


「むふふ……! あはははっ! ぬるぬる、ぬるぬる〜!」


面白すぎて、笑いが止まらない。

両手にたっぷりぬるぬるを絡め取って、空中で手をギュッと握ってみる。すると、指の間から「ヌチュッ、ツルンッ!」と音を立てて透明な塊が飛び出していく。それがおかしくて、わたしはお腹を抱えて笑い転げた。


おにいさんも笑いながら、木の匙を手渡そうとしてきた。


「蓋つきの器に上澄み液だけ移すから頼んだ」


「はーい! まかせて」


わたしは濡れた手を服で拭うのも忘れて、おにいさんが出してくれた匙を握ろうとした。


ツルッ!


「あっ」


手にした瞬間、手のひらのぬるぬるが威力を発揮した。


匙はわたしの手から滑り出し、まるで生きたお魚みたいに「スポンッ!」と飛び跳ねて、床に転がっていった。


「あははははっ! 匙が逃げた、つかめない!」


「見てた。見事に飛んで行ったな」


「ぬるんっ、って弾けちゃうの! ほら見て見て!」


わたしは転がった匙をもう一度拾おうとしたけれど、指をかけるたびに「ツルン!」「ヌルッ!」と滑って、全然持ち上がらない。指先でつまもうとするたびに、コロコロと向こうへ逃げていく。


「あははは! だめだこれ! 道具が何も持てない!」


わたしは床に転がったまま、足をバタバタさせて笑い転げた。

手がぬるぬるすぎて、自分の服の裾を掴むことすらできない。指を曲げても、指同士がすべって「ツルツルッ」と滑り落ちてしまうのだ。


「ベルタ、藁でふき取るか?洗っても落ちないんだこれ」


「やだー! 洗わない! だってこれ、すっごく面白いんだもん!」


わたしは両手を顔の前に掲げて、指をウニウニと動かした。

光を浴びて、わたしのお手々が透明なベールを纏ったみたいにピカピカと輝いている。


むふふ……! このぬるぬるの手で、誰かの顔を触っちゃおうかな? 怒られるだろうけど顔がもちもちになるかも。 それとも、棒にコッソリ塗りつけておいたら、振った瞬間にスポーンって飛んでいっちゃうかな。

妄想がぐんぐん広がり、わたしはもう可笑しくて可笑しくて、お腹が痛くなるくらい笑い続けた。


おにいさんは笑い転げるわたしの横で木臼で亜麻の繊維を叩いていた。


「おにいさん、それ何してるの?」


わたしは手のぬるぬるを乾かさないように、両手を広げた雌鶏みたいな格好で、おにいさんの隣にピョコピョコと歩み寄った。


「糸じゃなくて紙を作りたいからほぐすんだ」


おにいさんは規則正しく足を動かしながら答えてくれた。聞いたことがない言葉が入っていたけどそのうちわかるだろう。


「ところでこのぬるぬる何に使うの?」


おにいさんの説明を聞いて、多すぎる説明を聞いて、わたしは自分の両手を見つめた。

ただの面白すぎるぬるぬるだと思っていたけれど、何にでも使えるぬるぬるだったらしい。


それからしばらくの間、お部屋の中には木臼の心地よい木音と、わたしの「あははは!」「ぬるんぬるん!」という楽しそうな笑い声が響き続けた。

本当は、わらを編みこんで何かを作ろうかと思っていた。

だけど、そんな真面目な手仕事なんて、このぬるぬるの前には吹き飛んでしまった。

わら細工なんて明日でもできる。でも、いま目の前にあるこの土鍋いっぱいのぬるぬるは、今すぐ触って笑わないと損だ!


「おにいさん! 見て! 手のひらに溜めて……ぎゅっ! あははっ、横からぴゅって飛び出た!」


「はーい! ぬるぬる! ぬるぬる!!」


わたしは一人で新しいぬるぬるを試しては、けたけたと笑い続けた。

振り返ると、収穫のお手伝いや、木の実採り、大麻や亜麻の水やりで毎日動き続けていたから、本当はちょっぴり身体が疲れていたのかもしれない。指先が少し固くなって、背中も固い。

それ以上に、おにいさんがこれでもかと説明をしてくるのを聞いているのが頭がいっぱいになって大変だったのだ。これと比べると働いていることは別に大したことではない。今ならはっきりとわかる。

だけど、こうして理屈も何もかも忘れて、ただ「手がぬるぬるで滑っておかしくなっちゃう」ということだけに大はしゃぎして笑っているうちに、頭の中につまっていた重たいものが、すーっと溶けていく気がした。


気がつくと、外の空が赤く染まり始めていた。

結局、わたしは一回も匙を握れず、ぬるぬるの回収作業はぜんぶおにいさんが一人でやってくれたのだった。


「ベルタ、そろそろ布でふき取ってから手を洗いなさい」


「はーい……あー、面白かった!」


拭ってから手を洗うと、あんなに手強力だったぬるぬるは、びっくりするくらいあっさりと流れて消えていった。あとには、いつもよりなんだかしっとりすべすべになった、わたしの手が残された。


「あ! 手がすべすべになってる!」


「とかくムシレージは便利なんだよ」


「むふふ、むしれーじぬるぬる」


その日の夜。

昼間、お腹が痛くなるまで笑い転げたせいか、身体の底から心地よいクタクタ感が込み上げてくる。


「ふあぁ……おにいさん、おやすみ……」


笑い疲れた身体は、まるで温かいぬるぬるの海にぷかぷかと浮かんでいるみたいに軽かった。

次の日の朝、お日様が昇るまで、わたしは一度も目を覚ますことなく、深くて最高に気持ちのいい眠りの中に落ちていったのだった。

次回、亜麻紙


【作中技術解説】

亜麻仁ムシレージの温水抽出:亜麻の種子、亜麻仁の外皮層には、水分を吸うと膨潤する水溶性の多糖類が豊富に含まれています。これを水に浸すことで、無色透明で粘性の高いムシレージが浸出してきます。過度の加熱を行うと不溶性成分や色素・油分が混ざって品質が低下するため、煙道の微熱などを利用した穏やかな加温抽出で、高品質な粘液を得ます。


ムシレージの多用途:抽出されたムシレージは、古代・中世の素材技術において極めて汎用性の高い「天然高分子ポリマー」として機能します。種子コーティング、微細な粘土粉や木炭粉末と混ぜて微小な種子の周囲に被覆を作ることで、種子のサイズを均一化して撒きやすくし、乾燥や鳥害から種を守るバインダーとなります。和紙分散剤、紙漉きの際、水中で短繊維が凝集するのを防ぎ、均一に浮遊させる分散剤として作用します。これは和紙作りの「ネリ」と同様の働き。また、乾燥後は繊維間に膜を張り、インクのにじみを防ぐ、サイジング効果も期待できます。


叩解:アルカリ処理、精練によって不純物を除去した植物繊維を、唐臼や木槌で打ち叩く物理的処理です。この衝撃によって束になっていたセルロース繊維がミクロの単位、フィブリルにまで細裂・毛羽立ち、水中で水酸基同士が水素結合しやすくなります。この叩解工程を適切に行うことで、紙や織物の強度が飛躍的に向上します。

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